哲朗の直球ド真ん中!!

2023年7月31日(月)『初めての天神祭』



7月25日放送の天神祭生中継をご覧いただき、ありがとうございました!
4年ぶりに船渡御や奉納花火が復活し、テレビ大阪の生中継特番も完全復活。
来年の春、テレビ大阪の本社は新社屋に移転するため、現在の社屋で放送される最後の天神祭生中継となりました。

関西で生まれ育った私ですが、天神祭を現地で見るのは初めて。
7月上旬、天神祭を知るためアナウンス部の先輩方と、天神祭に関する資料館や講演を見学しました。





学生時代から歴史科目が好きな私は、天神祭の成り立ちと変遷に興味津々。
鉾流神事や神輿など、それぞれの歴史や理由を知るだけで、(祭に限らずですが)楽しみ方がより濃密なものになりますよね。

知って面白いと思ったことの1つにこんなものが。



会社近くの天満橋の真ん中付近に立てかけられた仮設の塀のようなもの。
これは一体何でしょう。

「これだとせっかくの船渡御が見えないよ!」
そうです。あえて見えないようにしているのです。

天満橋に限らず、船渡御が行き交う川にかかる橋の中央には、注連縄が張られた板塀が立てかけられます。
これは、橋の上の見物人が神様を真上から見下ろす失礼がないように、御霊を戴いた船が通る川の中央部の頭上に人が立たないようにするためのもの。
知れば知るほど、祭って面白いですよね。



私は、夕方のやさしいニュースで大阪天満宮の境内から中継を担当。
陸渡御の出発時間と重なり、催太鼓や御鳳輦を間近で見て伝えることができました。
大きな声を出して思い切り太鼓を打ち鳴らす姿・・・。願人(がんじ:太鼓を打つ人)の皆さん、かっこよかったです!

ブログの最後は、大阪締めで締めたいと思います。
「うちまーしょ!パンパン、もひとつせ!パンパン、祝うてさんど!パパンパン」

2023年7月17日(月)『ベンチリポーターデビュー』

「なんでアナウンサーになりたいと思ったの?」
就活時の面接や友人との会話でよく聞かれる質問です。

私がアナウンサーを志したのは中学生のころだったと記憶しています。
和歌山の御坊商工高校(現・紀央館)で甲子園出場経験のある祖父から野球を教わった私は、その祖父と高校野球やタイガースの試合を見に、たびたび甲子園に行きました。
ある日の球場で、バックネット裏に仮設された放送席が目に入り、「実況をしている人はあそこで喋っているんだ」「野球の試合を喋るのは楽しいだろうな」「どんな景色なんだろう」と次々と興味が湧いてきたのです。
今となっては、それがアナウンサーを目指したきっかけだったと思います。

「野球に関わる仕事がしたい」「甲子園で実況がしたい」「タイガース中継に携わりたい」。
そんな昔からの思いにまた1歩近づいた日が来ました。



6月6日のナマ虎スタジアム。
楽天モバイルパーク宮城での楽天対阪神の試合の中継で、初めてベンチリポーターを担当しました。
1塁側阪神ベンチと壁を挟んですぐ隣、グラウンドに続く通路奥に設けられたリポーター席で放送開始を待ちます。



その日の解説は福留孝介さんと岩隈久志さん。実況の福谷アナウンサーと遠隔でのマイクチェックを終えると、私の背後から「今日がデビューなん?」という声が。
振り向くと、そこには現役時代の背番号「3」を付け、タイガースのユニフォームを着た、関本賢太郎さんの姿がありました。
試合前に行われるOB対決イベントのため、バットとヘルメットを持って待機していらっしゃったのです。

関本さんは、私が少年野球時代につけていた背番号が3とあって、ものすごく応援していた選手。そんな関本さんが突然目の前に現れ、緊張やら嬉しいやらで感情がぐちゃぐちゃに。

「はい!この4月からテレビ大阪でアナウンサーをしています加守と申します!きょうデビューします!」と自己紹介すると、
「ベンチリポーターってほんま難しいよね。解説が2人だと、リポート入れるタイミングも難しくなるからね」と、私の不安な気持ちに親身に寄り添った温かいお言葉をかけていただきました。
「リポートを入れられなかったとしても、取材して得たネタは今後の自分のために絶対なるから。自信もって頑張りや!」
「はい!ありがとうございます!」
そう言うと、「よっしゃ」とヘルメットをかぶり、グラウンドへ向かう関本さん。
直後、球場に響き渡る関本さんの現役時代の登場曲。
「エ〜ビバ〜ディセ〜イ♪」
「せきもと!」
気がつくと、遠ざかっていく代打の神様に叫んでいました。

関本さん、試合前に緊張している私にあんなに温かいお言葉をかけていただき、心からありがとうございました。

関本さんのお言葉もあり、放送中は高揚しつつも冷静でいられたと思います。
リポーター席から試合を直接見ることはできませんが、モニターの映像と、耳から聞こえてくる放送席の会話を頼りに、なんとかリポートを入れることができました。
試合そのものを楽しむ余裕はまだありませんでした。いずれは試合を楽しみつつ、的確なリポートを入れられるようになりたいと、次の課題も見つかりました。

試合は惜しくも敗戦。
タイガースが勝てばヒーローインタビューも担当する予定でしたが、勝負事ですから、こればかりはその時の運です。
関西と遠く離れた宮城の地でのベンチリポーターデビュー。
忘れることのできない1日になりました。



後日、ベンチリポーターデビューを予告していた祖父に、感想を聞いてみました。
「リポートどうやった?」
「ごめん!聞き逃した!」
おじいちゃん!!頼むよ!!

私は、8月1日の中日対阪神(バンテリンドーム)のナマ虎スタジアムでもリポーターを担当する予定です。皆さん、ぜひご覧ください!
(おじいちゃん、次は気づいてね。笑)

2023年7月7日(金)『「こどもの笑顔」募集中!』



ご覧ください!この屈託のない笑顔を見せる少年を。
誰かって?8歳の私です。

幼少期の呼び名は「てっちゃん」。
大人になった今でも、幼稚園の時の友人やその家族からは「てっちゃん」と呼ばれています。

好きなものは電車とウルトラマン!
電車では、デザインがかっこいいからという理由で、かつて大阪−北陸間を走っていた特急「雷鳥」と点検用新幹線車両「ドクターイエロー」が、ウルトラマンでは「ウルトラマンティガ」が特に好きだったと記憶しています。



野球を始めたのもこの頃。
写真のように、打席に入ると「こいやー!」と毎回叫んでいました。
体が細く、バットを振っているのか、バットに振られているのか・・・。
力が足りず、よくポップフライを打ち上げていたものです。



あ、そういえば。
この写真を見て思い出しましたが、当時の私は長く伸びたもみあげがトレードマークでした。
捕手を始めた理由は、防具がかっこよかったから。
体力的にも精神的にも大変なポジションでしたが、野球を終える高校3年までキャッチャーが好きでした。

昔の写真を見ていると、自然と笑顔になってしまいますね!

テレビ大阪では、
今年もこどもたちの笑顔の写真を募集中!
抽選で豪華な賞品もご用意しております。
みなさんの笑顔の写真お待ちしています♪

こどものえがお応援団 えがおフォトキャンペーン
https://www.tv-osaka.co.jp/corporate/csr/smile.html