第139回「 安徽南部の古村落-西逓・宏村 <4> 」
~現在~
2011年5月26日(木)放送
鏡のような穏やかな水面に、白と黒のコントラストが映える。都会の喧騒から離れた、桃源郷のようなこの地では、徽州商人たちの末裔が、今も簡素な生活を送っている。かつて莫大な富を築いた徽州商人も、清王朝が滅び、伝統社会が終わりを告げると、その栄華も、終焉を迎えた。西逓、宏村の風景は、当時の美しさを湛えたまま、時が止まったかのように、ひっそりとたたずんでいる。
第138回「 安徽南部の古村落-西逓・宏村 <3> 」
~建築~
2011年5月19日(木)放送
名族の末裔が開いた西逓と宏村は、学問を尊ぶ気風から、多くの官僚や商人を輩出した。この地の商人は「徽州商人」と呼ばれ、明から清の時代にかけての数百年間、中国経済に大きな影響力を誇った。莫大な富を築き上げた徽州商人たちは、その富を、故郷の村に注ぎ込んだ。それにより、西逓と宏村に特有の「徽派建築」が誕生する
第137回「 安徽南部の古村落-西逓・宏村 <2> 」
~学問~
2011年5月12日(木)放送
山々に囲まれた、ここ安徽省黟県は、騒乱を逃れた流浪の名族たちが、流れ着いた場所である。西逓を開いたのは、唐の皇帝の末裔・胡氏一族、宏村を開いたのは、南宋の頃、南京からやってきた、汪氏一族である。名族たちによって作られた西逓と宏村では、代々、学問が尊ばれた。清の康熙帝の時代、科挙の合格者が一番多かったのは、西逓と宏村を擁する徽州であったという。
第136回「 安徽南部の古村落-西逓・宏村 <1> 」
~総論~
2011年5月5日(木)放送
その世界遺産は、かつて中国経済に大きな影響力を誇った、徽州商人たちのふるさと。山に囲まれた村々は、まさに桃源郷のような、幻想的な姿を浮かび上がらせている。豊かな水をたたえ、その水面に映るのは、白と黒のコントラストが際立つ古民家。物語の続きを始めよう。世界文化遺産、西逓と宏村。
第135回「 周口店の北京原人遺跡 <4> 」
~悲劇~
2011年4月28日(木)放送
1937年まで11年にわたって行われた発掘調査。その間、中国では満州事変が勃発し、日中戦争が始まった。周口店は日本軍に占領され、発掘作業は中止となる。それまでに、北京原人の頭蓋骨は5つ発見されており、当時はまだ中国の管理下にあった。国際情勢が悪化する中、頭蓋骨をアメリカに運ぶ計画が持ち上がる。1941年11月末に移送が始まり、12月8日に頭蓋骨はアメリカへと向かう港に到着した。ここで、思いもよらぬ出来事が起こる。
第134回「 周口店の北京原人遺跡 <3> 」
~生態~
2011年4月21日(木)放送
世界を驚愕させた頭蓋骨発見ののちも、周口店では精力的に発掘作業が行われた。次々と発見される人骨の化石や、石器などの道具から、やがて学者たちは、北京原人の生態に迫っていった。現在の研究では、北京原人が生きた時代は、78万年前にまでさかのぼるという。洞窟で暮らす彼らの天敵は、サーベルタイガーの一種、「剣歯虎」。だが40万年ほど前、原人たちは獣を追い払う武器を手に入れる。
第133回「 周口店の北京原人遺跡 <2> 」
~発見~
2011年4月14日(木)放送
オーストリアの古生物学者が発見した古人類の歯をきっかけに組織された国際的な調査団は、周口店で大規模な発掘調査を行った。最初の成果は、1927年10月。カナダ人解剖学者が、周口店で見つかった歯は、これまで確認されたことのない、新たな種類のものであると発表。「北京原人」という呼び名が生まれたのは、この時である。しかし1本の歯だけでは、新たな原人の存在を証明することはできない。発掘はさらに続けられた。そして1929年12月2日。世紀の瞬間が訪れる。
第132回「 周口店の北京原人遺跡 <1> 」
~総論~
2011年4月7日(木)放送
1929年、12月2日。北京の南西、周口店で見つかったそれは、人類史を揺るがす大発見となった。中国と海外の共同調査団が見つけたのは、ある哺乳類の頭蓋骨。その大いなる遺産は、世界中を驚愕させたのち、思いもよらぬ運命をたどる。そんな物語の舞台となったこの場所は、中国の世界遺産の中でも、ひときわ異彩を放っている。世界文化遺産、周口店の北京原人遺跡。
第131回「 新疆ウイグルのムカーム <5> 」
~ムカームの叫び~
2011年3月31日(木)放送
タリム盆地に伝わるムカームの一つ、「ダオラン・ムカーム」は、最も古いムカームの特色を残しているという。その歌は、まぎれもなく“叫び”。ダオラン・ムカームは、歌としての技巧をほとんど用いず、魂のおもむくまま、叫ぶ。砂漠とオアシスの民、ウイグル人が守ってきた、民族の魂、ムカーム。人生の喜びと悲しみを歌いあげる、その叫びは、人類の大いなる遺産である。
第130回「 新疆ウイグルのムカーム <4> 」
~オアシスのムカーム~
2011年3月24日(木)放送
千年の昔に誕生したムカームは、16世紀、「12ムカーム」として体系化されたのち、アジア各地のオアシス都市に伝播していった。それぞれのオアシスには、それぞれのムカームがある。西域へ向かうシルクロードの入り口、ハミのオアシスのムカームは、漢民族やモンゴル民族の影響受けた、華麗な衣装が特徴である。手に花を持って踊ることもある。これは唐文化の名残とも言われている。