2020年1月17日(金)『震災から25年』

今朝の5時46分
テレビをつけると、ほとんどの局の画面が、神戸市東遊園地からの黙祷シーンを映し出していました。
あれから25年かと。
阪神淡路大震災までに、大災害を経験したことや、取材をしたことはありませんでした。
長崎時代も、長崎大水害は入社前、雲仙の火砕流災害は長崎から関西へ戻ってから。
それだけに、自らの育った、生活している場所の一瞬での激変、そしてそこでの生活と取材。

25年たった今でも目を閉じると サイレンの音、ガスの微かな臭い、校庭に停まっていた遠方からの給水車、赤い貼り紙等 忘れることはありません。
通勤に阪神電車を使っていたので、当時 野田駅は、私を含め、髪の少し濡れた人がホームに結構立っていました。→銭湯が多かった。

生活に密着していたラジオと違い、テレビでの取材報道。
変わり果てた自分たちの街をなんとか知ってほしい、助けてほしいと情報を 全国に発信する気持ちで毎日 取材をしていました。

大切な人を失った方にとっては、想いが25年たっても消えることはありません。
あの時の経験が唯一生かされるとすれば、適切適正な報道をする、刻々変化する状況を身の丈にあった環境の中 最大限 発信すること。
そして、風化させず、次の世代に伝えていく事が使命ですね。

個人的ですが、結婚式の翌日が大震災でした。
今年 銀婚式でしたが、翌日 大震災25年です。

ニュースを見ながら あらためて
平穏な日常に感謝します。