2022年1月13日(木)『「触れ太鼓 墨田の川面を渡る時 吾子誕生のあの時を想う。」 ・ 「小嶺監督」』

坂本アナウンサーのインスタに28歳になった書き込みがありましたが 私は還暦からもう2年、62歳になりました。

私の生まれたのは、昭和35年1月10日の日曜日。
その時 誕生にあわせて父(植草貞夫)が詠んだのがこの詩

「触れ太鼓 墨田の川面を渡る時 吾子誕生のあの時を想う。」

当時 若き父は大相撲初場所中継の実況のため、東京へ出張中。
10日はその初日でした。
宿泊先から墨田川を渡って国技館へ向かう時に
まだ対面することができない子への想いをこめ、この詩を詠んだそうです。
その父は今年90歳。
私は62歳。
父は、67歳でマイクを置きました。
長崎でアナウンサーをしている時ですが、泊まり勤務で早朝のニュースを読むためにスタジオへ向かいながら、ふと「何才までこうやってニュースを読んでいるんだろう?」と思うことがありました。
あれから、32年。
まだ、喋っています。
去年は、61歳を過ぎて
初めて バスケットの実況をしました。
毎年ラストの気持ちで
日々を過ごしたいですね。
‥‥と思うだけになるかもしれませんが。
今年も少しだけ喋ります。



そんな想いにひたっていた最中 入ってきたのは、「小嶺監督の訃報」
小嶺忠敏さん。長崎県の島原商業、国見高校、長崎総科大学付属高校のサッカー部の監督として、国見高校の監督時代は全国高校サッカー選手権で優勝6度の名伯楽です。
長崎放送時代の6年間 高校サッカー中継にアナウンサーとして携わりました。
国立競技場での2度の全国優勝や最初の全国大会での準優勝のシーンは今でも脳裏に焼き付いています。

県大会〜インターハイ〜選手権県大会〜全国大会〜新人戦が1年の高校サッカーの取材サイクル。
そこには常に国見高校サッカー部、そして小嶺監督の姿が。
グラウンドで、サッカー場で、時には宿舎や居酒屋で、笑顔や厳しい顔での小嶺監督の話を聞きました。
まさに恩師でした。
豪快に見える大柄の姿とは反対にサッカーには繊細。
でも自らハンドルを握り、自費でバスを購入され、全国を試合行脚する熱量は すっかり有名になりました。
長崎のサッカーを日本一のサッカーに、そして日本の高校サッカー界 ひいては日本のサッカー発展に尽力されました。

国見高校のサッカー部OBとなった選手やJリーグの選手と飲んだり、話をしたりすると最後は小嶺監督の話に。
厳しくも温かい、最後は笑いの思い出話になります。

最近 新聞に監督の写真が掲載された時 ずいぶん痩せられていたので心配していました。
昨年 ある県の高校サッカーの決勝を実況しませんか?と話をいただいたのですが・・(実況しませんでしたが)
訃報を知った時 監督が大会に呼んでくれたのかな?とも思いました。(こじつけですが)

ブログを書きながら でも思い出すのは 監督のふっくらと日焼けした笑顔です。

長崎から大阪に移っても長くサッカー中継を続けられたのも監督のおかげです。

今後も、空の上から 日本のサッカーを見守ってくださいね。

2022年1月6日(木)『2022年 今年もよろしくお願いいたします。』

近くの神社に初詣に行きました。
驚いたのは、境内や周辺に飲食の露店が出ていなかったこと。
また、この神社は 毎年 十日えびす大祭での福男選びでも有名ですが、これも中止になりました。
新型コロナウイルスの影響はまだまだ続いていますね。

さて、やさしいニュース、ニュースプラスも1月5日から2022年の放送がはじまりました。
ニュースを中心に、スポーツ、特別番組、配信とテレビ大阪のアナウンサーは忙しく今年も動きます。
昔は、チャンネルをあわせてくださいと言ったものですが、今はリモコン?スマホ?

ぜひ今年1年もテレビ大阪よろしくお願いいたします。


写真は、次男が制作した年賀状を加工してもらいました。