第69回「 峨眉山と楽山大仏 <3> 」

2010年1月21日(木)

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峨眉山と楽山大仏その3、大自然。この遺産が、文化遺産ではなく、複合遺産に登録されている訳は、今に残る太古の大自然である。 霊山として歴代王朝に保護されてきたこの山には、3200種もの植物が存在し、そのうち100種余りは、この地にしか生えない固有種だという。 これほど豊富な植物が、狭い範囲に密生している場所は世界的にも稀だという 。

第68回「 峨眉山と楽山大仏 <2> 」

2010年1月14日(木)

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「峨眉山と楽山大仏」についての放送2回目は、誕生の物語。楽山大仏がそびえる、凌雲山の麓には、3つの大河が流れる。そのため、古くから洪水に悩まされる地域だった。 そんな洪水から人々を救おうと、海通という一人の僧が、巨大な石仏の建立に着手した 。

第67回「 峨眉山と楽山大仏 <1> 」

2010年1月7日(木)

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その姿は、まさに圧巻!高さ71メートル、幅およそ30メートル。 世界最大の弥勒菩薩の座像である。 峨眉山と楽山大仏は、ともに四川省南部にあり、互いの距離は30キロほどだ。 どちらも、中国有数の、仏教の聖地。 地域は、希少価値の高い動植物の宝庫であり、この遺産は、 文化遺産ではなく、「複合遺産」として登録されている。

第66回「 開平の望楼閣と村落 <5> 」

2009年12月28日(月)

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海外で成功を収めた華僑たちの「夢の城」、それが、開平の望楼閣。 第二次世界大戦後、アメリカは中国人の排斥を一転した。これを契機に、華僑は、故郷の家族を呼び寄せ、アメリカに移住させる。世は移ろい、やがて村から人の姿は消え、開平には楼閣だけが残った。世界に憧れた華僑たちの思いが垣間見える絢爛たる建築。一つ一つの部屋にそれぞれの家族の物語が、今も、宿っている。

第65回「 開平の望楼閣と村落 <4> 」

2009年12月24日(木)

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故郷を遠く離れ、苦難の末、異国で成功した華僑が、ふるさとの家族のために造り上げた楼閣、それが開平の望楼閣だ。しかし、華僑の成功は、皮肉なことに匪賊たちの呼び水になってしまう。贅を尽して建てられた楼閣は、よく見ると、見張り台や銃眼が至る所に設けられている。“世界建築史の奇跡”と呼ばれるこの楼閣には、動乱の歴史も刻まれているのである。

第64回「 開平の望楼閣と村落 <3> 」

2009年12月17日(木)

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農村にそびえる、無数の異国風楼閣、これらを作り出したのは、この地から、世界に飛び出し、財を築き上げた華僑たちである。19世紀の半ば、ゴールドラッシュに沸くアメリカに多くの開平出身者が渡った。彼らは「金山客」と呼ばれた。差別と重労働に苦しんだ彼らが、長い歳月を掛け財を築くまでになった、開平の楼閣は、その成功の証である 。

第63回「 開平の望楼閣と村落 <2> 」

2009年12月10日(木)

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開平の望楼閣のルーツは、16世紀に遡る。動乱の時代、多くの民が、この地に逃れて来た。しかし、この地も、洪水や匪賊の脅威にさらされる危険地帯。最初の楼閣は、身の安全を守る「避難所」として誕生した。そして、その数100年後、多くの村人が華僑として世界に飛び出した後は、故郷を思い、故郷の家族を守るための「要塞」としての楼閣が次々に造られていく・・・ 。

 

 

 

 

第62回「 開平の望楼閣と村落 <1> 」

2009年12月3日(木)

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緑豊かな村落に、いくつもそびえる異国風の楼閣。中国の農村の風景にしては、極めて異質だ。そこは、“世界建築史上の奇跡”とまで言われる、『開平の望楼閣と村落』(世界文化遺産)。広東省の開平市は、香港、マカオに接する「珠江デルタ」西南にあり、多くの華僑を輩出した土地だ。この地にそびえる、1800を超える異国風の楼閣は、かつて異国へと旅立った華僑が故郷を思い建てたものだ。

第61回「 三江併流 <4> 」

2009年11月26日(木)

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この地に住む、少数民族の生活。 険しい山々と激しい流れの河・・・、彼らは船による交通がない。 そこで、標高数1000メートルの地に、無数の道を作った。 その一つ「茶馬古道」。 肉食を主とする彼らは、不足しがちなビタミンをお茶から摂取した。 この地のチベット民族は、馬で産物を運び、茶葉と交換するために この道を行き来した。

第60回「 三江併流 <3> 」

2009年11月19日(木

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この地には、「空飛ぶ民族」が住んでいる。リス族、彼らは驚くべき方法で河を渡る。なんと、峡谷の大河の上にロープを張り、まるでレンジャー部隊のように河を渡る。子どもが学校に行く時でさえ・・・。まさに、「空飛ぶ民族」。