日本に鉄砲を伝えたとされるメンデス・ピントさんのご子孫が住む街を訪ねました。ピントさんは、「東洋遍歴記」の中に、日本人がいかに鉄砲という武器に興味を持ったかを書いていたといいます。しかし、驚いたのが、ピントさんの住む街並みのなかに「種子島通り」という通り名を見つけたこと。由来は正確にはわかっていませんが、ローマ字で「TANEGASHIMA」と書かれたサインには、日本との深い関係がこの街にあったことを想像せずにいられません。
ポルトガルの家庭料理をいただく。豆をつかったスープ。
ピントさんのご子孫と、和やかに話が弾む。
路地のサインに“UA DE TANEGASHIMA”とある。