第299回「武夷山<12>」
~閩越王国の全貌~

2014年6月19日(木)放送

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紀元前334年、戦乱の中原を逃れ、現在の福建省に王国を打ち立てた閩越(びんえつ)。秦の始皇帝の死後、反旗を翻し、漢の劉邦に協力して、この地で勢力を拡大した。20世紀の発掘調査により、ここにあった閩越の都の様子がわかってきている。都全体の面積は、2万平方メートルに及ぶ。遺跡には都の防衛を担った砦や防壁、城門が確認されており、治水設備や、水田の跡なども遺されていた。閩越が優れた文明を持っていたことが伺える。

第298回「武夷山<11>」
~武夷山の古代文明~

2014年6月12日(木)放送

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武夷山の南麓にある「城村」には4000年前の古代文明の痕跡が遺されている。武夷山の古代人たちは、断崖絶壁の隙間や洞窟で暮らし、彼らの棺も断崖で発見されている。3.5メートルほどの船の形をした棺は、クスノキをくりぬいたもので、現在でも木目が鮮明に見えるほど保存状態がよい。内部には竹製のゴザにくるまれた人骨が納められていた。

第297回「武夷山<10>」
~古の王国・閩越~

2014年6月5日(木)放送

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紀元前110年、漢の武帝は大軍をもって閩(びん)を攻めた。閩とは現在の福建省である。この地で勢力を誇っていた閩越(びんえつ)は、臥薪嘗胆の故事で知られる越の王、句践(こうせん)の子孫が建てた国である。だが武帝の圧倒的な力の前に、閩越は滅亡した。険しい断崖や渓谷に守られ、独自の王国を築いていた閩越。現在この地は、世界遺産の一部となっている。さらなる物語へと誘おう。世界複合遺産「武夷山」。

第296回「秦の始皇陵<15>」
~名も無き庶民たちの手紙~

2014年5月29日(木)放送

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始皇陵の造営に動員された人々は70万人、始皇帝の治世で戦争に駆りだされた兵士は100万人といわれる。1975年、秦の時代の書簡が二通見つかった。そのうちの一つを書いたのは、黒夫という一兵卒である。手紙を見ると、黒夫が一番気にかけているのは母親のこと。母の世話を任せた兄に向けて、母を頼むと何度も繰り返している。「名も無き兵士たち」と人は言う。しかし彼ら一人一人は、名もあり家族もある、人間だった。

第295回「秦の始皇陵<14>」
~兵馬俑の細部~

2014年5月22日(木)放送

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始皇陵から現在までに出土している兵馬俑(へいばよう)は7000体を超えるが、これらは埋葬されたもののごく一部である。発掘がストップしているのは、彩色されていたはずの俑が外気に触れると、一瞬にして色褪せるからである。本来の兵馬俑は、カラフルな色が塗られていたのである。

第294回「秦の始皇陵<13>」
~始皇帝暗殺の企て~

2014年5月15日(木)放送

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漢の劉邦の軍師として名高い張良は、始皇帝の暗殺を企て、馬車に鉄槌を投げつけ襲った。だが鉄槌は別の馬車に当たり、暗殺は失敗した。その後、始皇帝は細心の注意を払うようになったが、皮肉にも、その生涯を閉じたのは馬車の中であった。

第293回「秦の始皇陵<12>」
~始皇帝の誕生~

2014年5月8日(木)放送

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大商人・呂不韋(りょふい)は、後の始皇帝の父・子楚(しそ)を秦王として擁立した。王が没し、その子・贏政(えいせい)が王位につくと、呂不韋は後見人として権力を振るう。この呂不韋は、秦王・贏政の母親と密通していた。政の成人後、それが元で呂不韋は失脚し、命を断つ。後の始皇帝、贏政の独裁は、この時から始まる。

第292回「秦の始皇陵<11>」
~地中に眠る大帝国~

2014年5月1日(木)放送

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現在ではエンペラー、カイザー、ツァーリなどは、すべて「皇帝」と訳されている。だが、元来この称号は、ひとりの人物が名乗り、その後、数千年にわたって受け継がれたものだった。初めて「皇帝」を名乗った人物、すなわち「始皇帝」である。その墓は、素焼きで作られた無数の兵士と盗掘者を葬る罠に守られ、ある時は音曲に身を委ねながら、ある時は曲芸を楽しみながら、金銀財宝に囲まれて眠っている。さらなる物語へと誘おう。世界文化遺産「秦の始皇陵」。

第291回「黄山<13>」
~心の山 黄山~

2014年4月24日(木)放送

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「天下の名景集まる」と謳われる、世界複合遺産「黄山」。この山を描くことで一流をなした、「黄山画派」と呼ばれる画家たちがいたように、黄山は今も、多くの芸術家たちに愛されている。刻一刻と変化し、二度と同じ姿を見せることがない黄山の絶景は、世界中の人々を惹きつけてやまない。

第290回「黄山<12>」
~黄山を描き続けた画家 漸江~

2014年4月17日(木)放送

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安徽省に生まれ、黄山を描き続けた画家がいる。中国画壇に多大な影響を与えた、「黄山画派」の一人、漸江(ぜんこう)である。朝廷に使えていた漸江は、国を失った。各地を旅し、黄山にたどり着いた漸江は、黄山を描くことに後半生を捧げた。岩盤の地肌が荒々しい峰で、たくましく伸びる松の木。漸江が描く風景は、国を失った彼の心を写したような、悲壮感に満ちている。