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ジパングの王NOBUNAGAとは、 どんな男だったのか?
NOBUNAGA(=織田信長)は、戦国〜安土桃山時代の武将。1534年、戦国時代の日本に生まれました。日本人同士が刀・槍・矢などで戦い、血を流し合っていた時代。誰かが、ピリオドを打たなければ、この戦国乱世は留まることを知りませんでした。そこに、立ち上がった男・・・が、NOBUNAGAだったのです。

「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」・・・この言葉は、“鉄砲”をいちはやく武器に取り入れ、天下統一を図ったNOBUNAGAの荒々しい性格をあらわしていると言われています。覚えていますか?ほととぎすをテーマに戦国の世を築いていった織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人の英雄たちの句を。NOBUNAGAは、鳴かぬほととぎすを残酷にも殺してしまうのですが、秀吉は「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ほととぎす」、家康は「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ほととぎす」。比較してみると信長は、かなり強引な男にみえますが、戦乱の世における信長の先見性とスピーディな決断力は、今の日本を築くうえで必要だったかもしれませんね。さあ、このページで、NOBUNAGAという人物をおさらいします。「歴史を知れば未来が見える」という言葉がありますが、NOBUNAGAを知ることで、日本社会のリーダーに足りない何かが見えてくるかもしれませんね!

NOBUNAGAって、誰?
1534年〜1582年。室町〜安土桃山時代に活躍した、戦国武将です。ちなみに、こんな顔。
NOBUNAGAって、戦乱の世に何をした人?
戦国の世を終わらせ、全国統一へのみちしるべをつくった人です。具体的には、ポルトガル人が伝えた。“鉄砲”を実戦で導入したはじめての日本人。また、ポルトガル人宣教師と会い、日本にキリスト教を広めることを許した人でもあります。商才にも長けており、検地や楽市・楽座などの政策を用いて、あたらしい社会体制を築きました。
織田信長_image
NOBUNAGAって、どんな性格?
小さい頃から、常識では考えられない奇抜な行動をとる男で、「大うつけもの」(=あほう)と呼ばれていました。鋭いカンと先見性に飛んでおり、戦国武将のなかでは抜きん出た存在であったことも事実。信長の義理の父・斎藤道三が家臣に、「我が息子たちは、いずれ尾張のうつけ者(=信長)の門前に馬をつなぐことになるだろう」と予見したという記録も残っているほどです。しかし、反面、自己中心的で、反抗する者は絶対に許さない!というタイプでもありました。その例が、延暦寺(えんりゃくじ)の焼き打ちによる数千人の殺害。荒々しい行動は全国統一が近づくにつれて多くなったようです。
NOBUNAGAって、南蛮文化が好き?
信長は、西洋文化に強い関心を持っていました。とくにスペイン人やポルトガル人から伝わった南蛮文化の影響を大きく受けていたようです。医学・天文学・地理学や航海・測量技術などを宣教師たちから積極的に学んだ他にも、ビロードの帽子をかぶったり、赤や金の奇抜な格好を好んでしていたという話もあります。ぶどう酒が好きだったという話は有名!ちなみに南蛮文化から生まれた日本語には、次のようなものがあります。
NOBUNAGAって、どんな人生をおくったの?
戦乱の世に生まれ、戦乱の炎に消えた織田信長。彼は、尾張の守護代「織田信秀」の子で、天下統一事業を展開しましたが、志半ばで「本能寺の変」により倒れました。最後に、彼の生涯を、かんたんにご紹介しましょう。
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