失敗を恐れず16年!【徳之島コーヒー奮闘記】 ひたむきな生き様の男のもとに集まる人々

失敗を恐れず16年!【徳之島コーヒー奮闘記】 ひたむきな生き様の男のもとに集まる人々

https://youtu.be/DaEt7Bkn7pg

ここはコーヒーの森に作られた森の焙煎所。作ったのはこの方。宮出珈琲園の宮出博史さん。難しいとされる国産珈琲づくりに挑んで16年になります。

舞台は鹿児島県奄美群島の徳之島。淡路島の4割ほどの大きさに2万4000人の人が暮らしています
記者「ハブいないですか?」 宮出さん「いない。マムシだけ。」「死にはしない場所」

目標は奄美群島をコーヒーの産地に育て上げること。壮大な夢に人生をかけた男性の波瀾万丈をご覧あれ。
5年前。宮出さんは大阪で飲食店を経営していました。しかし、この日を最後に徳之島と大阪の2拠点生活をやめて、徳之島でコーヒーづくりに没頭することに。

宮出「2時くらいに子供が見送りにきてれくれる。今までも行ったりきたりあの子らからしたらまたや。すぐに帰ってくるわ、みたいな」

移住のため用意できたお金は10万円。そのうち8万円はすぐにフェリー代に消えました。41歳。たった一人の旅立ちです。

宮出さんが珈琲栽培を始めたのは30歳のころ。店で提供するコーヒーを自前で作れないかとおもいたったのがきっかけでした。徳之島の親戚の土地を貯金で購入。2500本のコーヒーの木を4年かけて収穫できるまで育てあげた矢先、台風でコーヒーの木がすべて折れてしまいました。

宮出さん「全滅してなんだろ…ハマったというか。珈琲道にハマってしまった」

なんと、さらに貯金をつぎ込み土地を買い足しました。

宮出さん「どうやったら生き残るんかなと思ったときに、もともとどういったところに生えとったんかと調べて、大きい木に守ってもらいながら育ってたものなんですけど、試したらいいのが案の定いいのができてきたんで、あー、なるほど〜という」「やるもんじゃないです。やるもんじゃない」

実はコーヒーは栽培できるエリアが限られています。コーヒーベルトと呼ばれる赤道を中心とした亜熱帯・熱帯地方で日本の徳之島はわずかに入っていません。

記者「(木一本で)珈琲豆てどれくらいとれるんですか?」宮出さん「15杯くらいとか」記者「15杯?」

宮出さん「15杯しかとれない。豆だけで出荷しちゃうと。木が大きくなって、倍くらいになったとしてもしれていると思います。それだけで生産者が食べていくのは難しい。産業にならない」 命綱は月およそ13万円の役場の仕事。大阪の家族に仕送りをすると、手元に残るのはわずか8000円です。

宮出さん「でも徳之島って生きていけるよね。人がなんとか助けてくれる。まじめにさえいれば」
芳村さん「(手を開いて)ものをもらうよね。(閉じていたら)だれも物を置かない。意味わかる?手をひらけばちゃんと人は物を置く」
宮出「おいしいコーヒーの淹れ方とかはあるんですよ。本屋にいったらいくらでも。 育てる本はない。なんで実験なんですよ。トライアンドエラー。お金ですぐに解決できないのがおもしろかったんですよ、僕の中で」

東京にやってきた宮出さん。どうやら出稼ぎにきたよう。「うん、おいしい!」「花茶とカスカラティーと豆茶ください」飛ぶようにうれていたのはコーヒー豆ではなく、コーヒーのお茶!?実はコーヒーの葉を使ったお茶を独自に開発。豆だけでなく実や花でもお茶をつくり、一本のコーヒーの木からとれる収益をあげようという狙いです。「珈琲の木のオーナー制度」や収穫体験もスタート。大阪あきんど根性、ピンチを乗り切れるでしょうか。

ところがそこに襲ったコロナ禍。イベントや交流も減ったうえ、役場の仕事も契約が満了、借家から出ることになったといいます。

記者「家、決まったんですね」
宮出さん「決まってないです、森の方に引っ越したいんですよ。あそこに暮らしをつくりたいんですけど、どうしても家が居心地がいいから、いかなくなるから。追い込まんと。小屋をつくってそこのに寝泊まりしようかな」

とうとう家無し。一体、どうなる?
あれから2年。珈琲栽培は続けられているのか。宮出さんに呼ばれた先は徳之島ではなく、なぜか奄美大島。

宮出さん「奄美群島をコーヒーの産地に本気にしようというので苗づくりをする場所。10万本をここで作ってしまおうと思って」

なんと宮出さんの活動を知った実業家から奄美大島で珈琲栽培をしないかと申し出があったというのです。2030年までに奄美群島全体で10万本の珈琲栽培をする目標に向け動き出していました。徳之島の方も、栽培は順調。奄美大島が軌道に乗るまで、宮出さんは本拠地の徳之島から頼りになるスタッフを呼び寄せていました。でも実は彼、お給料は一円ももらってないそう。一体、どういうこと?

宮出さんのところにはホームスティをしながら農業体験をするファームステイの希望者が後を絶ちません。なかには休学して数ヶ月もファームステイをする学生も。

記者「何学部ですか?」学生「食マネジメント学部 (宮出さんは)まさに」前沢「きっかけはコーヒーだとおもいますけど、でもこうやって人がいるのはコーヒーだけじゃないですね。絶対ね」上田「宮出さんだから、てところあると思います」

その夜、奄美の合宿所では…。布を緑色に染めていたのは、なんと珈琲豆。1年以上試作を繰り返していたそう。

前沢「だってこれインクですもんね」宮出さん「水性インク。コーヒーインク」

翌朝。早速、宮出さん動きます。やってきたのは地元の工芸品、大島紬の工房です。

「これがコーヒーの緑の・・・。焙煎とかじゃなくて、すごいあおい匂いがする」

大島紬とは奄美群島の伝統織物です。原料の絹糸は奄美地方に生息する植物の液と泥に含まれる鉄分で染めています。つややかな色合い。緻密を極める織り作業。別名、着物の女王。日本最高峰の絹織物です。はじめさんは高級車のフェラーリとコラボするなど大島紬の魅力を世界に発信しています。コーヒーからできた緑色の染料はどう評価されるでしょうか。

はじめ「これだけで十分おもしろいですけどね。緑?え、なんで緑なの?イメージは茶色だから茶色の方がいいのかな、とか。赤い実だから赤い方がいいのかな、とか。大島紬がいろんな色のストライプでできて、これ珈琲の木ひとつで葉っぱの何色です、実のカラーですとかできればすごくおもしろい」

はじまったばかりの国産珈琲栽培。産業へと育てるための道標はどこにもありません。しかし、その試行錯誤が人を惹きつけていました。

学生「失敗してもトライアンドエラーで重ねていってちょっとずつつくっていくみたいな。そういうところがすごくおもしろいなって思います。」

でも珈琲栽培に挑んだ16年は決して生半可な年月ではありませんでした。

宮出さん「破産もしたし、差し押さえられたり。いろいろ経験しといた方がいいんじゃないですか?だって、失敗した人の話、むっちゃおもしろいじゃないですか。成功した人の話きいて、おもしろいですか?この人、どうやって生き延びてきたんやろうという人の話がおもしろい。」

何があっても決して失敗を恐れない。宮出さんのコーヒーの木は今も成長を続けています。

 

 

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