第59回「 三江併流 <2> 」

2009年11月12日(木)

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4億5000年前、インド亜大陸がユーラシアプレートに衝突して、 山々が隆起する地殻変動が起きた。 この変動により、チベット高原を源とする3本の河は、 急峻な山々の間を流れるようになった。これが、三江併流である。 太古の自然が残る、この地は、動植物にとってまさに楽園。 希少動物の宝庫である。 しかし、動物の楽園は、人間にとっては、過酷な生活の環境である・・・。

第58回「 三江併流 <1> 」

2009年11月5日(木)

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その世界遺産は、数十億年に及ぶ、地球の歴史でも最大規模の地殻変動が生み出した 奇跡の絶景である。 長江の上流、メコン川の上流、サルウィン川の上流の、 アジアでも有数の3本の大河の上流部分がこの地を併行して流れる。 それは、インド亜大陸が、ユーラシアプレート衝突して出来た奇跡の地。

第57回「 莫高窟 <5> 」

2009年10月29日(木)

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砂上の大美術館、莫高窟も、やがて人々に忘れ去られた時代もあった。 1900年に、石窟に封印された大量の古文書や書画が発見された。 これが。世に言う「敦煌文書」であった。 しかし、時の権力者・西太后は、これに関心を示さず、海外の探検隊などに よる盗掘を招いてしまう。莫高窟の財産は、世界に散らばった・・・。

第56回「 莫高窟 <4> 」

2009年10月22日(木)

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莫高窟が創られ始めたのは、西暦366年。 楽そんという行脚僧が最初の石窟を掘った。 「この僧より高い者は莫(な)し」と後世の人が称えたのが名前の由来だ。 その後、多くの絵師や職人がこの地を訪れ、次々と仏教美術が花開く。 莫高窟は、彼らが「己が技」を競い合う場でもあった 。

第55回「 莫高窟 <3> 」

2009年10月15日(木)

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莫高窟が創られ始めたのは、西暦366年。楽?(がくそん)という行脚僧が最初の石窟を掘った。「この僧より高い者は莫(な)し」と後世の人が称えたのが名前の由来だ。その後、多くの絵師や職人がこの地を訪れ、次々と仏教美術が花開く。莫高窟は、彼らが「己が技」を競い合う場でもあった 。

第54回「 莫高窟 <2> 」

2009年10月8日(木)

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莫高窟の誕生秘話。この地がオアシス都市として栄えるきっかけとなったのは、紀元前138年に、漢の武帝が送った使者の大旅行だった。 中央アジアの軍事的同盟国に送ったこの使者は、実に15年の大旅行を行った。その模様が描かれたのが莫高窟だ。そして、その行程が後に、シルクロードになる。

第53回「 莫高窟 <1> 」

2009年10月1日(木)

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それは、まさに、砂漠に浮かぶ、壮大な美術館。429の石窟に、2400体を超える塑像と、45000平方mにも及ぶ壁画が残されている。シルクロード交易がもたらした奇跡の世界遺産、それが莫高窟だ。ここには、中国はもちろん、インド、西アジア、ヨーロッパの文物が集まった。様々な文化芸術・・・、まさに「砂上の大美術館」だ。

第52回「 マカオ <4> 」

2009年9月24日(木)

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マカオは、人と人が融合する場でもある。中国系の子どもたちは、ポルトガル語を学び、ポルトガル系の子どもたちは中国語を学ぶ。中国系の父とポルトガル系の母、という「ルリンちゃん」の家庭。こうした子どもたちを「マカニーズ」と呼ぶ。こうした家族も珍しくない。民族の垣根を越えて生まれた無数の家族、これこそ、マカオの「無形」の歴史遺産である

第51回「 マカオ <3> 」

2009年9月17日(木)

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マカオで最も美しいといわれる聖ドミニコ教会は、中米のアカプルコから来た修道士が建築した。マカオの中には、インドのゴア様式で建てられた港の施設もある。そこにはインドからやってきた、約200人の警察官も勤務していたという。 ポルトガルと敵対していたオランダの攻撃を防ぐ要塞・・・、 こうした建築には、西洋と東洋の共存と融合の美が垣間見られる

第50回「 マカオ <2> 」

2009年9月10日(木)

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マカオは、東洋と西洋の文化が、東アジアで、最も早く出会った街。16世紀にポルトガルの船が訪れて以来、「海のシルクロード」の玄関口として栄えた。マカオで最も知られた世界遺産が、「聖ポール天主堂」。かつては、東方で最も美しい教会とさえ謳われた。中国の獅子の文様、日本の菊の文様、西洋の文様・・・、この天主堂一つ見ても、海のシルクロードの縮図がある