第229回「 三江併流 <6> 」
~金沙江~

2013年2月14日(木)放送

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3つの大河、金沙江、瀾滄江、怒江からなる、世界自然遺産「三江併流」。3本の川のうち最も東に位置するのが金沙江。青海省から四川省にかけて流れる、長江の上流部分にあたる。両岸には玉龍雪山など5000m級の山がそびえ、深い渓谷をなしている。山と川の落差は、深いところで3000メートル。「千尋の谷」とはよく言われるが、千尋はメートルに直すと、およそ1800メートル。それよりも遥かに深い。

第228回「 三江併流 <5> 」
~世界に類をみない秘境~

2013年2月7日(木)放送

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中国南西部にそびえる、扎拉雀尼峰(さつらじゃくにほう)。海抜は5630メートル。この山では、海洋微生物が沈殿し岩となった、珪質虫岩(けいしつちゅうがん)が見られる。これは、かつての海の底が、地殻変動により、地上数千メートルまで押し上げられたものだ。5000万年前に起きたインド大陸とユーラシア大陸の衝突は、この地に複雑な地形をもたらした。並行して流れる3本の大河。無数の山脈の合間に深く刻まれた渓谷。そこには珍しい動植物が生息し、多くの少数民族が生活を営んでいる。物語の続きを始めよう。世界自然遺産「三江併流」。

第227回「 昆曲 <10> 」
~傑作の数々~

2013年1月31日(木)放送

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600年以上もの歴史を持つ、中国の無形遺産「昆曲」。明王朝の時代に最盛期を迎えたが、その人気は清王朝になっても変わらなかった。この時代に傑作を残した2人の劇作家がいる。洪昇と孔尚任だ。どちらも秀才だったが、昆曲の作家というのは、宮廷ではなかなかその才能を認められなかった。洪昇の代表作は「長生殿」。唐の玄宗皇帝と楊貴妃の愛の物語だ。孔尚任は孔子の64代の子孫である。代表作は「桃花扇」。滅亡していく明王朝を舞台に、実在の文人と芸妓の純粋な愛が描かれている。

第226回「 昆曲 <9> 」
~牡丹亭~

2013年1月24日(木)放送

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明王朝末期、昆曲における、不朽の名作を作り上げた劇作家がいた。湯顕祖という人物である。作品の多くが夢をテーマにしており、中でも大傑作が、「牡丹亭」である。舞台は南宋の時代。太守の娘、杜麗娘は、ある日、屋敷内の庭園に初めて出かけ、そこで居眠りしてしまう。そして夢の中で、柳夢梅という若者に出会い、恋に落ちる。夢から覚めた杜麗娘は叶わぬ恋を嘆き、病となり、死んでしまう。その3年後、柳夢梅という名の書生が、科挙を受けるため都へ向かう途中、この地に立ち寄った。そして…

第225回「 昆曲 <8> 」
~昆曲を大成させた人物~

2013年1月17日(木)放送

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美しい音曲に合わせ、俳優たちが歌い、舞う。セリフは文学性に富み、その仕草は艶やかだ。無形文化遺産「昆曲」。現代において、その創始者と言われているのが、明王朝後期の人物、魏良輔である。彼は昆曲のルーツである、「昆山腔」が生まれた蘇州の人で、南方の旋律に親しんでいた魏良輔はある時、北方の旋律「北曲」を奏で歌う、張野塘という若者に出会う。魏良輔は張野塘の歌声に惚れ込み、たちまち意気投合した。北曲と南方の旋律が出会い、これが新たな音曲、新たな戯曲へと発展していく。

第224回「 昆曲 <7> 」
~昆曲の誕生~

2013年1月10日(木)放送

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ユネスコの無形文化遺産、「昆曲」。この中国特有の演劇は、元王朝から明王朝にかけての時代に形作られていった。この時代に中国の演劇が発展したことには、歴史的な背景がある。モンゴルによって打ち立てられた元王朝は、およそ100年の間、官僚登用のための科挙試験をあまり行わなかった。科挙に合格し登用された者は、わずか1000人あまりであったという。世に出る機会を失われていた文人、知識人たちは、やがて演劇の台本を書くことに活路を見出し、没頭していく。

第223回「 昆曲 <6> 」
~中国古典演劇の最高峰~

2013年1月4日(金)放送

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世界で最も有名な戯曲の演目の一つ、「牡丹亭」。若く美しい男女の恋物語だが、生と死、夢と現実が交錯する、幻想的なストーリーである。語られるセリフは格調高く、奏でられる音曲は流麗で美しい。こうした形式の演劇は、あまたの中国古典演劇の中で最も尊敬を集め世界中の人々から愛されている。再び幽玄の世界へとお連れしよう。無形文化遺産、「昆曲」。

第222回「 廬山 <8> 」
~神秘の山~

2012年12月27日(木)放送

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陶淵明が桃源郷を見出し、多くの文人墨客が愛した、 世界遺産「廬山」。伝説によると、この地には「匡俗」という人物が住み、修行の末、不老不死を得て仙人となり、天上世界へ昇ったというあとに匡俗の廬が残されたことから、匡廬・廬山の名があると云われる。神秘的な景観と逸話を持つ廬山では、様々な信仰が育った。

第221回「 廬山 <7> 」
~廬山の自然~

2012年12月20日(木)放送

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世界文化遺産、廬山。山容は雄大にして測り知れず、 見る角度が違えば2つと同じ景色はない。これぞ廬山の真面目(しんめんもく)、真骨頂である。廬山は、多くの文人が足跡を残したことや、朱子学の祖、朱熹が教鞭をとった中国随一の書院を要したこと、蒋介石が住まい、一時は政治の中心となったことなどから、世界文化遺産に登録されている。しかしその自然にも、もちろん見るべきものがある。

第220回「 廬山 <6> 」
~別荘地・嶺~

2012年12月13日(木)放送

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古くから中国随一の書院があり、東西文化が交わった所でもあった廬山には、近代以降、外国人がこぞって別荘を建てた。19世紀末、廬山の一角に外国人の一大別荘地が誕生する。建設したのはイギリス人商人で宣教師のエドワード・セルビー・リトル。リトルは、清王朝から土地を買い受け、英語で「涼しい」を意味する「Cooling」と名付けた。これが有名な避暑地「嶺(これい)」、 中国語読みで「グーリン」の由来である。