
歴史上の偉人たちや庶民のお墓を訪ね、
日本人の死生観はどんな風に変遷してきたのか?
庶民たちは先祖とお墓にどう祀ってきたのか?
お墓から見えてくる「知られざるニッポン」の姿を探り出し、
「人は誰もが歴史に参加している」の
“意味”を解き明かしていきます。



才能に恵まれながらも栄光を
つかむことのできなかった者たちの姿を追う


【大谷吉継】(1565-1600)
豊臣秀吉に小姓として仕え、馬廻りに抜擢され、1583年賤ヶ岳の戦いでは「賤ヶ岳の七本槍」に劣らないほどの活躍をみせた。
石田三成と同じく、常に秀吉の身辺に仕え、諸大名との連絡役を務めていたが、秀吉の死後、徳川家康と連携し豊臣家の数々の問題に対処していく。1600年、吉継は、家康に従い上杉討伐に向かう予定だったが、三成の佐和山城で、家康の討伐計画を打ち明けられる。大反対するも、9日後、三成とともに戦う覚悟を決めた。三成との友情を重んじ、負けるとわかっていた関ヶ原の戦いに挑んだ義に厚い武将」として今も人気の武将だが、果たして友情だけで西軍に組したのだろうか?あの9日間、吉継は何を考え決断したのだろうか。
想像は膨らむ。

吉継の墓は、敵将の藤堂高虎が
【関ヶ原】
関ヶ原の戦いでは、大名級では唯一戦場で亡くなった吉継。その墓は、陣跡から10分ほどの山中にある。撮影日は平日にもかかわらず10数人と出会うほど、今もなお人気を誇る吉継だが、この場所に墓が建てられるまでには、ある感動のエピソードがあった。吉継は家臣の湯浅五助に「首を敵の手に渡すな」と厳命し自刃。五助がこの場所に首を埋めようとしていた時、藤堂高虎の甥・高刑に見つかる。五助は「代わりに私の首を差し出すので主人の首のことは秘密にしてくれ」と懇願。それを快諾した高刑は、家康の前でも「五助との約束があるから言えない」とし、それを聞いた家康もまた「あっぱれだ」と高刑を許し褒美を与えたという。そして、藤堂高虎は…。

都会のド真ん中に墓!?「南浜墓地」
大阪市北区に、大坂七墓のひとつ「南浜墓地」がある。江戸時代中期からの墓が、当時のまま建ち並んでいる。
この墓地に代々墓がある人に、「先祖の存在」や「先祖をどう祀ってきたのか」など詳しく話を聞く。


最終回は、吉継を死に追い込んだ一族の末裔が墓参りに!?
関ヶ原の戦いで吉継は、小早川秀秋の寝返りを予測していたので、4将を小早川の陣近くに配置していました。
いざ合戦が始まると、小早川秀秋は寝返り、大谷軍に挑みかかってきたのですが、吉継にとっては想定内。しかし、なんと配置していた4将までもが寝返り、大谷軍を急襲。結果、吉継は自刃…。
実は、その最後の最後に寝返って、吉継を自刃に追い込んだ4将のひとりが、朽木氏でした。そう!朽木教授の先祖の一族だったのです!
ということで、今回は先祖の一族が死に追いやった大谷吉継の墓に、朽木教授が墓参りに行くことになるのです。
オープニングから、気が重いと言っていた朽木教授でしたが、一体どんな言葉を吉継に伝えるんでしょうか!?
放送をお楽しみに!!
