TOYOTA & Panasonic present『もうひとつの歴史』
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斎宮


■櫛田川(三重県多気郡)

5泊6日の群行で、斎王が最後の禊ぎをしたと言われる、櫛田川。実際はこの下流の祓川(はらいかわ)で行われたとも言われています。この川を越えると伊勢神宮の神域に、そして斎宮へと入ります。
古来、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神の鎮座地を求めて旅した時、この地で櫛を落とされたことから「櫛田」の名が付いたとか。これにならって斎王は櫛をこの川に捨て、神に仕える決心をしたと言われています。斎王群行は、より神に近づき清らかな身になるための禊ぎの旅でもありました。強い決意か、最後の涙か…目前に迫った使命に、斎王の心境は穏やかでなかったことでしょう。今は水面がキラキラ輝いて美しい、豊かな水をたたえた川として辺りの地を潤しています。

■斎宮〈1/10模型〉
 (三重県多気郡明和町)


斎宮跡は確定されていませんが、いくつかの遺跡が見つかったのが、三重県明和町。この一帯に斎宮があったとされています。その跡地にある「いつきのみや歴史体験館」では、斎宮の1/10模型などあらゆるもので当時の暮らしを体感することができます。
明和町は、視界を遮る高い建物のない、緑あふれるおだやかな町。ここにあった斎宮は、東西約900m、南北約500m、京都御苑のほぼ半分ほどの広大なものもあったようです。この跡地に立った小田さんは、ゆったりと広がる自然と突然吹いた風に、思わず「気持ちいい〜」のひと言。ひとりの斎王のためにその都度建てられた、斎宮。斎王はその規模の大きさに、自分の使命の重さを胸に刻んだのでしょうか。

■斎宮での暮らし

斎宮での暮らしは、平安の都さながらだったとか。貝合わせや歌詠みなどをして遊び、旬の素材を使った豪華な食事をするなど、華やかな生活が繰り広げられたようです。





小田さんも「いつきのみや歴史体験館」で、斎王の生活を体験。斎王の食事を試食し、十二単に身を包みました。海の幸、山の幸、果物など、旬の料理が高坏いっぱいに盛られた豪華な食事を目の前にして、あまりの品数の多さに「ひとりでこんなに食べれないですよ」と驚きのご様子。また、1時間ほどかけて一枚一枚丁寧に十二単をまとっていった小田さんは、まるで斎王の魂が込められていくかのよう。静かで、凛とした表情に変わっていきました。あでやかなその姿は、番組を見てのお楽しみに。近くにある「斎宮歴史博物館」でも、斎宮の模型やその様子を再現した人形、出土品、文献などが展示してあり、当時の壮麗な暮らしぶりがうかがえます。訪れた小田さんも、じっくり見学していましたよ。

■斎王の森
 (三重県多気郡明和町)


斎宮が「幻の都」と言われる中で、昔の面影を唯一残しているのが、この斎王の森。木々に囲まれた小径を歩いていると斎王たちのいた時代に迷い込みそうな、ノスタルジックな場所です。
現在は、杉の木がたくさん茂る森の中に素朴な丸太の鳥居と斎宮跡の碑があり、周りには掘建柱建物跡や井戸、道路の跡が発掘・復元されています。ここから南東に広がる地に、斎宮はあったと言われています。このあたりは、住宅の他に田んぼや畑、柳並木など、緑の広がる美しい場所。平安の世に思いを馳せながらここでのんびり過ごす休日も、優雅で心地よくてオススメですよ。

■大淀浜(三重県多気郡明和町)

伊勢湾に面する、大淀浜。ここは、斎王たちの食事となる海の幸を採ったり、舟遊びや貝拾いなどをして楽しんだ場と言われています。女官たちとこの浜で遊ぶ束の間に、斎王の心は慰められたのでしょうか。
遠くまで続く白い砂浜が美しい、大淀の浜。波の音に気持ちがかき立てられるような、遠くに思いを馳せるような、深い色をした海が広がっています。そこへ素足で降り立った、小田さん。暑い真夏の撮影だったので、押し寄せる荒波に気持ちよさそうに戯れていました。この美しい浜は、穴場の海水浴スポットでもあるそうですよ。

■業平松(三重県多気郡明和町)

『伊勢物語』の中に描かれた、在原業平と恬子内親王(斎王)がモデルと言われる恋物語。ふたりはこの大淀の地で歌を詠み交わし、別れを惜しんだと伝えられています。
「大淀の松は つらくもあらなくに うらみてのみも かえる浪かな」この歌が詠まれた『伊勢物語』にちなみ、大淀にあった立派な松を「業平松」と呼ぶようになりました。今の「業平松」は横にある「行平松」と同じく、3代目。他にも2〜30本ほどの力強く育った松がある「業平公園」の景色は、大淀八景のひとつとされ、多くの人に愛でられています。叶わなかった、恬子内親王の恋。この切ないエピソードからも、斎王の辛かった立場を想像することができます。

■尾野湊御楔場阯
 (三重県多気郡明和町)


斎王は年に3回、祭祀のために伊勢神宮へと赴きました。そのうち9月の神嘗祭で伊勢へと出かける前、斎王はこの大淀の浜で禊ぎをしたと言われています。
現在は業平松から東へ200mほどの民家の合間に、「斎王尾野湊御楔場阯」と書いた大きな石碑が建てられています。今の海岸線から少し離れていることから、当時の海岸線が内陸にあったことがうかがえます。尾野湊(おののみなと)というのは大淀海岸の古い名前だそうです。