第79回「 武夷山 <1> 」
2010年4月3日(土)
その世界遺産は、5つの顔を持つ。切り立った岩や峰、渓流が美しい、中国有数の景勝地。太古の自然が残る、希少な動植物の楽園。世界がその香りに魅了される、高級茶葉の産地。四千年の歴史が眠る、古代文明の夢の跡。そして、世界に影響を与えた、偉大な思想家の故郷。その世界遺産の名を、武夷山と呼ぶ。
第78回「 殷 墟 <4> 」
2010年3月25日(木)
「世界遺産「殷墟」。20世紀に存在が証明された王朝、「商」の都である。殷墟からは、馬車も出土しており、発掘された道路は、 車道と歩道にわけられていた。3000年の昔に、今日と同じような、交通ができていたことが分かる。 そんな商王朝は、紀元前11世紀、周の武王によって滅ぼされた。 最後の王、紂王(ちゅうおう)は、酒池肉林のエピソードを残し、 暴君の代名詞とされている。
第77回「 殷 墟 <3> 」
2010年3月18日(木)
「商」の名君とされる、23代の王、武丁(ぶてい)。武丁は3年にわたる戦争を闘い、大国を築き上げた。その戦を闘った将軍の中に、興味深い人物がいる。「婦好(ふこう)」という名の将軍。なんと婦好は、武丁の后であった。そう、大軍を率いて戦った将軍が、なんと、女性だったのである。男尊女卑の社会だったはずの古代中国。婦好の物語は、殷墟の神秘の一つである。
第76回「 殷 墟 <2> 」
2010年3月11日(木)
世界文化遺産「殷墟」。 ここは、実在が証明されている中国最古の王朝、 「商」の都の跡である。1899年のこと、当時の最高学府の長だった 王懿栄(おういえい)は、マラリアを患い、漢方薬を服用していた。 その薬の発掘された、動物の骨や亀の甲羅の破片を発見。更に文字が書かれていることに 気がついた。王懿栄が偶然発見した、この文字こそ、漢字のルーツといわれる、 「甲骨文字」である。この発見により、 それまで伝説とされていた 商王朝の物語が、実は真実であったことが分かったのである。
第75回「 殷 墟 <1> 」
2010年3月4日(木)
その世界遺産は、伝説が真実となった、 世界史上の“奇跡”である。 遺跡からは、漢字のルーツとなった 中国最古の文字とともに、高度な技術によって作られた が多数発掘された。実在が確認された、 中国で最も古い王朝。それが、世界文化遺産「殷墟」である。
第74回「 天 壇 <4> 」
2010年2月25日(木)
天壇の三つの道。天壇では、天と人との関わり方が厳格に定められていた。「皇道」は、皇帝だけが通れる道。「王道」は、皇帝の家族や、大臣たちが通る道。「神道」は、天帝が通る道。すなわち、人間は決して足を踏み入れてはいけない道。清の時代、天を祭る儀式は、冬至に執り行われていた。また、旧正月には五穀豊穣を祈り、夏には雨を祈願した。現在は公園になっている天壇では、古(いにしえ)の皇帝が執り行った儀式が再現されている 。
第73回「 天 壇 <3> 」
2010年2月18日(木)
天壇の、音の不思議。中国の建築技術の粋を集めて造られて天壇には、驚くべき「仕掛け」が施されている。 「天心石」の上に乗って声を出すと、 天にも届かんばかりの大きな反響が返ってくる。「三音石」で、手を叩くと、こだまが3回返ってくる。 「回音壁」の前で声を出すと、壁面に沿って声が流れていくかの ような、不思議な感覚を味わえる。 天壇は、まさに、天と通じ合えるような摩訶不思議な空間である。
第72回「 天 壇 <2> 」
2010年2月11日(木)
天壇には、3人の皇帝の物語が秘められている。明の3代皇帝、永楽帝は、人心を掌握するために造った天地壇が、今の天壇である。 12代皇帝、嘉靖帝が、天壇をほぼ、今の形にした。清の最盛期の皇帝、乾隆帝は、満州族の打ちたてた、清王朝の正当性を漢民族に知らしめる ために盛大な儀式を、ここで執り行った。天壇は、それぞれの時代の皇帝が、その地位を確かなものにするために祈りをささげた場所であった。
第71回「 天 壇 <1> 」
2010年2月4日(木)
中国の伝統建築の粋を集めて建造された華麗で荘厳な建物の数々。 その至る所に、神聖なる「気」が満ち溢れている。 「天壇」は、明の時代の初期に建立され、以来、500年に渡り、歴代の皇帝が天を祭ってきた場所だ。
第70回「 峨眉山と楽山大仏 <4> 」
2010年1月28日(木)
「峨眉山と楽山大仏」、その4、この地に生きる人々。 中国有数の霊山と、世界一巨大な大仏からなる複合遺産「峨眉山と楽山大仏」。 峨眉山に最初の仏教寺院を建てたのは、薬草採りを生業とする一介の農民だった。 その後、仏教の一大聖地になったこの地には、今では、26もの寺院がある。 峨眉山が世界遺産に登録されると、遺産の保護を目的に、山の民は、この地を追われることになる・・・ 。