三国演義

勢力図・年表

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勢力図
時代 西暦 干支 年号
後漢 184年 【甲子】 (光和7年→中平元年)
  • 1月 張角ひきいる太平道が蜂起。「黄巾賊の乱」はじまる。
  • 劉備・関羽・張飛、桃園の誓いを結んで挙兵。
  189年 【己巳】 (中平6年→初平元年)
  • 8月 董卓、洛陽で実権を握る。
  • 董卓、少帝を廃して献帝を即位させる。「初平」に改元。
  • 曹操、董卓暗殺に失敗。洛陽から逃亡。
  190年 【庚午】 (初平2年→《正史では初平元年》
  • 1月 袁紹を盟主とした反董卓連合軍結成
  191年 【辛未】 (初平3年→《正史では初平2年》
  • 2月 反董卓連合軍の関羽が華雄を斬る。
  • 虎牢関において呂布と劉備三兄弟が戦う。
  • 董卓、洛陽を焼き払って長安に遷都。
  • 反董卓連合軍、董卓をたおせずに解散する。
  • 袁紹と公孫がたたかう。劉備が公孫の援軍にかけつける。劉備、趙雲と会うがこのときは仲間にせず。
  • 王允、貂蝉を使って董卓と呂布の仲を裂く。
  192年 【壬申】 (初平4年→《正史では初平3年》
  • 4月22日 呂布、董卓を殺害。
  • 6月 李と郭、長安に攻め込み王允を殺害。
  193年 【壬申】 (初平5年→《正史では初平4年》
  • 曹操が父の曹嵩を州に招くも道中、徐州で張に殺される。
  • 曹操、父を殺された怒りで徐州に攻め込み、民を虐殺する。
  194年 【甲戌】 (興平元年)
  • 劉備、黄巾賊の残党をけちらし、陶謙をたすけるため徐州へむかう。
  • 呂布、曹操の留守中に州を攻める。曹操、徐州から撤退する。
  • 陶謙死す。劉備が徐州を治める。
  195年 【乙亥】 (興平2年)
  • 4月 呂布、曹操に敗れて徐州の劉備をたよる。
  196年 【丙子】 (興平3年→建安元年)
  • 1月 献帝、長安を逃げ出して洛陽を都にする。「建安」に改元。
  • 9月 曹操、献帝を許昌にまねく。許昌が都になる。
  • 呂布、劉備の留守中に徐州をのっとる。劉備、呂布に命じられて小沛を守る。
  197年 【丁丑】 (建安2年)
  • 5月 曹操、張繍を攻めるもの策略で大敗。典韋と息子の曹昂が戦死。
  • 曹操、劉備と呂布の力をかりて袁術を攻めるが逃げられる。
  198年 【戌寅】 (建安3年)
  • 4月 曹操、再び張繍を攻めるも、またもやの策略で敗退。
  • 劉備、小沛を呂布にとられる。
  • 劉備、曹操と手をくんで小沛と彭城をとりかえす。呂布、下城に立てこもる。
  • 12月 曹操、呂布をとらえて処刑する。
  • 劉備、曹操とともに許昌へむかう。献帝に謁見して「皇叔」とよばれる。
  199年 【己卯】 (建安4年)
  • 董承・王子服が曹操暗殺をくわだてる。劉備、連判状に署名する。
  • 公孫、袁紹にやぶれて自害。
  • 劉備、袁紹討伐を口実に許昌から去る。
  • 6月 劉備、袁術軍を壊滅させる。袁術、逃走中に死す。
  • 劉備、徐州で独立する。
  200年 【庚辰】 (建安5年)
  • 劉備、曹操に徐州を奪われて袁紹をたよる。関羽、曹操に降伏する。
  • 2月 曹操、東群・白馬県で袁紹を破る。戦いのさなか関羽、顔良と文醜を斬る。
  • 関羽、曹操のもとを去る。五関を突破して六将を斬る。
  • 劉備三兄弟、再会する。趙雲が仲間に加わる。
  • 官渡大戦にて、曹操、袁紹をやぶる。
  202年 【壬午】 (建安7年)
  • 5月 袁紹、死す。あとつぎ問題がおこり、内乱。
  203年 【癸未】 (建安8年)
  • 2月 曹操、袁紹死後の混乱に乗じてその領土に攻め込む。
  204年 【申申】 (建安9年)
  • 7月 曹操、袁紹の領土であった冀州を平定。
  205年 【乙酉】 (建安10年)
  • 1月 曹操、袁紹の領土であった青州を平定。
  206年 【丙戌】 (建安11年)
  • 1月 曹操、袁紹の領土であった青州を平定。
  207年 【丁亥】 (建安12年)
  • 劉禅(阿斗)生まれる。
  • 劉備、徐庶を軍師にくわえる。
  • 徐庶、曹操軍の荊州侵攻を二度ふせぐ。
  • 11月 徐庶、曹操の策略により劉備のもとを去る。
  • 劉備、隆中にいる孔明のもとを二度たずねる。
  208年 【戌子】 (建安13年)
  • 1月 劉備、孔明のもとを尋ね、軍師にむかえる。(三顧の礼)孔明、天下三分の計を提唱。
  • 6月 曹操、丞相になる。
  • 孔明、荊州に攻めてきた曹操軍を博望坡で破る。
  • 1曹操軍、荊州へ南下。劉備、新野城をしてて逃走。 長坂橋にて張飛が曹操軍を一時的に退却させる。(長坂橋のたたかい)
  • 孔明、魯粛と呉へ向かい、呉の群臣と舌戦をかわす。 そののち孫権に謁見し、曹操とたたかうことを決意させる。
  • 孔明、孫権の決意がゆらぐことを心配し、周瑜を説得。 周瑜、孫権に曹操とたたかうことを主張。これによって「赤壁のたたかい」の開戦が決まる。
  • 孔明、周瑜に依頼されて十万本の矢を集める。
  • 周瑜、黄蓋とはかって〈苦肉の計〉をつかい、曹操をあざむく。
  • 寵統、曹操に〈連環の計〉を献ず。
  • 11月20日 孔明、七星壇にて祈祷をおこない、風の向きを変える。
  • 11月21日 赤壁の戦い。

参考資料/三国志 早わかりハンドブック(偕成社)
*「三国演義」をベースに「三国志」に沿ったものです。
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