第419回「頤和園、北京の皇帝の庭園<1>」
~清王朝皇帝が遺した名園~

2016年10月6日(木)放送

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その遺産は“ラストエンパイア”清王朝最後の輝き。絶景を誇る大庭園である。湖に面してそびえる壮麗な楼閣。湖岸には世界最長ともいわれる、回廊が伸びる。岸から見渡す湖はまるで時を止めたかのようだ。ここは清王朝の皇帝たちが愛した場所。世界文化遺産「頤和園」。

第418回「黄龍の景観と歴史地域<10>」
~最後の絶景、五彩池~

2016年9月29日(木)放送

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標高3100mのスタート地点から、南へ向かって登って行く黄龍の旅。その最も上にあるのが「五彩池」だ。標高およそ3500m。黄龍で最も多い693の池からなり、総面積は2万平方メートルを超える。石灰華の白さが最も際立っており、五色に輝く水面の美しさは格別である。

第417回「黄龍の景観と歴史地域<9>」
~時が止まったかのような鏡の池~

2016年9月22日(木)放送

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黄金の龍の背中、金沙鋪地を抜け、黄龍をさらに登って行くとあるのが「明鏡倒映池」。この池の水は鏡のように滑らかで、水面に逆さに映る景色が幻想的な雰囲気を醸し出している。この先は、折り重なる棚田のような池がさらに数を増していく。「争艶彩池」は黄龍で2番目に多い、658の池からなっている。様々な形の池が見られ、色彩も豊かである。

第416回「黄龍の景観と歴史地域<8>」
~黄金にきらめく龍の背中~

2016年9月15日(木)放送

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黄龍の渓谷をしばらく登っていくと現れる「金沙鋪地(きんさほち)」。1.3キロに渡る黄金の渓流である。ここには棚田のような池は形成されておらず、石灰化した金色の川底が見える浅瀬となっている。ゆるやかに流れる透き通った水。その様は龍が背中をうねらせているかのように見える。遠くから眺めれば、それはまさに、金色の龍が天へと昇っていくが如くである。

第415回「黄龍の景観と歴史地域<7>」
~人々を出迎える水の芸術~

2016年9月8日(木)放送

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標高3100mの黄龍の入口から歩き始めて、最初に出迎えてくれるのは「迎賓池」。炭酸カルシウムが沈殿して出来た棚田のような池が折り重なり、その数は350を数える。そして、輝く宝石が飛び散るように流れ落ち白絹の如き筋を描きながら地に注ぐのは「飛瀑流輝」と呼ばれる滝。澄んだ水と美しい輝きを放つ黄龍の光景は古代の石灰岩が水に溶け、沈殿して形成された。壮大な地球の営みが生み出した芸術である。

第414回「黄龍の景観と歴史地域<6>」
~黄金の渓谷、黄龍~

2016年9月1日(木)放送

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四川省の山中に佇み、この世のものとは思えない美しい池に囲まれる「黄龍古寺」。祀られているのは黄龍真人という仙人だ。伝説によると、古代の王・禹(う)が船に乗っていたところ、急流に阻まれた。その時、禹の父・黄龍真人が龍となり、船を背負って助けたという。古くからこの一帯は「黄龍」という地名で知られている。物語の続きを始めよう。世界自然遺産「黄龍の景観と歴史地域」。

第413回「承徳の避暑山荘と外八廟<17>」
~万里の長城に代わる新たな戦略~

2016年8月25日(木)放送

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モンゴルを傘下に収めることで、万里の長城に代わる新たな防壁を得た清王朝。康熙帝はその仕上げとして、対ロシア防衛の中枢とすべく承徳避暑山荘を建設する。1711年に完成した承徳避暑山荘。以後およそ150年、清王朝の北を守りぬく。山荘の門にかかる「避暑山荘」の額は康熙帝自ら筆を執ったものであった。

第412回「承徳の避暑山荘と外八廟<16>」
~康熙帝の対モンゴル戦略~

2016年8月18日(木)放送

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清の康熙帝は毎年秋になると、モンゴルの草原にある狩場へ行幸し、狩りを催した。その規模は従者や兵士を含め、実に数万人。これは北のモンゴル諸部族、さらにロシアに睨みをきかせる康熙帝の戦略だった。大規模な狩りはまさに軍事演習そのものだったのである。その後、清は周辺の諸部族を征服しモンゴル全域を支配。ロシアの脅威を跳ね返す防壁を得たのである。

第411回「承徳の避暑山荘と外八廟<15>」
~同じ時代を生きた3人の君主~

2016年8月11日(木)放送

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承徳避暑山荘が作られた頃、世界には同じ時代を生きた3人の強大な君主がいた。フランスには“太陽王”ルイ14世。ロシアにはピョートル大帝。そして避暑山荘を作った、清の康熙帝。3人はいずれも幼くして即位し、やがて優秀な君主となった。康熙帝とピョートル大帝は国境を接して対峙し、しのぎを削った。当時中国が北の守りとしていたのは万里の長城だった。

第410回「承徳の避暑山荘と外八廟<14>」
~避暑山荘建設までの物語~

2016年8月4日(木)放送

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西暦1689年。シベリアの町ネルチンスクで清王朝とロシアの外交交渉が行われた。二国間の国境を定めるのが主な目的だった。黒龍江からオホーツク海へ至る広大な領土を狙うロシアに対し、清はそれを手放さなかった。この会議がのちに、万里の長城の北に広大な宮殿を誕生させることになる。物語は終わらない。世界文化遺産「承徳の避暑山荘と外八廟」。