お墓から見たニッポン

3月6日 (金) 夕方 5:25~

#1 平安時代~
「なぜ敵味方の武士が同じ寺に眠る?」平敦盛と熊谷直実

3月20日 (金) ・㊗ 夕方 5:25~

#3 幕末維新~
「坂本龍馬の墓の謎」
歴史の偉人の墓を訪ね、日本人の死生観はどんな風に変遷してきたのか?庶民たちは死者とお墓にどう向き合ってきたのか? お墓から見えてくる「知られざるニッポン」の姿とは?
坂本 七菜 テレビ大阪アナウンサー TKO 木本 武宏 朽木 量 千葉商科大学教授 カジポン・マルコ・残月
MC GUEST

#2  戦国時代

「天下獲りの秘密はお墓にあり?」信長と秀吉

#2 戦国時代

先週から3週にわたって歴史の偉人たちのお墓を訪ねて墓の在り方を感じ、また庶民のお墓がどう変遷してきたかを学んで、 改めて日本人の死生観を学んでいこうという番組です。

#2では「戦国時代」のお墓を見ていきたいと思います!
みんな大好き戦国時代!そんな戦国時代の武将の中から、誰もが知っている超BIGな2人、織田信長と豊臣秀吉の墓を参ります!

この番組では知られざるお墓を歴史を通して忘れたくない日本の心を再発見していきます。

阿弥陀ヶ峯の山頂にある豊国廟

「なぜ秀吉の墓は京都にあるのでしょうか?」

現在の秀吉の墓は、京都市内の阿弥陀ヶ峯の山頂にあり、豊国廟と呼ばれています。

家康の時代になると、徳川の敵の豊臣家ということで、手つかずの状態で荒れ放題でした。

徳川時代が終わり、明治に入ると、秀吉の墓を復興させる動きが起こり、 山の中腹にあった墓を頂上に移し再整備が行われ、改めて墓が建てられました。

この墓石を設計したのは、築地本願寺や橿原神宮、京都の祇園閣の建築をした伊東忠太でした。

しかし、なぜ秀吉の墓は京都にあるのでしょうか…?

信長のお墓

「信長の墓の謎」

戦国時代のカリスマ、織田信長。

しかし、本能寺の変で家臣の明智光秀の謀反に合い討たれます。その報を聞き、すぐに本能寺に駆け付け、信長の骨を持ち帰った人物がいたといいます。その人物が建てた墓が今もほぼ当時のまま残るお寺、それが…。

実は、信長の葬儀を巡り、織田家の筆頭家老・柴田勝家と争いにまで発展したましたが、 結果、喪主を務めたのは秀吉でした。その後、秀吉は天下獲りの道を歩んでいくのでした。

この時代の庶民のお墓のあり方について

「戦国時代の庶民の墓は?」

この時代の庶民は、皆で1つの大きな五輪塔を建て供養をするようになりました。

ただ、地侍や国人層や裕福な庶民などは、小さな「一石五輪塔」 と呼ばれるものを 個々の埋葬地の近くに置いて個人を供養するといった方式も登場してきました。

現代と同じく、近しい人の供養は、自分たちでやりたいという思いがあったのでしょう。

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