
歴史上の偉人たちや庶民のお墓を訪ね、
日本人の死生観はどんな風に変遷してきたのか?
庶民たちは先祖とお墓にどう祀ってきたのか?
お墓から見えてくる「知られざるニッポン」の姿を探り出し、
「人は誰もが歴史に参加している」の
“意味”を解き明かしていきます。



才能に恵まれながらも栄光を
つかむことのできなかった者たちの姿を追う


【新選組】
1862年将軍徳川家茂の上洛時に警護する「浪士組」として始まる。その後、「壬生浪士組」「新選組」と名を変え、京都守護職の松平容保から尊王攘夷や倒幕を唱える藩や浪士の取締りと京都市内の治安維持を任じられる。
1864年、京都三条木屋町の旅籠池田屋に潜伏していた長州藩、土佐藩など尊王攘夷派の志士たちを襲撃し9名を殺害、20名を捕らえた「池田屋事件」で新選組の名は天下に轟いた。
暗殺・拷問・内部粛清を繰り返し、京都の町衆を震え上がらせた新選組だが、近藤勇、土方歳三など農民出身者が多く、武士に憧れ剣術の道を選び、武士として認められることを望んでいた。

粛清された隊士と戦死者の墓が…【壬生寺】
幕末、寺の北側にある八木邸が新選組の屯所(本拠地)となり、境内が兵法調練所に使われた。
新選組隊士の墓である壬生塚が残っているなど、新選組ファンの聖地となっている。
刀傷が残る八木邸
新選組の屯所だった八木邸。初代筆頭組長だった芹沢鴨と平山五郎が暗殺された場所として有名で当時の刀傷が残っている。 事件は、長州藩の仕業とされ、翌日には近藤勇を葬儀委員長として盛大に葬儀が行われた。しかし、実行犯は土方歳三、沖田総司などで、派閥争いからの内部粛清だったといわれている。

一つの村で4つの葬法
【桜井市上之郷小夫】
小さな村なのに2つの異なる場所に埋墓、参り墓は4か所に分かれている。その理由は神社の存在があり、葬儀の行列が神社を跨いではいけないとの習俗からこのような形態になったと考えられている。
馬場垣内地区と東垣内地区は村内に隣接両墓型墓地があるが、上垣内と桑垣内地区は村内に石塔墓地がるが、埋墓は隣村にある。
この墓の成り立ちを伝聞で聞いている人たちがいる。代々の墓を守っている彼らから「先祖の存在」や「先祖をどう祀ってきたのか」など詳しく話を聞く。

今回は、芹沢鴨暗殺シーンを
カジポンさんが実演するという…
暴挙?快挙?
新選組には強い思い入れがあるカジポンさん!!
八木邸に入ると、刀傷の場所などガイドさんのような説明が始まりました。
すごい熱量でしゃべりまくるカジポンさん。どんどんヒートアップしてきて、ついには、暗殺場所で実演が始まりました!
本当にありがたいのですが…
「新たな傷を付けないでよ~」と
出演者・スタッフ全員が心の中で祈っていました。
放送をお楽しみに!!
関ヶ原の合戦場に眠る
「大谷吉継」の墓は
数々の感動エピソードが!!
その秘密に迫ります!!