TOYOTA & Panasonic present『もうひとつの歴史』
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伊勢


■伊勢神宮(三重県伊勢市)

「お伊勢さん」「大神宮さん」の愛称で親しまれ、多くの人々の信仰を集めている伊勢神宮。斎王は約10kmも離れた斎宮から、年に3回、3泊4日をかけてこの神宮に赴きました。そして、本来の目的である、天照大神に太玉串を捧げる祭祀をおこなったのです。
正式には「神宮」と呼ばれる伊勢神宮は、伊勢の宇治の五十鈴川上にご鎮座の皇大神宮(内宮)と、伊勢の山田の原にご鎮座の豊受大神宮(外宮)を総じて呼ぶもの。ほかに別宮、摂社、末社など125社で成り立っています。その「神宮」は、他の神社仏閣よりだんぜん静か。多くの参拝客が訪れているにも関わらず、凛とした空気が漂っている、神秘的な場所です。
■五十鈴川(三重県伊勢市)

神宮の西側をちらちらと流れる、五十鈴川。別名「御裳濯(みもすそ)川」と呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすその汚れを濯がれたことから名付けられたと伝えられます。神聖な川、清浄な川として知られるこの五十鈴川で、斎王も身を清めてから参宮されたことでしょう。
内宮への入口で五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界へのかけ橋と言われています。宇治橋の正面から見る大鳥居の堂々とした姿は、雄壮で、感動的。身も心も正して神域に入る、心構えの大切さを感じさせてくれます。檜(ひのき)と欅(けやき)で造られている宇治橋は、20年ごとに新しいものにかけ替えられます。
■おはらい町(三重県伊勢市)

内宮の宇治橋から五十鈴川に沿って、伊勢特有の切妻・妻入り造り(書物を開いて伏せたような三角形の屋根の建物)の町並が続く、おはらい町。昔ながらの土産物店や銘菓の老舗、旅館がずらりと軒を連ねています。斎王たちもきっとこのあたりを通ってお詣りされたのでしょう。
おはらい町の朝。開店前早くにすべての店がきれいに掃除をして玄関前に水を打ち、まるでお正月のような神聖な雰囲気が漂っています。これは、自分の施しが神に届きますようにと「おかげの心」で旅人をあたたかく迎えた、伊勢人の心の表れ。その心にちなんで作られた「おかげ横丁」も、今ではおはらい町の人気スポットです。明治初期の町並が復元されており、おしゃれな染物屋やキセル屋、ケーキ屋、なかには魚一匹丸ごと試食させてくれるユニークな干物屋があったりと、ここで老舗の味、歴史、風習、人情まで、伊勢の風情を一度に味わうことができます。



  『京へと帰る旅路』
 斎王がその任務を解かれる時。それは、天皇の譲位、崩御、近親者の不幸、また自らの病や罪を犯した時でした。斎王が任務を終えて都に帰ることを、退下(たいげ)と言いました。退下の帰京路は、基本的に往路と同じ、鈴鹿・近江ルート。しかし、不幸な理由(凶事)の場合には、往路とは違う伊賀・大和路を通って京に戻ったのです。この時、難波津(大阪湾)で禊ぎを行い、ひっそりと都に入るのがきまりでした。

 斎王としての命を与えられたことで、運命に翻弄された、悲しい女性たち。さらに歴史にも埋もれてしまった彼女たちの存在は、決して無駄なものではありませんでした。実際に、斎王制度が盛んな頃に、この日本の世の中で大きな争いは起きなかったのですから。

 斎王のゆかりの地をめぐり旅をされた小田さんは、「斎王さんたちは、たくさんの制限のある暮らしを強いられ、どれだけ大変でつらかったんだろうと思うけど、図り知れませんね…」そう言って、長いまつげの奥で、せつない目をされていました。時空を越えて触れたことで、斎王の謎が少しときほぐされたようですが、肌で感じた悲しみの向こうにあるものは、一体なにだったのでしょうか。今の世に送る斎王のメッセージを、番組とともに見つめてみてください。