第249回「龍門石窟<6>」
~造営が中断された石窟~
2013年7月4日(木)放送
岩肌を削り造られた、三体の仏像。穏やかな表情を湛えたその隣には、作りかけの仏像が見える。中断された磨崖仏の造営。
北方の異民族が築き、中国初の女帝が幕を下ろしたその石窟は、時を止めたように往時の姿を今に伝えている。敦煌、雲崗と並び、中国三大石窟の一つに数えられるこの石窟は、6つの王朝に渡り造営が続けられた歴史をもつ。
第248回「周口店の北京原人遺跡<8>」
~戦争に翻弄された遺産~
2013年6月27日(木)放送
北平協和医学院に保管されていた頭蓋骨は、1941年11月末のある夜、密かに運び出された。そして、アメリカ海兵隊の専用列車で、天津を経由して秦皇島の港へ。しかしその到着日は12月8日。秦皇島はすでに、日本軍に占領されていた。この混乱の中、北京原人の頭蓋骨は、忽然と姿を消した。一体どこで消えたのか。70年以上たった今も所在はわかっていない。
第247回「周口店の北京原人遺跡<7>」
~頭蓋骨を守ろうとした学者たち~
2013年6月20日(木)放送
1937年、盧溝橋事件が発生。日中が全面戦争に突入し、周口店も日本軍の占領下に入った。これにより、北京原人の発掘作業は中止。さらには頭蓋骨が保管されていた北平協和医学院も、日本軍に監視された。研究者たちは頭蓋骨を守ろうとした。3つの頭蓋骨を発掘した賈蘭坡は発掘記録を模写し、ひそかに持ち帰った。また当時医学院で研究をしていたドイツ人の解剖学者は、頭蓋骨のレプリカを作った。
第246回「周口店の北京原人遺跡<6>」
~北京原人の5つの頭蓋骨~
2013年6月13日(木)放送
北京原人は近年の研究では、およそ75万年前に現れたとされる原人である。周口店遺跡の「第一地点」と呼ばれる場所では、2百を超える化石が出土している。第一地点では、中国人研究者・裴文中によって初めて完全な形で発掘された1929年以来、37年までに合計5個の北京原人の頭蓋骨が発見された。大量の骨の化石も見つかり、それらを合わせると40体分にもなったという。
第245回「周口店の北京原人遺跡<5>」
~若き研究者による大発見~
2013年6月6日(木)放送
北京市周口店にある龍骨山。この山には、数百万年に渡る、生物たちの記憶が眠っている。そのなかには400万年以上前に生息した魚の化石も見つかっている。化石は環境の激変により、瞬間的に凝固し、地層に埋まったものだ。50万年前には、巨大な角を生やした鹿が闊歩し、サイも生息していた。そんな50万年前、人類の祖先と似た特徴を持つ、原人がこの地に生きていた。25歳の中国人研究者によってもたらされたこの発見は、世界に大きな衝撃を与えた。物語の続きを始めよう。世界文化遺産「周口店の北京原人遺跡」。
第244回「武当山の古代建築物群<9>」
~金殿に祀られた真武大帝の像~
2013年5月30日(木)放送
武当山の名は、この山で修行し仙人となった、玄武大帝にちなんでいる。「ただ玄武のみ、これに当たるべし」玄武だけがこの山で仙人になることができた、との意味である。玄武はのちに真武大帝と呼ばれるようなった。15世紀、この武当山を自らの権力の拠り所とすべく、壮大なる宮殿を築いた皇帝がいた。明の永楽帝である。
永楽帝が、人々の尊敬を集めるために建てたのが、武当山の頂で金色に輝く金殿である。また、ここに祀る真武大帝の像をも永楽帝は造らせた。その顔は、自らに似せて鋳造させたのだ。
第243回「武当山の古代建築物群<8>」
~山頂に君臨する黄金の宮殿~
2013年5月23日(木)放送
仙人の伝説を持つ道教の聖地、武当山。山頂を目指す旅はクライマックス。武当山の頂、天柱峰である。天柱峰の建築物群は、北京の紫禁城と同じ様式で造られている。天空の紫禁城の主殿は、金色に輝く「金殿」。これも北京の太和殿を模して造られている。驚いたことに、この金殿は、木造に金箔を貼ったものではない。建材は何と、銅である。
第242回「武当山の古代建築物群<7>」
~岩に寺が刻まれた南岩~
2013年5月16日(木)放送
道教の聖地として尊敬を集める、世界文化遺産「武当山の古代建築群」。冒頭の漢詩で作者が遠く眺めているのは、この武当山の山並みであるとされる。麓から山頂を目指す旅は、いよいよ佳境である。壮大な威容を誇る紫霄宮を後にし、さらに登って行くと、武当山に36ある美しい岩のうち、最も有名な「南岩」へと至る。目を見張るのは、その自然の断崖や岩肌の隙間に、はめこまれたかのように見える建築群である。
第241回「 武当山の古代建築物群<6> 」
~壮大な古建築、紫霄宮~
2013年5月9日(木)放送
中国・湖北省にある道教の聖地「武当山」。山頂を目指すと、その途中にあるのが、山の斜面に沿って建てられた壮大な建築、紫霄宮である。元の時代にはすでに建立されていたが、この山を篤く信仰した明の永楽帝が、大規模な改修を行った。その主殿は、36本の巨大な柱に支えられた、紫霄殿だ。
第240回「 武当山の古代建築物群<5> 」
~道教の聖地~
2013年5月2日(木)放送
海原の如く続く山並みの中に現れる、荘厳な建築。それはまるで天空の宮殿。はるか昔、西周の時代、この山で浄楽国の太子・玄武が修行し、仙人となったと伝わる。太子はのちに真武大帝として敬われ、この山に祀られた。ここは、中国の歴史と思想に大きな影響を与えてきた、道教の聖地。物語の続きを始めよう。世界文化遺産「武当山の古代建築物群」。