お墓から見たニッポン シーズン7 時代を彩った女たちそして「孝養」親への思い

シーズン7 時代を彩った女たち 孝養 ~親への思い~

今回は「時代を彩った女たち」がテーマ。
教科書でしか知らない歴史上の彼女たちがその時代を
どう生きてきたのか?お墓を訪ね、彼女たちの真実を紐解いていく。

後半は人間だけが持つ特性「孝養~親への思い」がテーマ。
平安~江戸時代の庶民の墓を目の前にすると、当時の人々の「亡くなった肉親への思い」が現代を生きる私たちと何一つ変わらず、その気持ちが痛いほど胸に迫ってくる。

庶民たちは肉親のお墓とどう向き合ってきたのか?
考古学・民俗学・脳科学の視点からお墓を見てみると
知られざるニッポン」の姿が…。

  • フリーアナウンサー 坂本七菜
  • 脳科学者 東日本国際大学特任教授 中野信子
  • 考古学者 千葉商科大学教授 朽木量
  • 墓マイラー カジポン・マルコ・残月
お墓から見たニッポン エピソード2は、平家物語の悲劇のヒロイン、春日局をピックアップ。教科書でしか知らない歴史上の彼女たちがその時代をどう生きてきたのか?お墓を訪ね、彼女たちの真実を紐解いていく。

エピソード3 春日局

春日局

春日局(斎藤福)
(1579~1643)

  • なぜお江 VS 春日局が生まれたのか?

    「後の「春日局」=「お福」は将軍・徳川秀忠と江の嫡男・竹千代(後の家光)の乳母に。お福は竹千代をわが子のように大切に育て上げたが、お江夫婦は聡明で活発な国松を溺愛し、ゆくゆくは将軍にと画策を始めた。竹千代を不憫に思い、お福は家康に「どうか竹千代様を将軍に」と直訴した。江戸城に来た家康は竹千代を上座に呼び寄せます。その時、つられて上座に上がろうとする国松に家康は一喝。「上座に上がるのは将軍のみである」。 家康は暗に秀忠夫婦に嫡男を蔑ろにするなと告げたのでした。これにより三代将軍は竹千代に決まり、お福はお江とのバトルに勝利し家光にも影響力を持つ“女帝”になりました…。」 という話ですが実際には!?

春日局の墓

春日局の墓
(金戒光明寺:京都市左京区黒谷)

  • 同じ場所に「お江」の墓も!?

    金戒光明寺の墓地には春日局のお墓が建っているが、近くには巨大な墓がそびえたっている。それは寛永3年(1626)54歳でなくなったお江の墓で、実は春日局が建てたという。

  • 辞世の句には…

    「西に入る 月を誘い 法をえて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」 寛永20年(1643)64歳で亡くなった春日局の辞世の句。その意味は、
    「西の方に没していく美しい月を心にとどめ、 仏の教えに従い、やっと今日悩み多いこの世から逃れられることができます」
    大変だったけど、やれることは全てやりました!という達成感を感じる、まさに春日局らしい句ではないでしょうか。

庶民の墓 season7のテーマは
「孝養」~親への思い

勝龍寺

勝龍寺
(京都府長岡京市)

  • 全国の庶民の墓を2万基以上見てきた朽木教授も初めて見たという「六親眷属」(ろくしんけんぞく)の文字が刻まれた江戸時代中期、享保18年(1733年)のお墓。「六親眷属」とは「自分の身内・家族」という意味で、自分の両親・兄弟・そして今の家族である妻子など一族すべてを指している。中世では、両親への孝行としてのお墓が、江戸時代中期になると、両親だけではなく、家族・身内みんなを意識して建て始めるのがポイントで、子孫繁栄の願いも込められているため、江戸時代後期に出始める「先祖代々の墓」に繋がっていったと考えられる。

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