ザ・フィッシング > 2004年放送一覧 > 11月13日放送
釣り人は大阪在住のエキスパート中本嗣通と愛媛在住のベテラン渡部裕二。今回は大阪の中本が渡部のホームグラウンドである菊間町の堤防を訪れる。 「今日は釣ったカレイを活かしておいて私の釣り仲間のすし屋に持ち込んでにぎり寿司にしましょう」この提案を聞いた中本は目を俄然、ヤル気を出す。 二人が上がったのは田之尻の一文字。地元では早期のカレイ釣り場として定評がある。 早速、準備にとりかかる二人。渡部がまだ準備を整えている最中に中本の声が響く。「来た!第一投!カレイですわ」なんと25cmのカレイが一投目に来た。「まだまだこのサイズやと唐揚げでんなあ(笑)」 |
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やがて朝から流れていた潮が緩む。潮の変わり目はチャンスである。「来ましたよ!」渡部の竿が曲がる。上がってきたのは34cmのカレイである。「これで握りが食べられます」喜ぶ渡部を尻目にまた中本にヒット。上がってきたのはナント42センチのチヌ。 その後も二人は順調に釣果を伸ばしクーラーはカレイやチヌで一杯に。帰港後、二人は寿司屋へと車を走らせた。 |
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【出演者】 中本 嗣通(なかもと つぐみち) 渡部 裕司(わたなべ ゆうじ) |
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【取材地連絡先】 フィッシング今治 0898−32−6112 |
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【タックル図】 図をクリックすると拡大版が表示されます
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普段、釣り人は何気なく釣り道具を使っている。 しかしそういった道具も多くの年月を経て、今に至っている。つまり歴史がある。 昔の釣り道具に興味をもったゆうちゃん。今回はそういうものにふれるため、釣り文化資料館に向かった。 ここは散逸の危機に瀕した伝統道具や釣り関係資料を後世に残すため、週刊釣りニュースが1989年に開設した。初代社長の船津重人(ふなつ しげと)氏が収集したり、寄贈されたおよそ1000点の道具類が所狭しと並んでいる。 案内してくれたのはこちらの米木豊実さん。 「へえー」と言いながら見て回るゆうちゃんが最初にひかれたのが美しい竿。 昭和40年代の中通しの沼津竿だ。竿師の故・山田茂氏の手により、機能性と芸術性優雅さをあわせ持つ。 持たせていただくと思ったよりも長い。 米木さんによると約4m50cm。感触はとてもしなやかで柔らかい。数本の竹をつないで一本になっているが、たくさんの竹の中からつなぐのに合うもののみを選んであるという贅沢ぶり。 もう市場には出回っておらず幻の逸品だ。 |
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続いて足を止めたのはカッタクリ鉛。鉛に針をつけただけのシンプルな仕掛けだが、要は現代のジギング。 ゆうちゃんは感心しきり。 |
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そして、高さ3mほどの脚立のようなものが一つ。 不思議そうに見上げるゆうちゃんが米木さんにうかがうと、昭和初期、東京湾の初夏の風物詩であったアオギス釣りに使った脚立だった。横には長いビクが。これは釣れるまで下ろしてはいけない暗黙のルールがあったそうだ。 昔の釣り道具の奥の深さにふれ、感動いっぱいのゆうちゃんでした。 次回はハゼ! |
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フィッシングロケ日記 11月放送分 | ||
釣り文化資料館に行きました。 昔ながらの日本古来の釣り道具がいっぱいありました。同じ道具なのに地方それぞれ独特のものとか、本当に本当に古いものがあったりしました。 すごくショックなことも。 昔の人が使っていた擬似餌がありまして、これは日本製のルアーみたいなものだったんですが、これがただの鉛のおもり。 よく見たら○○グラムって書いてある。 今でも単なるおもりとしてあるやん、みたいな。 そんなものをルアーとして使っていたんですね。 いわゆるジギング用のルアーですね。 昔の人は偉いなと思いました。今みたいにいろんな柄がなくても、これで釣ってたんだなと。わがままを言っちゃいけない、贅沢を言っちゃいけない、色がどうのこうのとか言っちゃいけない、と思いました。腕を磨こうと思いました、ハイ。 |
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