2021年3月12日(金)『3・11回顧』

東日本大震災から10年が経ちました。犠牲になったみなさんに改めて哀悼の念をお伝えいたします。

あの日私はテレビ大阪の夕方ニュースをまとめるデスクとして、社内にいました。

午後2時半を回ると、そろそろ取材クルーが帰社し、原稿や映像のチェックが本格的に始まります。さあ、きょうの私の仕事はここからかな・・・と思っている矢先、強い地震の到来を知らせる緊急地震速報がテレビから流れてきます。

そして午後2時46分、東北から1000キロ離れた大阪市内にあるテレビ大阪の社屋も、長く大きな揺れに襲われます。

ニュースの配信を受けている通信社からの速報は、いつものトーンではなく、しかも東北から「仙台です。ものすごい揺れです・・・」と、叫びのようなアナウンス。これは、ダダごとではない・・・

この日はJRの九州新幹線が新大阪まで直通運転するための試運転の日。在来線では、北陸方面に走っている特急「雷鳥」の最終運行日・・・などを中心にしたラインナップを組んでいましたが、そこから先は、すべて変更する作業に切り替えました。


奇跡の一本松(岩手・陸前高田市)


それから2週間後の3月25日、私はTXN取材班の一員として東北の岩手県担当を命じられ、復旧したばかりの東北自動車道で、一路岩手を目指しました。

北上するにつれ、車窓からは、東北新幹線のひしゃげた架線柱、そして屋根の崩落した家屋が目立ち、被災地に入ったんだ・・・という緊張感が高まりました。

我々のベースは岩手の北上市。内陸にあり、三陸の沿岸地区に比べると被害は比較的小さかったようですが、ホテルでは水が十分に使えませんでしたし、コンビニ行っても棚に商品がないのです。お金があっても、食べ物が買えない・・・。こんな悲しい気持ちになったのは、人生でなかなかありません。

岩手県内は四国と同じくらい広い面積があるといわれ、我々の取材は車での移動がもっぱら。しかし一般道のガソリンスタンドでは給油できず、毎日高速道路に入りサービスエリアでの給油を余儀なくされました。

そんな中、三陸の陸前高田市で、江戸時代から醤油を作り続ける八木澤商店の河野さん親子に出会いました。

八木澤商店は、津波により、社屋や工場もろとも、醤油づくりに欠かせない「もろみ」をも失いました。テレビ大阪では、この10年の間、再興を目指す八木澤商店のみなさんの姿を追いかけてきました。

昨日の「やさしいニュース」の中継では、河野通洋社長と中継で結び、10年の歩みを振り返りました。

そして、私が担当するWEB版「大阪発!やさしいニュース解説」にもリモート出演いただき、思いを語っていただきました。八木澤商店についてのお話は、次回もう少し詳しくお伝えいたします。

https://www.tv-osaka.co.jp/news/articles/yasashii-24919/