歴史上の偉人たちや庶民のお墓を、民俗学・考古学
・脳科学の観点から改めて掘り下げていくと、
当時の日本人たちの想い・感情など
「知られざるニッポン」の姿が見えてきます。
今回のseason8では、
動乱の時代にこそ生き生きと輝いた男たち、
そして動乱に巻き込まれた庶民たちのお墓から
見えてくる当時の想いを感じ取り、
新たなニッポンの歴史を探り出していきます。
「木」の墓標の元就の墓がある。
考古学者の朽木教授も珍しい墓という。
ハリイブキという中国原産の木で白っぽい色が特徴だが、今は枯れていて隣の木に支えられている。
ハリイブキには「この木にに花が咲けば村が栄える」という伝承があることから、墓を建てた孫の毛利輝元が、元就の想いに相応しいと考えたのではないだろうか。
元就の墓の側には、百万一心の碑が建っている。
城の改修時、元就が人柱の代わりに「百万一心」と彫った石を埋めさせると難工事が上手くいったという。文字を分解すると『一日 一力 一心』と読むことができ「日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする」ことから「皆で力を合わせれば何事も成し得る」という一致団結の大切さの教えとされている。
半生を振り返った時の彼の言葉
『まだ若かったのに大方様は自分のために留まって育ててくれた。私は大方様にすがるように生きていた』
動乱の戦国時代を生き抜いた毛利元就の原点は杉大方から得た無償の愛だっのかもしれない。
「いつ巻き込まれて死ぬかもしれない」という時、庶民たちは石仏や墓にどんな思いを込めたのだろうか?
山の辺の路~長岳寺(奈良県天理市柳本町)
824年、空海が開山したとされる長岳寺。
本堂前の細長い笠塔婆には二人の僧の姿が彫られ、一人は合掌して一方の僧を拝んでいる。元亨二年(1322年)の年号と「行春」の名も。
師匠に合掌して拝む僧が行春で、造立者自身が彫られているのは非常に珍しい。「尊敬する師匠の死を悼み供養するための笠塔婆に自分を登場させることは通常ではあり得ない」と朽木教授はいう。それだけに見ている者の想像を刺激する。
1322年頃は、後醍醐天皇が打倒鎌倉幕府を打ち出し、“動乱の時代に突入するかも”という庶民たちの危機感が背景にあり、行春が中心となり在家の信者たちと協力して建てたのではないか。
その代表として拝む姿を刻むことで、
「いずれ動乱に巻き込まれても、師匠との絆や一緒に建てた仲間との絆とともに残された人生を全うする」という誓いを表しているのかもしれない。
動乱期になると家族や親族だけでなく、地域の仲間たちとの「絆」を意識している事がよくわかる。
カジポン・マルコ・残月さんのように、歴史上の偉人の墓を巡り、故人に想いを馳せる人。
カジポンさんは37年間で101カ国、2520人もの偉人のお墓を訪ねた筋金入りの墓マイラー。
墓マイラー、カジポンさんの独特のお参り方法。
墓に直接触れ、感謝を伝えるソウルトーク。
今回は毛利元就のお墓に、吉田松陰、木田孝允らの写真をあてて何かを伝えています。一体なにを!?
次回8/20(火)ひる2時35分…
孤高の剣豪「宮本武蔵」の墓の秘密に迫ります‼