1995年1月16日に結婚して10年。阪神淡路大震災から10年。本当にあっという間の10年でした。18時から始まった披露宴。朝方4時ごろ大阪市内のホテルに戻り5時46分52秒からの大きな揺れ。弓がしなる様な大きな揺れは過去経験のしたことのないものでした。
梅田にあるホテル阪急インターナショナルの最上階の客室。揺れの収まった眼下の大阪市の風景はいつもと変わらないものでした。テレビをつけると「京都震度5」大変だとは思いましたがまだピンときません。
しかしその後神戸が大変と言うニュースに変わりあわててホテルを出て取材にでる準備を始めました。結婚式の祝儀袋からいっさいがっさい詰め込み32階から2階のロビーへ駆け下りました。(エレベーターは不通)嫁さんを東大阪の実家にとりあえず帰し社へ向かい取材へ。大阪から西へ向かうにつれ街が破壊されている・・・・自分が住んでいる西宮育った神戸前日まで普通だった街並みの変わり様に言葉がでません。戦争を経験していない私にとってまさに映画でみた光景でした。ただ映画と違うのは生活しているわが町であり故郷が壊されていく現実なのです。
あれから10年。結婚しても10年。いろいろな記憶がよみがえります。震災初日闇の西宮の取材から戻り大阪市内に入るとネオンも輝く普通の世界が広がっていた事。いつも見上げると高速道路が空の景色を遮っていた場所があったが青い空が見えた・・高速道路が落ちていた。嫁さんと2人家が倒れずにあってホッとした瞬間、液状化の駐車場を見て愕然とした事。母校御影北小学校が避難所になりそこからニュースを中継・・こんな形で母校に行くとは・・テレビ大阪で初めて担当した番組「OSAKA発11便」いっしょにレポータの仕事をした伍鳴さんも震災の犠牲になった。10年。実母義母は相次いで世を去った。愛する子供に恵まれ8歳4歳の父になった。名アナウンサーとして活躍した父も野球実況を引退した。
そして私は35歳から45歳へ・・・これから震災10年の中継で神戸にむかう。震災後妻と2人で人生を歩きいつのまにか子供を背負っている。・・・・・・・・・・・・この日記を書きながら結論がまとまらない。起承転結がまとまらない・・・。震災10年思い歳月を わずか2分のレポートでどう伝えられるのだろう。・・・
今回やっぱりまとまりません。すみません。
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