
歴史上の偉人たちや庶民のお墓を、民俗学・考古学
・脳科学の観点から改めて掘り下げていくと、
当時の日本人たちの想い・感情など
「知られざるニッポン」の姿が見えてきます。
今回のseason8では、
動乱の時代にこそ生き生きと輝いた男たち、
そして動乱に巻き込まれた庶民たちのお墓から
見えてくる当時の想いを感じ取り、
新たなニッポンの歴史を探り出していきます。
「武蔵神社」の石段を登ると、拝殿が見えてくる。その奥に武蔵一族の墓が広がっている。武蔵の墓は、養父の平田無二斎と母の墓の隣に並んで建てられている。
生涯60数度の勝負に全て勝利した剣豪・武蔵に相応しい自然石の墓。
養父で無二斎の生誕地で、武蔵の「五輪書」にもこの近辺の播州平福で13歳のとき、最初の決闘をしたとあり、少年時代を過ごした地に武蔵の墓は建てられている。
養子・宮本伊織(1678年没)が、ほぼ故郷に帰ることが無かった武蔵を「両親の元に返してあげよう」と尽力し、熊本弓削の“東の武蔵塚”から分骨されたとする説がある。
「いつ巻き込まれて死ぬかもしれない」という時、庶民たちは石仏や墓にどんな思いを込めたのだろうか?
大阪府豊能町には、「多尊石仏」が多く残っている。戦国時代、明智光秀が織田信長の命で丹波攻略を仕掛けていた頃、庶民たちによって建てられた「多尊石仏」だ。
高さ110㎝、幅130cm程の自然石の板状岩に22体の石仏と三基の五輪塔が彫られている。4段の最上段には定印阿弥陀座像、右に観音菩薩、 左に地蔵菩薩が配置されている。脇侍の右隣に2体、下三段に17体と計19体の同じ様な円頭合掌像が並んでいるが、これは地蔵を表しているものと考えられる。
みんなでお金を出し合った逆修仏(生きている内に死後を供養する)で、
総員22人の造立主という非常に珍しいものだと朽木教授は言う。
さらに珍しいことに、3つ彫られている五輪塔は出来上がる前に亡くなった3人で、亡くなった仲間も見捨てる事なく、石仏の中に入れている。村の仲間の“強い絆”が感じとれる。動乱期になると家族や親族だけでなく、地域の仲間たちとの「絆」を意識している事がよくわかる。
石仏には天正八年(1580)の文字が彫られているが、この年を境に多尊石仏は建てられなくなった。
その前年の天正七年、光秀の丹波平定が終わり、織田信長による天下統一が見えてきた時期でもある。当時の庶民たちも来世ではなく、現世に希望を感じ始めたのではないだろうか。
カジポン・マルコ・残月さんのように、歴史上の偉人の墓を巡り、故人に想いを馳せる人。
カジポンさんは37年間で101カ国、2520人もの偉人のお墓を訪ねた筋金入りの墓マイラー。
墓マイラー、カジポンさんの独特のお参り方法。
墓に直接触れ、感謝を伝えるソウルトーク。
今回は宮本武蔵のお墓に、塚原卜伝、上泉信綱、
柳生十兵衛、沖田総司、岡田以蔵、千葉周作など
総勢6名の名だたる剣豪の写真をあてて何かを伝えています。一体なにを!?
お墓の表情をいろいろ見るため、墓マイラーの墓参りはできるだけ違う季節・時間に行く。
四季×朝・昼・夕の12回は見に行くのが理想。
次回8/20(火)ひる2時35分…
孤高の剣豪「宮本武蔵」の墓の秘密に迫ります‼