第259回「西逓・宏村<10>」
~風水で守られている村落~
2013年9月12日(木)放送
中国の風水の説には、「家は青龍を左とし、白虎を右とし、朱雀を前とし、玄武を後ろとするが最も貴し」とある。これは「家の左側に川が流れ、右側に平坦な道路が通り、前には池があり、後ろには山がある」と読み解くことができる。宏村の家々はまさにこれと合致している。
第258回「西逓・宏村<9>」
~徽州(きしゅう)商人の美しい故郷~
2013年9月5日(木)放送
山々に囲まれた西逓(せいてい)と宏村(こうそん)は、外の地域と隔絶された、隠れ里のような村落である。この2つの村は、唐と南宋の時代に戦乱を逃れた、王族や名家の末裔によって営まれてきた。その幻想的な景色から、桃源郷の村と呼ばれる西逓。そこから8キロほど離れた宏村は、まさに水墨画の如き風景である。新たな夢幻の旅を楽しもう。
第257回「古琴<9>」
~古琴が結んだ恋~
2013年8月29日(木)放送
古くから仲睦まじいことの例えとして用いられてきた「琴瑟(きんしつ)の和」。前漢時代の大富豪の娘、卓文君は司馬相如という文学者の古琴の演奏を聴き、たちまち恋をした。大富豪はこれに激怒し娘を勘当するが、駆け落ちした二人の愛を貫く様子に結婚を認めたという。後世の人々は二人を鳳凰になぞらえ、その物語は「鳳求凰」という古琴の名曲となった。
第256回「古琴<8>」
~心を通わせる古琴の力~
2013年8月22日(木)放送
古琴を奏でることは、人との対話であり、また、自分自身との対話でもある。儒教の創始者・孔子も、古琴の愛好者だった。ある日、孔子は、古琴の師匠が古い曲を奏でるのを聴き、師匠に向かい、こう言った。「私には周の文王が琴を弾いているように思えます」師匠は驚いた。演奏していたのは、周の文王が作った「文王操」という曲だったからである。もちろん孔子は、それを知らないはずだった。人と琴が一心同体となること。これこそが、文人たちの目指した境地であった。
第255回「古琴<7>」
~古琴に用いられた楽譜~
2013年8月15日(木)放送
かつて古琴には長い間、楽譜が存在しなかった。主に師匠から弟子への口伝であり、楽曲が譜面として記されるようになったのは、唐王朝のころからである。曹柔という人物が、漢字を略して組み合わせた楽譜、「減字譜」を発明したことにより、我々は古の名曲を楽しむことができる。
第254回「古琴<6>」
~古琴に見える小宇宙~
2013年8月8日(木)放送
伝統的な古琴の構造は、漢の時代にはほぼ定まっていたとされる。上部は桐の木が用いられ、材質が柔らかいため、まろやかな音を出す。底板には硬い梓の木が用いられている。陰陽説で桐は陽、梓は陰であり、中国の哲学思想を体現している。
第253回「古琴<5>」
~古琴の音色~
2013年8月1日(木)放送
中国人が古琴を生み出したのは3000年以上昔。20世紀に発掘された、戦国時代の女性の墓である「曽侯乙墓」からも、古琴が出土している。時にたおやかに、時に激しく爪弾かれる古琴の音色は、言葉以上の思いを語ってくれる。その音に耳を澄ましてみよう。
第252回「龍門石窟<9>」
~女性達が造った石窟~
2013年7月25日(木)放送
龍門の西山に一際異彩を放っている石窟がある。「万仏洞」の建造を監督したのは、姚神表と智運禅師という二人の女性であった。本尊は阿弥陀仏。頭部に優美なもとどりを結い、頬はふくよかである。それとは対照的に、蓮華座を支える力士たちの姿は、筋骨たくましく、躍動感にあふれている。さらに、54本の蓮華それぞれに座る菩薩像という斬新な構図も、この二人の考案といわれ、女性ならではの繊細さが感じられる。則天武后が二人に石窟を造らせたのは、女性の力を知らしめるためだったのか。
第251回「龍門石窟<8>」
~石窟を造ったもう一人の主役~
2013年7月18日(木)放送
龍門の東山で最も有名な石窟が「擂鼓台中洞」である。この窟が完成したのは則天武后の時代。唐王朝から帝位を奪い、女性初の皇帝となった武后は、自らを弥勒菩薩の生まれ変わりだと唱えた。釈迦の入滅から、56億7千万年後に現れ、庶民を救うとされる弥勒菩薩。北魏時代の弥勒が男性像であったのに対し、則天武后の頃の弥勒は、多くがふくよかな女性である。自らを神格化しようとした武后の狙いがうかがえる。
第250回「龍門石窟<7>」
~孝文帝の2つの姓~
2013年7月11日(木)放送
龍門石窟を造った北魏王朝の孝文帝には、2つの名前がある。元々の名は、遊牧民族・鮮卑の姓である拓跋、名は宏。しかし後に、姓を中国風の元と改め、元宏と名乗った。異民族の鮮卑が漢族を治めるため、名を変えたのである。