第169回「 万里の長城 <9> 」
~長城に隠された戦略~
2011年12月22日(木)放送
中国の歴代の王朝が、北方民族への備えとした、「万里の長城」。その役割は、主に騎馬兵の進軍を止めるためであったが、長城は、単なる一筋の城壁ではない。北京の北東130キロにある「金山嶺長城」では、恐るべき防御機能を備えた、要塞としての一面を見てとることができる。
第168回「 万里の長城 <8> 」
~長城が見せる景色~
2011年12月15日(木)放送
8800キロメートルあまりとされる、その長大さもさることながら、長城は、景色の美しさにも目を見張るものがある。長城の東部にある要塞が「天下第一の関」と呼ばれる、「山海関」である。その東に連なるのが、渤海へと続く「老龍頭」。龍が海の中へと没する様に見立てて、別名を「入海石城」ともいう。
第167回「 万里の長城 <7> 」
~王昭君~
2011年12月8日(木)放送
長く長城を脅かし続けた北方民族の匈奴と漢王朝の友好関係を築くための架け橋となった女性がいた。「王昭君」である。紀元前33年。若く美しい宮女であった王昭君は、匈奴の呼韓邪単于(こかんやぜんう)の元に嫁いだ。単于にこよなく愛された王昭君は、長城の北と南に、60年以上もの平和と安寧をもたらしたという。
第166回「 万里の長城 <6> 」
~巨大な龍~
2011年12月1日(木)放送
北京の北にある「居庸関」。長城に連なる関で、春秋時代より、難攻不落の九つの要塞の1つに数えられている。中国の大地の上で、その長い体をくねらせ、横たわる、巨大な龍。今なお、その全容は解明されておらず、我々が目にすることができるのは、巨大な龍の、ほんの一部分に過ぎない。まだ見ぬ長城の秘密を求めて、物語の続きを始めよう。世界文化遺産「万里の長城」。
第165回「 麗江旧市街 <9> 」
~魅了された人々~
2011年11月24日(木)放送
古くから、雲南で採れる茶葉をチベットやインド、ネパールなどに売り、利益を上げてきた麗江のナシ族たち。この地で産出する銀製品や、革製品、織物なども主要な産物である。1997年、麗江旧市街が世界遺産に登録されると、世界中から多くの人がこの地を訪ねるようになった、この地での生活が気に入り、定着する人々もいる。
第164回「 麗江旧市街 <8> 」
~トンバ教とトンパ文字~
2011年11月17日(木)放送
ナシ族は古くから「トンパ教」を信仰している。「トンパ」とはナシ語で「知恵ある者」という意味である。千数百年前に、ティンパーシールオというナシ人が開いたもので、天を父、大地を母とし、山や川、そして生きとし生けるもの全てを、兄弟とみなす教えだという。
第163回「 麗江旧市街 <7> 」
~ナシ族~
2011年11月10日(木)放送
少数民族のナシ族の古都、世界文化遺産「麗江旧市街」。ここには、玉龍雪山の雪解け水がふんだんに流れ込み、街を縦横に走っている。世界最古といわれる都市給水システムである。自然の傾斜を利用したもので、街の隅々にまで行きわたる。水はナシ族にとって、最も大切な宝なのである。
第162回「 麗江旧市街 <6> 」
~水の都・麗江~
2011年11月3日(木)放送
中国雲南省にある景勝地、「白水台」。白く輝く絶景は、まるで天国へ昇る階段のようだ。豊かな水を湛えたこの白水台を、先祖発祥の地と敬う少数民族がいる。30万人を数える、ナシ族である。彼らは大自然を兄弟であると信じ、その恵みの水を大切にする。彼らの住む街には、水が縦横無尽に流れ、人々の生活を潤している。物語の続きを始めよう。世界文化遺産「麗江旧市街」。
第161回「 承徳の避暑山荘と外八廟 <9> 」
~皇帝たちの夢~
2011年10月27日(木)放送
要衝の地に山荘を建築し、この地を外交の舞台とした康熙帝と乾隆帝は、多くの民族を包んだ、大帝国を築こうとしていた。2人の偉大なる皇帝が、この避暑山荘に見出していたものは何だったのか。避暑山荘を取り巻く「外八廟」。寺院にはチベット様式が多く取り入れられている。また山荘内にもモンゴルのゲルを模した建築があり、皇帝がここで自ら、モンゴルの首長たちをもてなした。
第160回「 承徳の避暑山荘と外八廟 <8> 」
~建築~
2011年10月20日(木)放送
避暑山荘の建築には、少数民族を懐柔するための戦略が秘められている。最盛期の皇帝・乾隆帝が建築した「麗正門」。ここには乾隆帝が自ら筆をふるって、満州語、チベット語、漢語、ウイグル語、モンゴル語の、5つの言語で“麗正門”と書かれている。また、歴代清朝皇帝は、チベット仏教を信仰しており、チベットの「ポタラ宮」そっくりの「普陀宗乗之廟」を造らせた。特徴的な赤と白のコントラストが見事に再現されている。