
歴史上の偉人たちや庶民のお墓を、民俗学・考古学・脳科学の観点から改めて掘り下げていくと、当時の日本人たちの想い・感情など「知られざるニッポン」の姿が見えてきます。
season9では、歴史上の人物たちは、何を信念としていたのか?また庶民たちは、戦乱や大災害の時代にどんな「信念」を持っていたのか?
お墓から見えてくる当時の想いを、考古学・民俗学・脳科学の視点で感じ取り、新たなニッポンの歴史を探り出していきます。
天正19年(1591)、利休は突如秀吉の逆鱗に触れた。大徳寺の山門修築の事業で楼門・金毛閣を寄進。その落成にあたって利休が書かせたのが「千門萬戶一時開」の一偈。この文に秀吉が激怒。利休の影響力が自分の影響力を超えていると考えたという。利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられる。享年70。墓は、自分と妻のために生前に建立していたのだった。
この大徳寺内には、聚光院のすぐ横の総見院に信長の一族のお墓が並んでいる。秀吉が信長の一周忌に建てたものだ。秀吉と関わった者たちと織田信長。想像が膨らむ。
利休は馬が合わない秀吉にいずれ殺されるだろうと予感していたからこそ、生前に墓を建て、その場所は最初に自分を引き立ててくれた恩義がある信長の側で眠る方がいいと。
相撲(角力)は古来から歴史があり、戦国時代には織田信長が安土城内で1500人もの力士で相撲大会を開いた記録も残っている。江戸時代になると江戸、京都、大坂では職業力士の大会も開かれるようになった。一方、地方の村では農民や商人たちが力士となり「勧進相撲」が盛んに開かれるようになった。
滋賀県守山市赤野井には、「村相撲のヒーローだった力士」の墓が残されている。
亡くなった力士の仲間の青年団が、追悼のための「チャリティ角力大会」を催して、それに共感した人たちからの売り上げで墓碑を建てたのだ。明治・大正期に入ると、日本人に脈々と受け継がれてきた「助け合いの精神」が、仲間うちだけでなく他人にも広がっていくことがわかる。そして、その精神が現代のチャリティやクラウド・ファンディングなどにも通じているのではないだろうか。
お墓を見れば
「日本の庶民の本当の歴史」が見えてくる
庶民の「燃え尽きぬ信念」とは、「生きていくこと」そのもの。どんな時代であっても食べていくことが最優先。戦乱の時代では「仲間との協力」、平和な時代では「他の人たちの協力も得る」、また大災害のときには、「後世の人々のことも」考えるようになる。それが「証」として後世の私たちが知ることができるのが、お墓の素晴らしさかもしれない。
カジポン・マルコ・残月さんのように、歴史上の偉人の墓を巡り、故人に想いを馳せる人。
カジポンさんは37年間で101カ国、2520人もの偉人のお墓を訪ねた筋金入りの墓マイラー
墓マイラー・カジポンさんの独特のお参り方法で、墓石に直接触れ感謝の気持ちを伝えている。
歴史ファンの中野信子先生も、特にその行動原理が聞きたいとソウルトークに挑戦!?どんな答えが!?