シリーズ13億人の深層 第3章
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‘2009年5月~6月ロケ’ カテゴリーのアーカイブ

2009 年 6 月 6 日 土曜日

ロケ7日目:貴重なイ族の宗教儀式を撮影

今日も快晴、取材班と李先生でロケハンの時に定期点検中で行けなかったラキ山へ向かいました。山のふもとからバスでロープウェイ乗り場まで行き、そこから何と40分もロープウェイに乗るのです。往復すると1時間20分も乗ることになります。しばらくすると雲の中にゴンドラが入って行き下界が見えなくなりました。標高3500m付近に到着し、目指す湖まで歩きますがこれが結構距離があってしかも上り。富士山の山頂付近を登っているようなものなので、最初は野生のリスや高山植物を見て喜んでいましたが徐々に息苦しくなってきます。

雲の中へ。

雲の中へ。

リス発見!

リス発見!

遅れるアラフォートリオ

遅れるアラフォートリオ

花もきれい

花もきれい

高地に慣れている李先生と運転手は疲れも見せずに登っていきます。若手石垣も重い三脚を担ぎながらがんばっています。1キロ以上歩いてようやく目指す湖に到着しましたが、標高は3650m。残念、富士山超えはならず。

標高3,650m

標高3,650m

下山した時点ですでに午後3時、急いで山の村へと向かいます。2時間ほどで到着。
時間があるので村の井戸端会議の奥様方にインタビューしてみました。
聞くとやはり奥様方が子どもの頃には女性が学校に行くことはなかったようです。
経済的理由で、勉強するくらいなら家で家事を手伝えという考えだったとのこと。
別の女性は自分たちが受けられなかった教育を子どもたちには受けさせたいと。
子どもには公務員になって欲しいという人が多かったです。やはり生活が安定するからでしょうか。

さて、ニレムジュさんがこれからお祓いの儀式をするというので撮影体制に入ります。
ビモの資格を持つ男性がやってきて儀式は始まりました。この儀式は動物(この日は白いニワトリが最も良いとのこと)を生贄にして家の中の禍をあの世に持っていってもらおうというものです。

イ族の生贄儀礼

イ族の生贄儀礼

  1. 松の枝を細工したものを逆さにした籠に刺しビモは呪文を唱えます。
  2. 同時にニレムジュさんが土間に座り、息子のムティがニワトリの足を持ってニレムジュさんの体になすりつけたり頭の上をくるくる回します。
  3. ニレムジュさんとニワトリが接吻し、ムティが掲げたニワトリの下をニレムジュさんがくぐります。これらは家の中の禍をニワトリの中に移す行為だそうです。
  4. その後ビモはニワトリの首をゆっくりと時間をかけて絞めます。当然なかなか死にません。2月に鶏をご馳走になった時はナイフで首を切っていたのですがこの違いは一体?どうやら悪霊が完全に動物の中に入り込む時間的な余裕を与えるためのようです。
  5. 家の玄関は開けておき、ビモはニワトリが死んだのを確認すると、塩をかけてさっき作った松を刺した籠の上に乗せます。
  6. 母とムティがニワトリが乗った籠を持ってニレムジュさんの周囲を回って外へ、ビモは酒を口に含んでそれを追いかけ玄関に向かって吹きかけます
  7. 最後にニワトリを家から離れたところで焼いて儀式は終了。禍は天国へ。。

李先生によると、今日のお祓いは基本的なパターンだそうで、羊やブタを生贄にしたもっと複雑なものもあるそうです。それでも異国のこうした生贄儀礼を取材できたことは非常に大きな成果でした。
さあ、明日は運動会本番、ニレムジュ一家も5人全員揃っての夕食、楽しい会話をして午後9時消灯しました。

2009 年 6 月 5 日 金曜日

ロケ6日目:ドキドキの病院ゲリラ取材

今日は骨折した長女のアイさんが病院に行く日です。父親のニレムジュさんがバスで下山し、アイを預けている西昌の親戚の家に迎えに行きます。そこから2人で病院へ。4月末に事故にあって5週間ぶりにギプスを換えてもらうつもりです。

個性的な髪型!

個性的な髪型!

この日の撮影は無許可です。とりあえず目立たないよう、中国人のフリをして行けるところまで行こうということで、カメラは電気屋さんに売っている小さいデジカム(通称記者カメ)に、髪型が個性的な増田カメラマンはちょっと目立ちすぎるのと、中国語が分かった方がいいだろうということで、私がカメラを回すことにしました。
結局金さん、李先生、私の3人でゲリラ取材を開始。ニレムジュさんたちは最初の医者のところへ。さりげなく撮影していると医者が気づき、「何を撮っている、許可をとりなさい!」といきなり怒られます(まあ当然ですが・・・)。「彼女の足の回復記録を撮っているんです」と私、「治療の様子を村に残っているお母さんに見せたいんですよ」と適当に答える金さん、医者はそれでもダメだと言い張りますが、私もしつこく撮影。最後は本気で怒られ、やむを得ずここは退散。
次に父娘は別の病棟に向かいました。どうやらギプスの交換はそちらでやるようです。
いまいちシステムが良く分かりませんが、それにしてもエレベータホールや廊下にベッドがところ狭しと置かれて患者が寝ています。日本ではありえない風景、まさに野戦病院のような雰囲気です。その後も何度となく怒られましたが何とか撮影を継続し、いよいよ病室へ。ここで運のいいことに担当の医者がイ族だったのです。同じイ族の李先生や金さん、ニレムジュさんまで「母親に見せるためだ」と交渉してくれたおかげで、病室内の撮影はOKになりました。事故当時のレントゲン写真を見ると見事に右足のすねの骨が折れています。ギプスをはずし包帯を取ると、まだ青あざのようになっていました。ギプスの交換が終わると医者がアイに「あと2,3週間様子を見て大丈夫そうだったら学校に戻っていいよ」と言いました。進級試験が近いアイの顔に笑顔が。しかしこの日の治療費は440元(約6600円)という大金でした。

治療後、ニレムジュさんがアイを山に連れて帰って御祓いをしたいと言いました。イ族の村にはビモと呼ばれる宗教者がいます。奴隷制度の時代にピラミッドのトップにあった彼らは、今も村の政治的決定や、禍が起きた時などに大きな力を持っています。私たちにとってもぜひ見たいと思っていた非常に興味のある儀式なので早速村に戻ることに。ところが父娘を私たちの取材車に乗せて山へ向かう途中、突然渋滞に巻き込まれました。「こんな山の中で一体なぜ渋滞?」どうやら少し上で同時に2つの事故が起きて通れなくなっているようです。少し上まで見に行ってみるとバスが道路わきの林の中に転落していました。けが人も大勢出ているようです。
現場を見たところ、センターラインをはみ出した対向のトラックにバスがぶつかり、押し出されるように転落したものと思われます。そのぶつかったトラックが道の真中に停まったままで、大量の野次馬が合わさって通れなくなっているのでした。1時間経っても動きません。警察が来ているのに交通整理をするでもなくただ時間だけが過ぎていき、業を煮やした金さんが交通整理をするよう警察に進言したところ2時間後、ようやく片側だけ通行が可能になりました。やれやれ・・・。

転落したバスと野次馬(私もですが・・・)

転落したバスと野次馬(私もですが・・・)

けが人が・・・(救出されました)

けが人が・・・(救出されました)

午後3時ごろ村に到着、この日は小林さん、土屋さんも来ていてあさってに迫った運動会のリハーサルが行われていました。何ヶ月も練習してきただけあって健康踊りやはみがき体操などもほぼ完璧、本番が楽しみです。

運動会リハーサル

運動会リハーサル

ニレムジュさんのところに戻ってみると、ビモのお祓いは今日は無理で明日の夕方にするとのことでした。また明日来ることにしてこの日は終了です。それにしても来る前の天気予報と正反対にここまで夕立が一度あっただけでずっと晴天が続いています。このまま最後までもってほしいものです。

2009 年 6 月 4 日 木曜日

ロケ5日目:コシヒカリ村は稲が成長

村の子ども

村の子ども

今日は阿蘇さんに同行してもらいコシヒカリの生産地である喜徳県へと向かいました。高速と一般道を使って1時間半ほどですが、今日はドライバーが交代、レンタル車会社の社長自ら運転します。この人の運転がとても速い、というか恐い!対向車が来ていてもギリギリのところで追い越しをかけ何度ももうだめかと思いました。というのも中国ではどこに行ってもほぼ毎日一度は交通事故を見かけます。半端じゃない頻度で事故が起きています。私も上海支局いた2年弱で乗っていた車が2度事故に遭遇しています。私の横にいた児島、石垣の若手コンビも恐怖に必死で耐えています。どうにか村に到着。今回もまずは長老宅にお邪魔しました。
家に入れてもらうと89歳の長老はソファーに腰掛けて専用の容器で白酒を飲んでいました。そしてインタビュー。コシヒカリ栽培によって村の生活が変わってきたことや「勉強しないと人間になれないのです。牛や馬のようになってしまう」と教育の重要性を語ってくれました。

長老にインタビュー

長老にインタビュー

白酒が健康の秘訣?

白酒が健康の秘訣?

続いて田んぼへ。田植えからおよそ1ヶ月で稲は順調に育っていました。
阿蘇さんの紹介でコシヒカリによる収入増加で御殿を建てたという家を見に行きました。

成長するコシヒカリ

成長するコシヒカリ

コシヒカリ御殿

コシヒカリ御殿

村の中で明らかに1軒だけつくりが違います。外壁は土塀ではなく、部屋の中もいわゆる中国風の家です。照明器具も何か緑や赤に色が変化します。奥さんに話を聞くと、3人の子どもは全て学校に通わせていて、出来れば大学にまで行かせたいそうです。食べ物や服もいいものが買えるようになったとのこと。収入が増えることで教育のレベルが上がり、いい職に就きさらに高収入を得る。こうした良い連鎖が今まさにおきようとしています。
後は土屋さんたちが尽力している販路の拡大さえ道筋がつけば・・・
帰りは金さんが学費を援助している姉妹の家に立ち寄りました。この姉妹は母親をなくしましたが、金さんが日本円にして月に数千円(ここでは大金)援助することで学校へ通うことが出来ています。前回田植えのときに出会って支援することにしたのだそうです。「金おじさ~ん」と慕われる金さん。村長さんまでやってきて、もはや夕食を断れない雰囲気に。。結局夕食をご馳走になりましたがなぜかこの日は停電。ロウソクの明かりの下で食べる食事もなかなか雰囲気がありました。

暗闇で食べるイ族料理

暗闇で食べるイ族料理

2009 年 6 月 3 日 水曜日

ロケ4日目:少数民族 イ族の日常生活

きょうは朝7時半に出発、ニレムジュ家の朝食から撮影を試みることにしました。8時半に到着するとすでにムティが家の前で勉強しています。

早朝。予習するムティ

早朝。予習するムティ

みんな外で勉強

みんな外で勉強

間もなく朝食。やはりじゃがいもとそば饅頭だけ。よく見るとお父さんがお腹を押さえています。調子悪そうです。

朝ごはんの支度

朝ごはんの支度

じゃがいも畑で農作業

じゃがいも畑で農作業

9時半、子どもたちが登校すると夫婦は少し離れたじゃがいも畑へ。農作業をするも二人とも体調が悪いので長続きせず帰宅しました。大丈夫でしょうか・・・

村に戻って別の家を訪ねてみました。アオアカさん65歳。家に入って気がついたのがやけに明るいこと。ふと上を見上げると屋根が穴だらけで太陽光が差し込んでいたのでした。
「雨が降ったらどうするのか?」と聞くと、「どうしようもありません」との答え。
部屋には裸電球が一つあるのですが、これにかかる料金1ヶ月5元(約75円)が払えず親戚に借金をしているのだそうです。家畜も飼っていないので肥料が出来ず作物の収穫量も少ないといいます。収入は年間で1000元(約1万5000円)あるかないか、繁栄する中国沿岸部とのあまりの格差に驚くばかりです。

生活は苦しい

生活は苦しい

アオアカさん(65)

アオアカさん(65)

唯一の食料であるじゃがいもも借りているのだそうですが、それでも私たちに食べていきなさいといいます。(もちろん丁重にお断りしましたが)彼女には息子がいます。取材の最中も、横に来て「もっと支援して欲しい」とかいろいろ言っていましたが、その手にはペットボトルに入った酒が・・・働いている様子はありません。それまで「格差解消は本当に必要なのだろうか?格差があっても貧しくても自給自足で楽しく生活できればいいのではないか」という思いもあったのですが、村の多くの男性が職もなく昼間から酒を飲みぶらぶらしている姿を見て、やはり職を得るために最低限中国語の教育は必要だと確信しました。それがひいては生活レベルの向上につながるのだろうと思います。ただ村人たちの教育に対する意識は変わり始めてはいますが、よい環境で教育が受けられるようになるには経済的に厳しく、《教育を受けない―中国語が出来ない―就職先がない―お金がない―教育を受けさせられない》という負の連鎖を断ち切るには特別な支援がない限りかなり時間がかかると言わざるを得ません。

今日の授業の最後に、先生が間もなく分校を卒業する3年生に将来の夢を聞きました。成績優秀なニレルハ君は西昌に行って先生に、ムティは警察官に、その他医者という子もいましたが、みんなとても恥ずかしそうに答えていて、中には黙ったまま答えられない生徒もいます。普段の元気のよさから考えるとちょっと意外な反応でした。それだけ村から出て働くということが目標として一般的ではないということなのでしょうか?

2009 年 6 月 2 日 火曜日

ロケ3日目:再び標高3000mへ

街の饅頭屋で昼食を買い込む

街の饅頭屋で昼食を買い込む

朝から大石頭村の小学校へ、昼ごはん用に饅頭をたくさん買いこんで出発です。1時間ほどで標高3000mの村に到着しました。まずは長女のけがのため出稼ぎから帰っているというニレムジュさんの家に行ってみることに。家には母親のレブジホさんと末娘のアカの姿が。アカは風邪をひいて学校を休んでいるとのこと。しばらくするとニレムジュさんが帰ってきました。

ニレムジュさん宅を訪問

ニレムジュさん宅を訪問

詳しい状況を聞くと、4月下旬、長女が乗っていたバスが事故を起こして右足のすねの骨を骨折、西昌の病院に入院しましたが誰かが看病しないといけないので出稼ぎを途中で切り上げて5月に戻ってきたそうです。今は退院しているのですが、家のそばは起伏が激しく足に負担がかかるため西昌の親戚の家に預かってもらっているとのこと。1ヶ月以上ギプスを換えていないので3日後にニレムジュさんが付き添って病院に行く予定だそうです。しかし2月に出稼ぎに出て稼いだお金は入院費などですでに底をついて、借金をしているそうです。バスの事故ですからもちろん補償はあるのでしょうが・・・
小学校へ行ってみると2月には誰もいなかった教室に元気な子どもたちの声が響いていました。教科書はボロボロですが、皆声を張り上げて一生懸命読んでいます。

小学校

小学校

1年生クラス

1年生クラス

一生懸命

一生懸命

ここでの授業は国語(中国語)と数学の2教科のみ。2人の若い女性教員が住み込みで授業をしています。日本のように自動的に年次が上がっていくわけではなく、1年生を3回やっている生徒もいます。小林さんによると誕生日という概念がそもそもなかったそうで、自分の生まれた年を知らない子どもも多かったといいます。
今でもわからない生徒もいます。休み時間になると男子は卓球、鬼ごっこ、カンフーごっこ、女子はゴムとび(実際はヒモとびですが)や石を使ったお手玉と、それぞれが狭いコンクリートの校庭で遊びまわります。日本の小学生の遊びがゲーム主体になっている今、逆に新鮮な光景です。

これが卓球台

これが卓球台

おはじき?

おはじき?

午後、小林さんと土屋さんたちがやって来ました。今日の目的は前回描いた父母の顔の絵の表紙に、折り紙で作った花をつけることです。6月7日の運動会の日に父母に渡す絵です。風邪で休んでいたアカもやって来て席に着きました。
撮影中、昼間からかなり酒に酔った老人が校庭に入ってきました。(昼間から酔っ払っている人が多いのですが)イ族語で何か話しかけてくるのですがさっぱり意味が分かりません。中国語で話しかけても通じません。李先生が来てくれたので聞いてもらうと、「どうして同じ人間なのに私の言葉が分からないのだ!」と言っているようでした。授業の撮影中なのであとは児島記者に任せることに・・・しばらくして見るとその老人と児島記者が仲良くバスケットボールで交流しているではないですか。まさに言葉の壁を越えた国際交流です。感動しました。。

酔ってます!!

酔ってます!!

これぞ国際交流

これぞ国際交流

さて、折り紙が終わると校庭で衛生に関するクイズが始まりました。運動会の練習なのですが例えば「トイレに行く前に手を洗う」○か×か?といった問題です。子どもたちの反応は番組でご覧下さい!そして最後に手洗い。石鹸で手を洗うと真っ黒だった子どもたちの手が見違えるようにきれいに白くなりました。(一体どれだけ汚れていたのか??)

手がみるみるきれいに!

手がみるみるきれいに!

熱心に説明を聞く。

熱心に説明を聞く。

ここまでで小林さんたちが帰りました。私たちはもう少し残ってニレムジュ家の日常を撮影、父母にそれぞれインタビューすると厳しい家計の状況が浮かび上がってきました。去年子宮の手術を受けた母レブジホさんはその後の経過がよくないらしく、医者から深刻な状況だから手術をした方がいいといわれているそうです。でもご主人が出稼ぎから戻ってきて収入が途絶え、とてもそんな状況ではないこと。長男のムティが9月に4年生になったら姉と同じ昭覚県の中心小学校に行かせたいが、家計の状況しだいでは無理かも知れないことなどを話してくれました。さらに「今一番不安なことは?」という問いに、母親は「自分が死んでしまったら子どもがどうなるのかが一番不安です」と答えました。