第329回「廬山<11>」
~陶淵明が描いた桃源郷~

2015年1月15日(木)放送

#

古来より文化人に愛されてきた「廬山」。陶淵明が廬山をモデルとして描いた理想郷『桃花源記』では、桃の林を分け入ると、平野があり立派な家屋が並び、良い田んぼと美しい池、桑や竹などもあった。あぜ道が交わり、鶏や犬の声も聞こえ、往来して働く男女の衣服は別世界の人のようである。人々は始皇帝の時代に戦乱を逃れ、この地に住むようになったという。この地を見つけた漁師は、家に帰った後、再び村を探すが、誰もそこには辿り着けなかったという。

第328回「廬山<10>」
~詩人・陶淵明の生涯~

2015年1月8日(木)放送

#

陶淵明が見出した、この世の桃源郷「廬山」。彼が生きた魏晋南北朝時代は、文化人が憧れる中原が北方民族に奪われ、戦乱の絶えない混乱した世だった。そんな中、陶淵明が理想の世界として描いたのが『桃花源記』である。
下級役人であった陶淵明は優れた才がありながら、要職に恵まれず、隠遁生活を送るようになった。偽善的な役人生活を嫌い、廬山に隠遁し、田園詩の新境地を開いた陶淵明は、427年62歳でその生涯を閉じた。

第327回「廬山<9>」
~この世の桃源郷~

2015年1月1日(木・祝)放送

#

江西省九江市にある廬山は、標高1474メートル。
周囲を絶壁に囲まれ、雲海に包まれた美しい山である。
南北朝の詩人、陶淵明が記した『桃花源記』にも登場するこの山は、別荘地としても知られ、蒋介石や毛沢東といった政治家や、ノーベル賞作家のパール・バックなど外国人にも愛されてきた。さらなる物語へ誘おう。世界文化遺産「廬山国立公園」。

第326回「龍門石窟<13>」
~武韋の乱~

2014年12月25日(木)放送

#

690年に唐王朝の帝位を奪取し、武周と呼ばれる王朝を打ち立てた則天武后。唐王朝が信奉していた道教ではなく仏教を重んじ、龍門石窟の造営にますます力を入れた。しかし晩年に、唐王朝復活の機運が高まり、705年に武后は帝位を唐に返上し、同じ年、則天武后は病没する。武后がかつて廃位した息子の中宗が再び皇帝となったが、武后を真似て権力の座を狙った、后の韋后に毒殺された。武后と韋后が起こした一連の混乱は、「武韋の乱」と呼ばれる。その後、韋后はおいでのちの玄宗皇帝となる李隆起に討たれる。300年の太平を謳歌した唐王朝。龍門石窟はその陰にあった数々のドラマを見守ってきた。

第325回「龍門石窟<12>」
~中国初の女帝誕生~

2014年12月18日(木)放送

#

唐の第三代皇帝・高宗の后、武照は政治の実権を握り、「龍門石窟」に巨大な盧舎那仏を築いた。683年に高宗が病没すると、武照は皇帝の座を狙い始めた。家臣たちの意見は割れていた。そんな中、河南地方の汜水で、仏典の「大雲経」が彫られた石が発見された。そこには武照は弥勒菩薩の生まれ変わりで、天子と同様に尊ぶべしと書かれていたのだ。690年、武照は皇帝に即位した。のちに則天武后と呼ばれる、中国初の女帝の誕生である。

第324回「龍門石窟<11>」
~女帝誕生前夜~

2014年12月11日(木)放送

#

唐の詩人、李白・杜甫・白楽天も愛した場所と言われる、世界文化遺産「龍門石窟」。南北朝時代に北魏が作ったものだが、北魏滅亡後も造営が続いていた。再び最盛期を迎えるのは、唐の第三代皇帝・高宗の時代。后である武照は宮中の女官であったが、高宗に見初められ皇后となった。そして夫が病弱だったため、政を補佐した。武照は政治的センスに優れ、後に活躍する優秀な官僚を見出した。675年、武照は巨大な盧舎那仏を開眼させ、女帝への階段を駆け上がっていく。

第323回「龍門石窟<10>」
~盧舎那仏竣工~

2014年12月4日(木)放送

#

1300年余り前、唐王朝の東の都・洛陽に巨大な仏像が完成した。洛陽の南に流れる伊水を挟んで、東西1キロに渡って伸びる断崖に、十万体以上の仏像を擁する石窟寺院がある。この日竣工したのは、盧舎那仏。作ったのは、のちに中国最初の女帝となる則天武后である。
さらなる物語へと誘おう。世界文化遺産「龍門石窟」。

第322回「雲崗石窟(うんこうせっくつ)<12>」
~南北朝時代の終焉~

2014年11月27日(木)放送

#

山西省大同市にある世界文化遺産「雲崗石窟」。大同市はかつて平常と呼ばれ、北方民族・鮮卑の王朝「北魏」の都だった。六代皇帝・孝文帝は493年に平城から洛陽へ遷都した。孝文帝を模した大仏がある第五窟と、孝文帝に愛情を注いだ文明太后の仏母塔がある第六窟では、北魏の仏教美術の真骨頂を見ることができる。仏母塔には、釈迦が生まれ、仏陀となり、仏法を広めるようになるまでの物語が彫刻で描かれている。北魏はのちに東西に分裂。およそ50年後、隋の文帝・楊堅が中国を統一。中国の仏教文化はこののち、東アジアへと広がっていく。雲崗石窟はその文化のさきがけであった。

第321回「雲崗石窟(うんこうせっくつ)<11>」
~文成帝とその后の物語~

2014年11月20日(木)放送

#

世界文化遺産「雲崗石窟」が彫られている武周山は、二本の長城の間にある。北方の大草原に通じる要衝であり、北魏の皇帝は神の山と崇めた。西暦460年、武周山で石窟の造営が始まった。命じたのは四代皇帝・文成帝。文成帝の后は漢族の女性で、かつて北魏が滅ぼした国の皇族の娘だった、文明太后と呼ばれる彼女は、文成帝の死後、抜群の政治力を発揮し、北魏を隆盛に導いた。

第320回「雲崗石窟(うんこうせっくつ)<10>」
~北魏の皇帝たちの物語~

2014年11月13日(木)放送

#

鮮卑族の北魏王朝が作った、世界文化遺産「雲崗石窟」。最も有名な「曇曜(どんよう)五窟」の5体の仏像は、初期の5人の皇帝の姿とされている。北魏を打ち立てた初代・道武帝。父を殺した弟を討ち、即位した二代皇帝・明元帝。華北を統一し、南北朝時代を出現させた、三代皇帝・太武帝。太武帝の皇太子で、若くして没した景穆帝(けいぼくてい)。僧の曇曜に命じて、雲崗石窟を作らせた四代皇帝・文成帝。