第379回「ラサのポタラ宮歴史地区<18>」
~ダライ・ラマ13世の物語~
2015年12月29日(火)放送
ダライ・ラマ13世は、摂政を遠ざけ、自ら権力を握り、チベットの近代化を進めた。ポタラ宮やノルブリンカ離宮でも大規模な増築が行われた。13世により増築された白宮の東側の最上階「東日光殿」は、5世が建てた「西日光殿」と対をなして建てられている。1933年、13世はノルブリンカの寝殿で生涯を閉じた。13世の霊塔は、ポタラ宮の霊塔の中で、最も大きく、最も絢爛たるものである。
第378回「ラサのポタラ宮歴史地区<17>」
~ダライ・ラマ7世の物語~
2015年12月24日(木)放送
ポタラ宮が白宮のみだった、ダライ・ラマ5世の時代。紅宮を建設したのは、5世の死後、政治の実権を握った摂政のサンギェー・ギャムツォであった。その後、6世の後見人となるが、国内の争いで6世とともに命を落とす。6世の生まれ変わりとして登場したのが、ダライ・ラマ7世。7世は摂政を廃止し、初めての内閣制を敷いた。また、ポタラ宮と並び世界遺産に指定される「ノルブリンカ離宮」が築かれたのも7世の時世である。
第377回「ラサのポタラ宮歴史地区<16>」
~ダライ・ラマ5世の物語~
2015年12月17日(木)放送
ソンツェン・ガンポの時代からおよそ1000年の後、チベット仏教の指導者であるダライ・ラマ5世が政権を打ち立てた。ポタラ宮の白の部分、白宮をつくった人物である。1652年、5世は大きな影響力を持つチベット仏教を味方につけようとしていた当時の清王朝皇帝・順治帝の求めに応じ、ラサを離れ北京へ出発する。5世が順治帝と会見しラサに帰還した時、おりしも8年の歳月をかけた白宮は完成していた。
第376回「ラサのポタラ宮歴史地区<15>」
~ソンツェン・ガンポの偉業~
2015年12月10日(木)放送
最初に宮殿が作られたのは、633年。「赤い山」を意味するマルポリと呼ばれる高地に、ソンツェン・ガンポが築いたものである。当初の宮殿には999の部屋があったという。ポタラ宮に残る壁画には、ソンツェン・ガンポの数々の偉業が描かれている。伝説的なこの王は、法律を定め、度量衡を統一し、さらにはチベット文字を作らせた。
第375回「ラサのポタラ宮歴史地区<14>」
~天空にそびえる宮殿~
2015年12月3日(木)放送
およそ1400年前、中国チベット自治区のギャマ郷で、伝説的な王が生まれた。名はソンツェン・ガンポ。13歳で吐蕃王朝の王に即位し、わずか4年間で辺境の反乱を鎮圧し国内を統一。巧みな外交で吐蕃を強国にのし上げた。チベットの中心、ラサに初めて宮殿を作ったのもソンツェン・ガンポである。以後、宮殿は歴代の指導者によってその姿を変えてきた。物語は終わらない。世界文化遺産「ラサのポタラ宮歴史地区」。
第374回「武夷山<17>」
~朱熹の不遇の晩年~
2015年11月26日(木)放送
朱熹は晩年、朝廷内の権力争いに巻き込まれ、官職を奪われてしまう。朱子学も誤りとされ、その著書は発禁となってしまった。西暦1200年、朱熹は失意のうちにこの世を去った。享年71。朱子学が復権し、朱熹の名誉が回復されるのは、その死後、およそ40年後のことであった。
第373回「武夷山<16>」
~朱子学の誕生~
2015年11月19日(木)放送
12世紀に活躍した朱熹は、孔子の儒学をさらに進めた「朱子学」の祖である。それまで解釈が諸説対立していた儒学を、壮大に体系化したものが朱子学であるといえる。武夷山にある「興賢書院」は、朱熹が自ら教鞭をふるった学校であり、朱子学はここから中国全土、東アジア諸国に広がっていった。
第372回「武夷山<15>」
~朱子学の祖、朱熹の生い立ち~
2015年11月12日(木)放送
朱熹は西暦1130年に生まれた。学者である父に論語の手ほどきを受け、9歳の時には「孟子」を読破したという秀才だった。ところが1143年、父は若くしてこの世を去った。時に朱熹は14歳。この頃、母と武夷山で暮らし始めたとされる。科挙に合格したのは19歳の時。朱熹は優れた学者だったが、官僚としては必ずしも成功せず、武夷山で儒学の道に邁進することになる。
第371回「武夷山<14>」
~朱熹と武夷山~
2015年11月5日(木)放送
西暦1143年、福建省の山中にある五夫里という村に、14歳の少年がやってきて学問にいそしむ生活を始めた。少年の名は朱熹(しゅき)。朱熹は、孔子を祖とする儒学を体系化し、朱子学とよばれる学説を生み出した。朱子学は、長く中国の倫理や社会秩序に影響を与え続け、日本を含む近隣諸国にまで思想的影響を及ぼした。ここは朱熹が生涯のほとんどを過ごした山。物語は終わらない。世界複合遺産「武夷山」。
第370回「青城山と都江堰<9>」
~都江堰と並ぶ世界遺産、青城山~
2015年10月29日(木)放送
四川省都江堰市にある青城山は、古くから道教発祥の地の一つとして知られてきた。都江堰が完成しておよそ400年後の西暦143年、100歳を超えた一人の老人が青城山へやって来た。老人は、道教の一派である五斗米道(ごとべいどう)の創始者・張陵。張陵は青城山で123歳まで生きたという。この山から中国全土に道教が広まる一方、多くの道士たちが山に集い、火薬をはじめ数々の発明を残した。また、青城山は薬草が豊富だったことから医学も発展した。