‘先祖を供養する’
日本人には脈々と受け継がれてきた言葉だが、21世紀の今、それが急速に失なわれつつある。
「なにか分からないことに対する不安」「生きていくことへの漠然とした恐怖」を感じる人たちが急増している日本の現実と、
“先祖を供養する”ことが失われていく現状が重なる。
お墓詣りは「先祖に感謝」し、「これからも私たちを守ってください」という未来につながる祈りの場。
そして、なぜか心が洗われ穏やかな気持ちに。
SEASON6では、「先祖との絆」に隠された日本人の心を脳科学から解き明かしていく。
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戦国一の梟雄【松永久秀】
(1508-77)▼三好長慶に仕えていた久秀だが、長慶が亡くなると、東大寺大仏殿を焼き払い、息子久通が将軍義輝を殺害するなど『極悪非道の武将』と呼ばれ、大混乱する畿内の中心人物となっていった。
▼永禄11年(1568)、新将軍・義昭を奉じて上洛を目指す信長に久秀は協力。26歳も上の久秀を信長は信頼するが、突然、久秀は信長を裏切る。ここから信長と久秀の奇妙な関係が始まった。
なぜ信長は久秀を何度も許した?
▼歯向かう相手は絶対に許さない残虐なイメージの信長だが、意外なことに、裏切った相手に何度も翻意を促したり、寛大に済ますという戦国時代の常識ではありえない甘い処分を下すことが多々あった。
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松永久秀の墓【達磨寺】
(奈良県北葛城郡)松永久秀の墓は「無縫塔」と呼ばれる僧侶や茶人の多くに使われている卵型の墓。
墓を建てたのは大和の支配を巡って 争っていたライバルの筒井順慶。
そう聞くと「死ねば恨みなし」という一見いい話に聞こえるが、 実は達磨寺は、松永久秀によって一度焼き払われた過去がある。
久秀に恨みを持っていたかもしれない達磨寺に、筒井順慶がわざわざ埋葬したのは偶然だろうか…。 -
【千日墓地】
(京都府木津川市)鎌倉時代、永仁6年(1298)に建てられた「十三重塔」は国の重要文化財。建てられた当時は、この墓地の総供養塔の役割を果たしていた。塔の下部には小さな穴があり、そこから故人のお骨を投げ入れていた。「仏塔に骨を入れることで結縁し、そのご利益で救ってもらう」という教えがあったからだ。
そこから時代を経て、塔の周りに墓を建て始めて今に至る。
現在も、この塔の周りにある先祖代々のお墓を大切にしてきた家族がいる。