第159回「 承徳の避暑山荘と外八廟 <7> 」
~皇帝の戦略~
2011年10月13日(木)放送
清王朝の皇帝が、夏の離宮として過ごした、世界文化遺産「承徳の避暑山荘と外八廟」。皇帝は1年のほぼ半分、紫禁城を離れ、この地で政を行った。避暑山荘の門を入ると正面にあるのが、「澹泊敬誠殿」。皇帝が公務を執り行った場所である。避暑山荘を建築した康熙帝や、清王朝を最盛期に導いた乾隆帝は、この「澹泊敬誠殿」で、モンゴルをはじめとする北方民族の首長たちと、たびたび外交を行った。
第158回「 承徳の避暑山荘と外八廟 <6> 」
~秘策~
2011年10月6日(木)放送
西暦1703年、大英帝国のアン女王の治世に、かのバッキンガム宮殿が建てられた。同じ年、ロシアのピョートル大帝は、巨大な人工都市、サンクトペテルブルクを建設。この2つの大宮殿と時を同じくして、中国の清王朝も、巨大な離宮の建設を開始した。紫禁城の8倍もの面積を誇るその離宮には、清王朝が、多民族をまとめた大帝国を築き上げるための、ある秘策が隠されていた。物語の続きを始めよう。世界文化遺産「承徳の避暑山荘と外八廟」。
第157回「 秦の始皇陵 <10> 」
~始皇帝の死後~
2011年9月29日(木)放送
始皇帝は、この世のあらゆる楽しみと、自らを守る軍団、政を行う文官たちを、兵馬俑という形で、死後の世界に持っていった。永遠の命を望んだ始皇帝だが、その死後、築き上げた帝国は、思わぬ末路をたどる。
第156回「 秦の始皇陵 <8> 」
~地下に眠る水鳥~
2011年9月22日(木)放送
始皇帝が作り上げた地下帝国には、陵墓を守る軍団だけではなく、兵士たちが携える武器、政務を司る文官、さらには始皇帝を楽しませる曲芸師などの俑もある。2000年7月、さらなる驚きのニュースがもたらされた。始皇陵からおよそ1キロ離れた場所で、意外なものが発掘されたのである、出土したのは、数十にのぼる青銅製の水鳥の像だった。
第155回「 秦の始皇陵 <7> 」
~兵馬俑を作った職人~
2011年9月15日(木)放送
1974年、井戸を掘っていた村人が偶然発見し、その存在が明らかとなった兵馬俑。実はその一体一体には、職人の名が刻まれている。ある俑の左腕に見えるのは「咸陽親」の文字。咸陽出身の、「親」という名の職人であることがわかる。親は部下たちと共に、等身大の兵士を粘土で形作り、髪の毛や爪、掌の手相、靴の縫い目とった細部に至るまで、それぞれに個性を持たせつつ仕上げていった。
第154回「 秦の始皇陵 <6> 」
~始皇帝の誕生~
2011年9月8日(木)放送
ファーストエンペラー始皇帝は、幼名を政という。彼は幼い頃、趙の国で父と共に人質として過ごした。この幼少体験が、強靭な精神力を培ったと同時に、猜疑心の強い性格をも、もたらしたという。やがて政は、大商人・呂不韋の手助けで秦に帰国し、13歳で即位する。
第153回「 秦の始皇陵 <5> 」
~総論~
2011年9月1日(木)放送
その世界遺産は、中国史上最も偉大にして最も孤独なる帝王の墓。地下に眠る、贅を尽くした宮殿には、数々の罠が仕掛けられ、あらゆる者の侵入を拒んでいる。無数の素焼きの兵士たちに守られた、その帝王の名は「政」。後の人々は「始皇帝」と呼ぶ。物語の続きを始めよう。世界文化遺産「秦の始皇陵」。
第152回「 ラサのポタラ宮歴史地区 <8> 」
~ノルブリンカ~
2011年8月25日(木)放送
歴代のダライ・ラマが築いた、「ラサのポタラ宮歴史地区」は、3つの建物からなる。赤と白のコントラストが映える、天空の宮殿「ポタラ宮」。チベット仏教の聖地「ジョカン寺」。そして、歴代のダライ・ラマが離宮として利用した、「ノルブリンカ」である。18世紀のチベットは、相次いで内紛や戦争が起こり、大国・清王朝の武力介入を招くなど混乱していた。そんな中、清王朝の後押しで即位したダライ・ラマ7世は、およそ30年かけて混乱を収め、チベット初の「内閣制」を確立した。「ノルブリンカ」は、そのダライ・ラマ7世が建てた離宮である。ノルブリンカとは、「宝の園」という意味で、文字通り、きらびやかな建築が目を見張る。
第151回「 ラサのポタラ宮歴史地区 <7> 」
~ジョカン寺~
2011年8月18日(木)放送
チベット仏教の聖地とされる、「ジョカン寺」。7世紀にチベット最初の王朝である吐蕃の王、ソンツェン・ガンポが建立した。ジョカン寺の本尊である釈迦の像には、こんな伝承がある。釈迦が入滅の際に作らせた、8歳、12歳、25歳の時の像があったが、その後離散してしまった。時は経ち、ソンツェン・ガンポは、唐王朝とネパールから妃をめとる。その時、ネパールの妃が8歳の像を唐王朝の妃が12歳の像を携えて、嫁いできたという。数奇な運命を経て再び出会った、2体の像。それを祀るために建てられたのが、ジョカン寺である。
第150回「 ラサのポタラ宮歴史地区 <6> 」
~ダライ・ラマ6世~
2011年8月11日(木)放送
天に最も近い宮殿と呼ばれる、ラサのポタラ宮。その宗教的権威の象徴が、赤の宮殿「紅宮」である。この紅宮には、全部で8基の、歴代ダライ・ラマの霊塔がある。いずれも、黄金に輝き、無数の宝石がちりばめられた、きらびやかなものだ。8基の霊塔は、ポタラ宮を再建したダライ・ラマ5世から、最後にラサで生涯を終えた、ダライ・ラマ13世までのもの。だが唯一、ダライ・ラマ6世の霊塔だけがない。それは一体なぜか。