第369回「青城山と都江堰<8>」
~都江堰の完成と中国統一~
2015年10月22日(木)放送
水利施設の建設を任じられた李冰。この大事業には3つの狙いがあった。一つは長江と成都をつなぎ、強国・楚へ侵攻する道筋を作ること。2つ目は度々洪水をもたらす岷江の流れを鎮めること。3つ目は成都平原に水の恵みをもたらすことであった。李冰がもたらした岷江の水で、成都は豊かな土地となり、国力を増した秦は楚を滅ぼす。始皇帝の中国統一は、その2年後である。
第368回「青城山と都江堰<7>」
~都江堰建設に立ちはだかった巨大な壁~
2015年10月15日(木)放送
2千数百年前から今も続く都江堰の水利施設は、司馬錯の戦略をきっかけに、李冰(りひょう)という一人の天才によって生み出された。時の秦王、昭襄(しょうじょう)王から四川の役人に任じられた時、李冰は30歳。ところが大きな障害があった。巨大な岩山が李冰の行く手を阻んだのである。タガネや石鎚で削っていけば30年はかかる。そこで李冰は、驚くべき奇策で山を切り崩した。その方法とは…。
第367回「青城山と都江堰<6>」
~秦の名将・司馬錯の戦略~
2015年10月8日(木)放送
かつて「蜀」と呼ばれた四川省。その豊かさから「天府之国」と称えられてきた。以前は洪水と干ばつに悩まされたこの地を、豊潤な穀倉地帯に変えたのが都江堰である。洪水を未然に防ぎ、なおかつ、岷江(みんこう)の豊かな水を、蜀の都・成都へ導くのがその役割だ。建設されたのは戦国時代。きっかけを作ったのは、司馬錯という秦の将軍である。
第366回「青城山と都江堰<5>」
~歴史を変えた水利施設~
2015年10月1日(木)放送
群雄が割拠した中国の戦国時代。最も西に位置し、最強を誇ったのが秦国である。秦の中国統一には、分水嶺とも言える出来事があった。一人の天才が優れた灌漑施設を築き、秦は広く豊かな土地を得た。そしてその国力を背景に、戦国の世を一気に平らげたのである。歴史を動かした分水嶺とは…。物語の続きを始めよう。世界文化遺産 「青城山(せいじょうさん)と都江堰(とこうえん)水利施設」。
第365回「峨眉山と楽山大仏<8>」
~峨眉山にまつわる演劇~
2015年9月24日(木)放送
四川地方の伝統演劇、「川劇(せんげき)」。その中に『白蛇伝』という峨眉山にまつわる物語がある。峨眉山で千年修行し道教を極めた白蛇は、女性に姿を変え、人間の若者と結婚する。しかし2人の前に現れた僧が、女性に化けた白蛇の正体を暴き、夫婦は引き裂かれてしまう。
峨眉山に伝わるこの物語は、かつて山で起きた、道教と仏教の対立を象徴しているともいわれている。
第364回「峨眉山と楽山大仏<7>」
~皇帝から贈られた、レンガ造りの寺~
2015年9月17日(木)放送
16世紀、明王朝の第13代皇帝、隆慶帝の妃が、子宝を祈願して聖寿万年寺を訪れた。願いは叶い、めでたく男児が誕生。男児は後に即位し、万暦帝となる。そして1601年、この寺にレンガ造りの仏殿を建てた。現在までの400年間、寺はおよそ20回の地震を経験したが、このレンガ造りの仏殿は壊れることがなかった。
第363回「峨眉山と楽山大仏<6>」
~峨眉山に残る絢爛たる宝物~
2015年9月10日(木)放送
峨眉山の中心的な寺とされている、「聖寿万年寺」。そこにあるのは、黄金色に輝くきらびやかな「普賢菩薩像」だ。この像が作られたのにはこんな由来がある。宋王朝の皇帝・太宗は、身重の皇后をこの寺の和尚に引き合わせ、世継ぎの誕生を祈祷させた。すると望み通り、男児が誕生したのだ。太宗は和尚のおかげと、この像を作り贈った。
第362回「峨眉山と楽山大仏<5>」
~文化と自然が共存する世界遺産~
2015年9月3日(木)放送
1996年、中国四川省にある一つの山と、その近くに刻まれた巨大な石仏が世界遺産に指定された。その山は古代には道教、その後は仏教の霊山として尊敬され、歴代王朝に保護されてきた。その一方、手付かずの自然も残っており、およそ3千種の植物、2千種の動物が生息している。物語の続きを始めよう。世界複合遺産「峨眉山と楽山大仏」。
第361回「麗江旧市街<13>」
~ナシ族の匠の技~
2015年8月27日(木)放送
ナシ族が古くから培ってきた技術力は、様々な工芸品に見ることができる。麗江の近くで多く産出される銅鉱石を使った銅製品は、精巧で美しく今も人気がある。また革製品の技術も見事で、ナシ族女性の伝統的な服装に、背中を被う皮革があるが、表面には太陽や月、北斗七星などの図柄が描かれる。こうしたデザインは、早朝から深夜まで働く、ナシ族女性の勤勉さを象徴しているという。
第360回「麗江旧市街<12>」
~麗江旧市街の民家~
2015年8月20日(木)放送
「麗江旧市街」は山や丘陵の起伏に沿って建てられており、折り重なる屋根や軒が独特の趣を生みだしている。縦横に走る街路や水路も特徴だ。古い民家の多くは、明清時代に建てられたものであり、建築様式には漢文化の影響が色濃い。三つの棟からなる家屋と庭に設けられた壁が特徴の三房一照壁も、その建築様式の一つである