第89回「 雲崗石窟 <2> 」

2010年6月10日(木)

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辺境の遊牧民族・鮮卑が、4世紀に打ち立てた王朝、北魏。世界遺産「雲崗石窟」は、この北魏が生み出した、中国史上に残る仏教美術である。北魏は、漢族の信任を得るため、インドから中国にもたらされた、仏教に注目した。雲崗石窟の第二十窟に鎮座する、高さ約14メートルの、通称「露天大仏」。これは、北魏の初代皇帝、拓跋珪(たくばつけい)の像といわれている。そして第十九窟は、二代皇帝の像。第十八窟は、三代皇帝の像。そう、北魏の初期の皇帝たちは、みな、圧倒的な威厳を放つ、大仏に姿を変え、永遠にこの地に残っているのである

第88回「 雲崗石窟 <1> 」

2010年6月3日(木)

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東西に延びる1キロメートルの断崖にうがたれた、無数の窟龕(くつがん)。そこには5万体を超える、美しい仏像が刻まれている。この世界遺産は、中国仏教美術の偉大な宝であり、また、中国の歴史に颯爽と現れ、消えていった、北方民族王朝の、栄華の記憶でもある。敦煌、龍門と並ぶ、中国三大石窟のひとつ。それが、世界文化遺産「雲崗石窟」である。

 

 

 

 

第87回「 蘇州古典園林 <4> 」

2010年5月27日(木)

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蘇州古典園林の庭園の主は、ここで友と語らい、遊び、詩歌を吟じ、音曲に耳を傾けて、余生を過ごしたのだろうか。庭園での生活の様子は、絵画にも残されている。そこに描かれているのは、誰もがうらやむような、優雅で、悠々自適の生活だ。蘇州が生んだ芸術は他にもある。土地の方言で、男女の愛や英雄たちの活躍などを物語る、「蘇州評弾」。400年ほど前に生まれ、今も唄い継がれている。2000年もの伝統を誇るのが、蘇州に伝わる刺繍、その名も「蘇繍」である。針を筆とし、緻密に紡いだ絵柄は見事という他ない。かのマルコ・ポーロが、東洋のベニスと絶賛したといわれる、水の都、蘇州。あらゆる美が凝縮された街である。

第86回「 蘇州古典園林壇 <3> 」

2010年5月20日(木)

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世界遺産、蘇州古典園林には、都を追われた高官が、その境遇から皮肉を込めて名付けた庭園がある。「拙政園」。拙き者が、政を行う園、という意味である。この庭園を造った明の高官・王献臣は、著名な画家に、この庭園の設計を任せた。10年をかけて完成した拙政園は、敷地の大半を池が占め、中国の文人画が理想とする山水の美しさを凝縮した、自然美の極致を見せてくれる。この庭園ができた明代以降、画家たちが数多く、庭園の造営に参加するようになったという。蘇州の庭園群は、中国山水画の理論や技法を、立体的に体現する空間となったのである。

第85回「 蘇州古典園林 <2> 」

2010年5月13日(木)

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世界遺産・蘇州古典園林は、政治で失脚した文人などによって造られ、発展していった。この地で最も古い庭園、滄浪亭(そうろうてい)。10世紀に建築され、およそ100年の後、免官され、蘇州に移り住んだ高官、蘇舜欽(そしゅんきん)の手によって、美しい庭園に生まれ変わった。築山と、その頂に築かれたあずまや。深く静かな水と竹林。地形の起伏にそって連なる回廊。透かし飾りを施した窓。失意の文人が、心の慰めのため、粋を極めて造り上げたのが、この庭園だったのである。

第84回「 蘇州古典園林 <1> 」

2010年5月6日(木)

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千年以上の昔から、人々は、この地で暮らすことを夢見てきた。豊かな水が縦横に街を流れ、水は人々の生活を潤している。山水のごとき庭園には、時に音曲の調べがたゆたい、優美な歌声が響き渡った。また女性たちは、そのたおやかな指で糸と針を操り、絵画のように美しい刺繍を紡いでゆく。いにしえの文人たちが、長い年月をかけ造り上げてきた、庭園が立ち並ぶ、この街。人々はここを、“この世の天国”と呼ぶ。世界文化遺産、蘇州古典園林。

第83回「 武夷山 <5> 」

2010年4月29日(木)

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世界遺産、武夷山は中国・福建省にある。福建省といえば、有名なのが、お茶。武夷山の断崖絶壁には、中国茶の最高峰といわれる、希少な茶の原木が、4本生えている。茶王と称される「大紅袍」。樹齢300年以上といい、この原木からとれた茶葉20グラムに、数百万円の値をつけられたこともあるという。「武夷岩茶」と呼ばれ、世界中から愛されているのが、ここ武夷山のお茶。この地で生涯を過ごした大思想家、朱熹は、酒を嗜まなかったという。朱熹も、絶景を眺めながら、武夷山の茶を楽しんだに違いない。

第82回「 武夷山 <4> 」

2010年4月22日(木)

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中国・福建省の世界遺産、武夷山。この地は、その独特の地形により、太古の動植物、昆虫が、今も生き残っている希少生物の宝庫である。多くの生き物が死に絶えた氷河期。武夷山の原生林は切り立った山に守られ、壊滅的な打撃を免れた。武夷山の動植物の中で、特に目を見張るのが、昆虫たち。世界に存在する昆虫、34目のうち、ここには31目、4635種が生息している。未調査の昆虫も、なんと15000種に上るという。まさに「虫の楽園」である。

第81回「 武夷山 <3> 」

2010年4月15日(木)

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西暦1193年のある日、一艘の筏が、武夷山を流れる九曲渓を下った。乗っていたのは、朱熹とその友人である。朱熹は14歳の時、武夷山にある村、「五夫里」に学びにやってきたという。武夷山はやがて、この偉大な思想家の手によって、学問の一大拠点となる。朱熹は、孔子の儒教を発展させ、新たな儒学思想を構築した。それは後の世に、朱子学と呼ばれるようになり、中国人だけでなく日本人にも多大な影響を与えた。武夷山の大自然に抱かれ過ごした朱熹は、これらの絶景に、何を想ったのだろうか… 。

第80回「 武夷山 <2> 」

2010年4月8日(木)

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絶景が広がる、世界遺産・武夷山。この地は意外にも、文化遺産としての側面も持ち合わせている。渓流の上にそびえる、断崖絶壁。その岸壁の割れ目には、舟の形をした棺が多数安置されている。驚いたことに、これらは、3500年も前のもの。棺をどうやって崖の上に運び、安置したのか、今もよくわかっていない。中国文化史の謎の一つである。また武夷山には、紀元前2世紀の前漢のころ、ビン越(びんえつ)という王国があった。漢王朝の支配に従わなかったため、征服されたという。遺跡からは、高度な文明をうかがわせる道具が、多数発掘されている。漢王朝に反旗を翻した?越の人々は、美しいこの武夷山の地に、どんな王国を築いていたのだろうか。