第149回「 ラサのポタラ宮歴史地区 <5> 」
~白宮と紅宮~

2011年8月4日(木)放送

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その世界遺産は、高原にそびえる“天空の宮殿”。歴代の主は、観世音菩薩の化身とされ、その地位を、世襲ではなく、輪廻転生によって受け継いできた。宮殿の主は、チベット仏教の最高指導者。人々に、「ダライ・ラマ」と呼ばれている物語の続きを始めよう。世界文化遺産、「ラサのポタラ宮歴史地区」。

第148回「 殷墟 <8> 」
~紂王~

2011年7月28日(木)放送

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殷墟の王陵区からは、これまでに、12基の大規模な王の墓が見つかっている。その中の一つに、未完成のものがあった。専門家はこの墓を、商の最後の王、紂王のものではないかと推測している。紂王は、周の武王によって討たれ、商王朝は600年あまりの歴史に終止符を打つ。商の住民はここ殷の土地を追われ、かつての都は次第に廃墟と化していった。人々から忘れ去られた商王朝が、殷墟の発見により日の目を見るのは、およそ3000年のちの、20世紀になってからだった。

第147回「 殷墟 <7> 」
~もう一人の妃~

2011年7月21日(木)放送

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甲骨に刻まれた文字と、出土した副葬品などから、存在が世に知られるようになった、女将軍・婦好。彼女は名君・武丁の妃でもあった。しかし武丁にはもう一人、戊という妃もいた。殷墟で発掘された最大の青銅器、「司母戊大方鼎」は、戊の副葬品とされている。戊の墓は、婦好のそれよりも大きく、王の陵墓に次ぐ大規模なものであったという。

第146回「 殷墟 <6> 」
~婦好~

2011年7月14日(木)放送

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19世紀末に古典学者、王国維が解読した甲骨文字。これが商王朝の実在を証明した。甲骨に刻まれている文字は「卜辞」と呼ばれる。商王朝の最盛期を築いた名君、武丁の時代の卜辞には、「婦好という名の将軍に3000の兵を率いさせ、国王の一万の軍と合流して、某国を攻めるべきか?…」という記述があった。また別の卜辞によると、婦好は武丁の子を身ごもり、武丁はそれが男か女か、しきりに知りたがったという。これらが意味することとは?

第145回「 殷墟 <5> 」
~3人の女~

2011年7月7日(木)放送

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その世界遺産は、かの「トロイ遺跡」の如く、伝説が真実の歴史となった、古の都。3300年前に中国で栄えていた「商王朝」。そこには、信じがたいほどの高度な文明と、知られざる、神秘の女性の物語が秘められていた。さあ、物語の続きを始めよう。商王朝の都、世界文化遺産「殷墟」。

第144回「 故宮 <9> 」
~玉器~

2011年6月30日(木)放送

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この宮殿で暮らした皇帝の中で、最も熱心な美術品のコレクターだったのが、清の名君・乾隆帝である。「弘暦鑑古図」には、その乾隆帝が、玉器を鑑賞している姿が描かれている。乾隆帝は玉器の珍品を、「百什件」と名付けた箱に収め、楽しんだという。そんな乾隆帝の愛した玉の中に、重さ5トンにもなる、巨大な翡翠の彫刻がある。

第143回「 故宮 <8> 」
~書画~

2011年6月23日(木)放送

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紫禁城の9000を超える部屋の一室に、「西暖閣」という小さな部屋がある。ここは清の乾隆帝が使用した、いわば書斎。乾隆帝はここで読書をしたり、書をしたためたり、書画骨董を眺めて楽しんだりしたという。西暖閣には、乾隆帝がこよなく愛した、三つの書が収められていた。

第142回「 故宮 <7> 」
~建築~

2011年6月16日(木)放送

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1930年代に、北京のとある市場で、精巧で美しい建築の設計図が発見された。それは後に、故宮と深かかわりのあるものとわかる。研究の結果、浮かび上がってきたのは、「様式雷」という一族。「様式」とは建築物の模型のことで、「雷」は一族の姓である。その設計図は、様式雷一族が描いた、故宮の図面であった。

第141回「 故宮 <6> 」
~陶磁器~

2011年6月9日(木)放送

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180万点以上の中国皇帝の財宝が眠る、世界文化遺産「故宮」。その故宮の宝物の中でもひときわ多いのが、陶磁器である。故宮と並ぶ600年ほどの歴史を持つ杯や、アラブからもたらされた貴重なコバルトが使われたものなど、世界でも類を見ない絶品が揃っている。故宮に収められている磁器の大半は、江西省の景徳鎮で作られたものだ。

第140回「 故宮<5> 」 ~博物院~

2011年6月2日(木)放送

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1924年、ラストエンペラー溥儀は紫禁城を追われ、宮殿はその役割を終える。あとには、莫大な宝物が残された。これ以後、故宮は、世界有数の博物館として、新たな歴史を歩み始める。物語の続きを始めよう。世界文化遺産、「故宮」。