朝起きるもどんよりとした空、かろうじて雨は降っていませんが急成長する中国の映像はやはり晴れていないと・・・
ということで朝食を食べた時点でこの日の撮影は断念。支局にお邪魔して昼まで時間をつぶしました。上海での撮影は次回に持ち越しということで今回は終了、夕方の飛行機で関西空港へと飛び立ちました。次回のロケは8月です。
2009 年 6 月 のアーカイブ
ロケ11日目:帰国の途に
ロケ10日目:無事終了 上海へ
ロケ9日目:最後に来たきつ~い夜
運動会の予備日に充てていたこの日は、前回留守で撮れなかった喜徳県のコシヒカリ村で旦那に早く死なれて女で一つで3人の子どもを学校にやった女性のインタビューに行くことにしました。ラマウジュさん(55歳)長男は結婚して出稼ぎに、次男は成都にある大学専門学校、三男は中学1年生です。
ご主人は15年前に親戚のうちに手伝いに行った時転んで頭を打って脳内出血し、以後10年間寝たきりで5年前に亡くなったそうです。
悲しかったけれど3人の子どもを育てなくてはならないので落ち込んで入られない・・・と思ったそうです。そんな時この村にコシヒカリが導入されました。彼女は田んぼを全てコシヒカリにしたことで現金収入がかなり増え、何とか3人の子どもをすべて中学に行かせることが出来たのです。ものすごい苦労があったであろう話を終始笑顔で語るこのお母さん、本当にすごい人です。三男がいたのでインタビュー、「大人になってお金を稼げるようになったら母親や支援してくれた人たちに恩返しをしたい」と語りました。そうなる日がくるようがんばって欲しいです。
西昌に戻って、民族学校の中にある信頼農園の事務所を撮影させてもらおうとしましたがこの日はちょうど全国一斉大学入試試験の日。試験終了の午後5時まで中に入ることはできません。ものすごい数の生徒と同じぐらい親の姿も見受けられます。日本以上の超学歴社会である今の中国で、大学に入るか入らないかは人生の成功と失敗を意味するものですから親も必死です。しかも一人っ子政策なので親にとっても一発勝負。ただ、今はそれだけ苦労して大学に入っても就職率は70%。将来に絶望して自殺する学生も少なくありません。中国政府もさすがにまずいと思ったのか学歴至上主義の緩和に努めていますが当分この状況は続くのではないでしょうか?話がそれましたが、試験が終わって事務所の撮影、そして土屋さんのインタビューを撮って今回の涼山でのロケは全て終了しました。
そのまま宴会に突入、場所はいつもの「幸福館」です。JICAの北京の人たちや科学技術局の局長さんたちもいてかなりの大人数。金さんのリクエストで(しなくていいのに)アルコール度数60度の白酒が用意されていました(嫌な予感)。
序盤は和やかに会が進んでいきました。白酒も3年目となるとそれほどきつく感じませんし、去年、おととしと違ってむしろこちらが勧めているような感じです。初の白酒となる若手のホープ石垣君はかなりいいペースで飛ばしています。ロケが終わったという開放感があるせいか、私も相手がビールで乾杯と言っているのに無理やり白酒に換えたりだんだん調子に乗ってきました。そんな中、下戸の増田カメラマンを除いて取材班で唯一あの巨大杯を制覇できていない児島記者が再度挑戦、今回は元空手部の意地を見せ飲み干しました。おめでとう!
会の終わりごろには一番飲んでいた石垣君が撃沈、私も意識がはっきりしない状態で2次会のカラオケへ。入って席に着いたところで記憶がなくなりました。
気がつくとカラオケ店から出るところでした。取材班5人のうち石垣君と金さんは意識がなく私が何とか歩ける状態。ホテルまで車で送ってもらい、体重100キロの金さんを私も含めた3人で部屋まで抱えて連れて行き(児島記者は連れて行く過程で4発ぐらい殴られていました)、その後増田カメラマンと児島記者が一番危なそうな石垣氏を介抱。(増田氏は毎年この作業をしています)。私は倒れこむように部屋に入ってそのまま寝てしまいました。こうして自爆の夜は終わりました。
ロケ8日目:小学校最大のイベント、運動会本番
心配された天気も何とか晴れて、今日は小学校の運動会本番。ほとんどの子どもが民族衣装で着飾っています(なぜかムティとアカはこの日に限ってジャージ)。9時過ぎ、来賓の方々が次々登場、本校の校長先生、涼山州科学技術局の局長、科長、そして土屋さん、小林さんたち。子どもたちは校門前に並び「歓迎(フゥアンイン)!歓迎!」と元気よく叫んでいます。
校長の挨拶、選手宣誓のあといよいよ競技開始、村の人々もほぼ全員が見に来ています。日ごろの学習の成果を親にも理解してもらおうと始まったこの運動会、先日皆が描いた両親の絵も前に張り出されています。せまい校庭内を走り回る子どもたちをみて親たちの表情も本当に楽しそうです。お腹の調子が悪いニレムジュさんも親子のおんぶリレーに参加、その様子は番組でチェックしてください。
午前中いっぱいで競技は全て終了、おもちゃなどのプレゼントが配られて子どもたちは大喜びです。今回の村の撮影は今日で終了、最後にニレムジュさんに「私たちが次回来る夏には出稼ぎに行っていますか?」と聞いたところ「お腹の検査をして問題なければ行くがどこか悪ければ行かないつもりだ」と答えました。確かにいつもお腹を押さえています。「もし行かなければ収入はなくなるがその時はいい方法を考えるよ」と前向きに答えるニレムジュさん。検査結果が問題ないことを祈ります。
ロケ7日目:貴重なイ族の宗教儀式を撮影
今日も快晴、取材班と李先生でロケハンの時に定期点検中で行けなかったラキ山へ向かいました。山のふもとからバスでロープウェイ乗り場まで行き、そこから何と40分もロープウェイに乗るのです。往復すると1時間20分も乗ることになります。しばらくすると雲の中にゴンドラが入って行き下界が見えなくなりました。標高3500m付近に到着し、目指す湖まで歩きますがこれが結構距離があってしかも上り。富士山の山頂付近を登っているようなものなので、最初は野生のリスや高山植物を見て喜んでいましたが徐々に息苦しくなってきます。
高地に慣れている李先生と運転手は疲れも見せずに登っていきます。若手石垣も重い三脚を担ぎながらがんばっています。1キロ以上歩いてようやく目指す湖に到着しましたが、標高は3650m。残念、富士山超えはならず。
下山した時点ですでに午後3時、急いで山の村へと向かいます。2時間ほどで到着。
時間があるので村の井戸端会議の奥様方にインタビューしてみました。
聞くとやはり奥様方が子どもの頃には女性が学校に行くことはなかったようです。
経済的理由で、勉強するくらいなら家で家事を手伝えという考えだったとのこと。
別の女性は自分たちが受けられなかった教育を子どもたちには受けさせたいと。
子どもには公務員になって欲しいという人が多かったです。やはり生活が安定するからでしょうか。
さて、ニレムジュさんがこれからお祓いの儀式をするというので撮影体制に入ります。
ビモの資格を持つ男性がやってきて儀式は始まりました。この儀式は動物(この日は白いニワトリが最も良いとのこと)を生贄にして家の中の禍をあの世に持っていってもらおうというものです。
- 松の枝を細工したものを逆さにした籠に刺しビモは呪文を唱えます。
- 同時にニレムジュさんが土間に座り、息子のムティがニワトリの足を持ってニレムジュさんの体になすりつけたり頭の上をくるくる回します。
- ニレムジュさんとニワトリが接吻し、ムティが掲げたニワトリの下をニレムジュさんがくぐります。これらは家の中の禍をニワトリの中に移す行為だそうです。
- その後ビモはニワトリの首をゆっくりと時間をかけて絞めます。当然なかなか死にません。2月に鶏をご馳走になった時はナイフで首を切っていたのですがこの違いは一体?どうやら悪霊が完全に動物の中に入り込む時間的な余裕を与えるためのようです。
- 家の玄関は開けておき、ビモはニワトリが死んだのを確認すると、塩をかけてさっき作った松を刺した籠の上に乗せます。
- 母とムティがニワトリが乗った籠を持ってニレムジュさんの周囲を回って外へ、ビモは酒を口に含んでそれを追いかけ玄関に向かって吹きかけます
- 最後にニワトリを家から離れたところで焼いて儀式は終了。禍は天国へ。。
李先生によると、今日のお祓いは基本的なパターンだそうで、羊やブタを生贄にしたもっと複雑なものもあるそうです。それでも異国のこうした生贄儀礼を取材できたことは非常に大きな成果でした。
さあ、明日は運動会本番、ニレムジュ一家も5人全員揃っての夕食、楽しい会話をして午後9時消灯しました。