‘先祖を供養する’
日本人には脈々と受け継がれてきた言葉だが、21世紀の今、それが急速に失なわれつつある。
「なにか分からないことに対する不安」「生きていくことへの漠然とした恐怖」を感じる人たちが急増している日本の現実と、
“先祖を供養する”ことが失われていく現状が重なる。
お墓詣りは「先祖に感謝」し、「これからも私たちを守ってください」という未来につながる祈りの場。
そして、なぜか心が洗われ穏やかな気持ちに。
SEASON6では、「先祖との絆」に隠された日本人の心を脳科学から解き明かしていく。
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戦国乱世を象徴する男
【荒木村重】(1535-86)▼元亀元年(1571年)将軍足利義昭や三好三人衆、謀叛した松永久秀らによる信長包囲網に苦しめられていた信長の元に、摂津の池田氏の家臣だった荒木村重が急接近する。
▼この村重の忠節は、畿内の勢力図が一変するほどのインパクトがあり、信長は村重に広大な摂津一国を任せ、村重は信長の重臣としての地位を築いた。
なぜ信長は村重に謀反されたのか?
▼中国の毛利氏攻略の足掛かりの播磨を攻略してきた村重や山陰から攻略していた明智光秀を飛び越え、天正5年(1577年)、信長は羽柴秀吉を毛利攻略の司令官に任じる。
村重は、その秀吉の下で働くことになったが、突如として有岡城に籠城。信長は謀反が信じられず、約1年ほど説得に時間を費やすが…。 -
荒木村重の墓【墨染寺】
(兵庫県伊丹市)荒木村重の墓は「九層の塔」になっている。
形状から見て、江戸時代に建てられた塔と思われる。では一体誰が建てたのだろうか…。村重の供養塔の隣には…
荒木村重が単身尼崎城に脱出したため、信長に処刑された村重と家臣の妻子たちを供養する「塚」で、「女郎塚」と呼ばれている。
「天正7年己卯12月13日落城」と刻まれている。 形状から見ると江戸時代中期のものであることから、後の地域の人々が建てたのではないだろうか。 -
【藤次寺】
(大阪市天王寺区)この辺りは日本でも有数の寺院の密集地で
豊臣時代、大坂城の南の防御を固めるために寺院が集められた歴史がある。 この藤次寺は、平安時代に藤原氏の安泰を願い建立され、今年創建1200年を迎える。 商人の町・大坂らしく江戸時代からの商家のお墓も多く残っていて、 司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」の高田屋嘉兵衛の墓もある。檀家である約180年前から続く商家のご主人は、自分の家の墓だけでなく、お世話になった方の墓参りも忘れないという。 またご主人の叔母が作家の山崎豊子さんという関係から山崎豊子さんのお墓参りも欠かさないという。