太平洋戦争の終戦から15日で78年。大阪市内でも様々な戦争の歴史が語り継がれています。
2023年で69回目をむかえる京橋駅空襲の慰霊祭。太平洋戦争の末期1944年の12月から終戦をむかえる1945年8月にかけて、大阪ではおよそ50回の空襲がありました。
この京橋周辺は「大阪砲兵工廠」という軍需工場があったことから、終戦前日1945年の8月14日にアメリカ軍のB29爆撃機が1トン爆弾を投下。京橋駅の片町線ホームを直撃し、500人以上が犠牲になったと言われています。
【慰霊祭に訪れた人】「すごかったよここは。頭から血を流している人が倒れていた。いまだにその様子を忘れられない。今日は自分の生き命日だと思っている」
【慰霊祭世話人】「我々戦争を知らない世代のものが引き継いでいってご慰霊を続けていくこととともに平和の祈念の場としていきたい」
この慰霊祭は新型コロナウイルスの影響もあり、参加者は以前の400人ほどから半分程度に減少。参加者が少なくなる中、空襲の体験者やその遺族らが語り継ぐ貴重な場として、これからも続けていきたいということです。
京橋駅空襲の痕は京橋駅にほど近い大阪城にも残っています。この石垣、よく見ると一部が欠けています。
【大阪天守閣学芸員】「穴がへこんでいるような跡があります。機銃掃射の跡だと推定しているもの」
このあたりも爆撃や機銃掃射があったことがわかる場所だと言います。さらにこちらは天守台石垣の爆撃被害跡。石垣を見ると位置がずれています。
【大阪天守閣学芸員】「あの角の石の大きく崩れているところが爆風の被害があったところになります」
そのすぐ近くにも被害の影響が残っています。
【大阪天守閣学芸員】「天守の東面、爆風の被害で大きくずれていることがよく分かるところになっています」
ほかにも大阪城には空襲の跡が分かる場所があり、誰でも見ることができます。取材したのは戦争をあまり知らない20代前半の記者。取材を通して感じたことは?
【記者】「身近なところに戦争の痕があることを実感しました。同時に、私たちの世代も戦争について語り継いでいくことの大切さを痛感します」