第309回「武当山<13>」
~嘉靖帝と武当山~

2014年8月28日(木)放送

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クーデターで権力の座についた永楽帝と同じく、明の第12代皇帝・嘉靖帝も自らの出自に苦悩した。先の皇帝が子のないまま没したため、その従兄弟であった嘉靖帝が帝位を継いだのだ。永楽帝が北京の天壇や武当山の建築群を築き、己の権威を高めようとしたように、嘉靖帝もまた自らの地位への不安から、それらの改修に務めた。武当山最大の壮麗なる建築、紫霄宮(ししょうきゅう)の改築をし、天壇をほぼ現在の姿に作り変えたのも嘉靖帝である。しかし嘉靖帝は永楽帝のように、これらを政治に利用しようとはしなかった。

第308回「武当山<12>」
~武当山が祀る水の神~

2014年8月21日(木)放送

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多くの中国人が敬意を持って訪れる山、武当山。この山が祀る「玄武」は北の守り神であると同時に、水の神でもある。水は五穀豊穣をもたらす。歴代の帝王は古くからこの武当山で雨乞いを行ってきた。72の山が取り囲む、武当山の中心、天柱峰は、蝋燭の炎のように見えるため、別名を「火形山」という。道教の八卦五行説では、「水が火の上にあれば天下は救われる」とされている。天下泰平を願っていた永楽帝は玄武の像を火形山の頂上に安置した。

第307回「武当山<11>」
~天に選ばれし皇帝~

2014年8月14日(木)放送

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武当山に壮麗な建築を築いた、明の第3代皇帝・永楽帝。永楽帝が、その治世で追い求め続けたのは、皇帝の実子ではない自分が帝位についた事の正当性だった。彼は天に選ばれし皇帝であると世に印象付けるため、北京に天と対話する場所、天壇を作った。そして、自分は道教の神、真武大帝の命により兵を上げたとし、その像も造らせた。

第306回「武当山<10>」
~武当山と二人の皇帝~

2014年8月7日(木)放送

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古くから道教の聖地とされてきた、武当山。明王朝の時代、ここに壮麗な建築群を築き上げた、2人の皇帝がいた。ひとりは、明王朝に隆盛をもたらした名君、永楽帝。もうひとりは、王朝を衰退させた元凶とされる、嘉靖帝。だが2人の出自は、よく似ていた。ともに皇帝の実の子供ではないという、負い目を背負っていたのである。なぜ2人はこの山にこだわったのか。さらなる物語へと誘おう。世界文化遺産「武当山の古代建築物群」。

第305回「故宮<19>」
~宮中絵師たちが描いた、院画~

2014年7月31日(木)放送

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明清王朝の時代、宮中では過去の書画を収集、所蔵するだけではなく、専属の画家を抱えて、絵画を描かせていた。彼らの作品は「院画」と呼ばれた。18世紀の中頃、清の乾隆帝は西域のジューンガル部の反乱を二度にわたり平定する。乾隆帝はその成功を祝って、宮中の西洋画家に、『平定西域戦図冊』という大作を描かせた。この絵は銅版画にするべくフランスへ運ばれ、7人の彫版師が7年をかけて完成させた。

第304回「故宮<18>」
~中国磁器の最高峰、琺瑯彩~

2014年7月24日(木)放送

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故宮博物院に収蔵されている磁器の中に、清の康熙帝によって生み出されたものがある。眩いばかりに色鮮やかな、琺瑯彩(ほうろうさい)である。康煕帝は西洋の焼き物を大変好んでおり、その技法を磁器に応用したのだという。琺瑯彩の製造過程は、他の磁器とは異なる。まずは景徳鎮産の優れた陶磁器を取り寄せ、それに宮中の御用絵師が絵を描き、彩色を施す。そして宮中で焼かれるのである。

第303回「故宮<17>」
~宋王朝時代の磁器~

2014年7月17日(木)放送

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現在、故宮に収蔵されている磁器は、およそ35万点。その大半が明と清の時代のものだが、それ以前に作られた磁器も収められている。中でも有名なのは、宋王朝時代に、五大窯と呼ばれる5つの窯で焼かれた作品だ。その一つ、鈞窯(きんよう)の磁器は、他の窯では見られない神秘的な色が特徴である。これは高温の窯の中で偶然に現れるもので、その現象を窯変と呼ぶ。色はひとつひとつ異なる。

第302回「故宮<16>」
~歴代王朝が集めた磁器の数々~

2014年7月10日(木)放送

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歴代王朝の宝物が眠る、北京の故宮博物院。その収蔵品のうち、最も多いものは磁器である。中国の磁器の最盛期、清の乾隆年間につくられた、「乾隆各色釉彩大瓶」には、15種類の釉薬が使われ、16種類の文様、12種類の吉祥図が描かれている。まさに磁器の母と呼ぶにふさわしい絶品である。

第301回「故宮<15>」
~故宮の歴史~

2014年7月3日(木)放送

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1923年、紫禁城で火事が起こり、建福宮が全焼した。建福宮は皇室所蔵の宝物が収められていた建物である。火事の原因はわからない。だが当時の人々は、宦官たちが秘かに宝を売りさばいており、それが露呈しないよう放火したのだと噂した。18日後、宦官は全員紫禁城から遠ざけられた。紫禁城が宮殿としての役割を終え、故宮博物院となったのは、その2年後である。新たな旅を始めよう。世界文化遺産「故宮」。

第300回「武夷山<13>」
~武夷山の出土品~

2014年6月23日(月)放送

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古の王国、閩越(びんえつ)の遺跡で発掘された文物の多くは、第一級の重要文化財に指定されている。田んぼを掘り起こす際に使ったクワ。その形は、今もこの地方で使われている物に似ている。15キログラムもの重さがあるスキ。これまでに中国で発見された鉄のスキで最も重い。「歯輪」と呼ばれる、22個の歯がついた歯車状のもの。これはいまだに何に使われたものかわかっていない。