シリーズ13億人の深層 第3章
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‘2009年2月ロケハン’ カテゴリーのアーカイブ

2009 年 2 月 12 日 木曜日

ロケハン6日目:帰国

朝、土屋さんと小林さんもわざわざ空港まで見送りに来てくださいました。5月の田植えの時期に再会することを誓って今回はお別れです。
今日は成都で最後の仕事、成都外事弁公室の袁副処長と会う約束になっています。この人の考え次第で次回以降のロケの自由度が大きく左右されるので金さんと私は朝からかなり緊張気味です。市内の喫茶店で待っていると袁さんがやって来ました。見た感じいい人そうなので一安心。日本語もかなり上手で和やかなうちに30分ほどの話し合いは終了。明確に自由な取材を約束してくれたわけではありませんが、協力はしてくれるというちょっと曖昧な返答・・・。とはいえまずまずの成果を得てロケハンは終了、明日は日本へ帰国します。

帰国の飛行機より

帰国の飛行機より

2009 年 2 月 11 日 水曜日

ロケハン5日目:コシヒカリを作る村

今日はもう一つのロケ地、喜徳県へと向かいます。7日にイトーヨーカドーで見た有機コシヒカリの産地です。この日は土屋さんと、信頼農園の阿蘇解放さんに同行してもらいます。まずは阿蘇さんの紹介。

右が阿蘇さん

右が阿蘇さん

阿蘇解放さん
イ族男性。この地を支援していた神戸の通販会社フェリシモに1997年から1年間留学し、西昌に戻る。以降、喜徳県の生活向上に尽力し、信頼農園でコシヒカリ栽培を軌道に乗せた。

喜徳県へは途中まで高速道路があるので距離の割には近く、1時間半ほどで到着しました。まず目に入ったのが川をまたぐつり橋。高さがそんなにないので恐くはないですが、途中穴があいていたりしてなかなかスリリングです。橋を渡ると段々畑が広がっています。米は標高2000mぐらいまで栽培可能ということで1800mのここではもともと米を作っていました。非常に貧しい農村だったのですが矢崎会長や阿蘇さんたちが日本のコシヒカリを作れば数倍の値で売れると考え、試行錯誤を重ねた結果、最初は嫌がっていた村の人たちも徐々に賛同するようになったそうです。

つり橋を渡ると村が。

つり橋を渡ると村が。

今は一面 小麦と菜の花

今は一面 小麦と菜の花

そしてここの米の最大の特徴は2000年以降、有機JAS認定を取得していることです。これは汚染が全くないことを示すもので、土壌や水に少しでも汚染の可能性があると取得できないのです。かなり厳しい審査があります。喜徳県のこの村は貧しいがゆえに化学肥料を使っておらず近くに工場もないという絶好の条件に、生活排水も田んぼに流れ込んでいないためこの認定をとることができたのです。
ここでできた米は信頼農園が高値で買い取るため、村人の収入はアップし子どもたちは皆学校に通えるようになりました。80%の家にはテレビもあり、家を建て替える人も出てきました。信頼農園の次の課題は販売ルートの確立です。これまでは善意の団体などに買ってもらっていましたが、彼らが自立するには通常の市場ルートに乗せなければならない。これこそが土屋さんが派遣された理由なのです。そして、今イトーヨーカドーを始め、重慶のスーパーなどいくつかの店で置いてもらえるようになってきました。信頼農園の意義は貧困学生の支援なので、利益を出さないことには支援もできません。幸い去年は利益が出たそうなので、今後もがんばってもらいたいです。

89歳 村の長老

89歳 村の長老

汚染のない土地

汚染のない土地

さて、取材班が最初に訪れたのはこの村の最長寿の老人。89歳だというこの老人は家の片隅に座っていました。ほろ酔いのようですが、「この村の生活がよくなったのは日本の方がたのおかげだ」と歓迎の言葉をしっかりと話してくれました。その後、阿蘇さんの案内で村の中を見て回ります。5月に田植えをするという田んぼには今は小麦が成長し、あたり一面に菜の花が咲いています。収入が増えて家を作り直したという家を訪ねると、家の中にはテレビにDVD、立派なスピーカーと電化製品がそこそこそろっています。

汚染のない水

汚染のない水

村の子どもたち

村の子どもたち

コシヒカリで収入増。テレビにDVD、大きなスピーカーも

コシヒカリで収入増。テレビにDVD、大きなスピーカーも

子どもたちの姿も山の小学校の子どもに比べると心なしかきれいな気がします。この家で少しインタビューをしたあと、やはり昼ごはんを食べていけということになり酒宴が始まりました。といっても酒はほとんどがビールなので全員問題なくこなしてこの日のロケハンは終了しました。明日は朝から成都へ向かうのでロケハンは実質今日で終わりです。
取材方針も対象者も去年とは違って順調に決まり、夜は阿蘇さんのお店「幸福館」にて食事です。宴もたけなわになったころ、阿蘇さんが考案したという優勝カップのような巨大な杯が登場。瓶ビールが2.5本入るというその杯に並々と注がれたビールのターゲットは全く飲めない増田カメラマンを除く取材班3名。そしてどこからともなく民族衣装に身を包んだ女性たちがやってきて歌を歌い始めます。1曲終わるまでに飲むのだそうですが、
おいしいおいしいと調子にのって食べ過ぎていた私はあと一息というところでもはや何ものどを通らない状態となり無念のリタイヤ。児島記者もあと一歩及ばず。最後の砦はコーディネーターの金さん・・・苦痛に顔をゆがめながらも何とか完飲!取材班の意地を見せ付けました。阿蘇さんいわくこの杯を始めてから全部飲んだのは初めてとのこと。究極の負けず嫌いである私は「次回は絶対全部飲む!」と言い残しました。このロケハンで最も悔しい夜になりました。

2009 年 2 月 10 日 火曜日

ロケハン4日目:美しい風景を撮りに・・・

この日は涼山州の美しい風景のロケハン。取材班だけで有名な観光地ラキ山へ。実は気候も東南アジアに近いこの辺りは2月というのに結構暖かくて映像的に季節感があまりないのが気になっていました。
そこで標高4000mというこの山へ行けば雪や氷が撮れるのではないかと考えたのです。
山は西昌から1時間半ほど南にいったところにあります。その途中、イ族の市場を見つけました。民族衣装を着た人がいっぱいいる本物の市場です。
覗いてみるとすぐに目に飛び込んできたのが「青空歯医者」道端にテーブルを置いて白衣を着た医者が治療しています。大きな口をあける患者。みるといろいろ道具はあるようですが本当に大丈夫なのでしょうか??

イ族のマーケット

イ族のマーケット

青空歯医者

青空歯医者

さらに中へ進むと、ニワトリ売り場、生活用品、野菜などに区分けされています。
靴やバッグ、ライターから食材までまさに何でもそろっています。
一番奥はブタ売り場。子ブタが足を持って秤にかけられていますが、羊と違ってブタは本当にうるさい!ずっと「ギャーギャー」叫んでいます。民芸品大好きカメラマンの増田氏はイ族模様のバッグを買い満足そうです。

果物から

果物から

ブタまで。

ブタまで。

行けなかった ラキ山

行けなかった ラキ山

1時間もかけて市場をくまなく撮影してからいよいよ目的地、ラキ山に向かいます、4000mと聞いて皆ちょっと緊張気味。ところが、ふもとの入り口についたところ、あまりにも静かです。嫌な予感が漂う中、金さんに確認してもらうと何とロープウェイの年に1度の点検期間とのこと。スタッフ一同大ショック・・・。仕方がないのでこの辺りのもう一つの観光スポット「土林」を撮影することにしました。全く予備知識がなかったのですが、雲南省に「石林」という超有名な観光スポットがあるので、それの「土」版かなと・・・
到着すると、やる気のない従業員たちがだるそうにしていて、全く活気がありません。人気もなくどこに行っていいのかも分からないままとりあえず券を買って中へ。
最初は期待はずれな感じがプンプンしていましたが、何と歩くにつれて、どんどん素晴らしい景観が広がっていきました。確かに石林に雰囲気も似ている。ただし、説明の看板も何もないので一体これがどうやってできたのか?そんな疑問が残ったままでした。

土林

土林

こちらは雲南省の【石林】。似てる!?

こちらは雲南省の【石林】。似てる!?

この日の夜は夕食後、スタッフ全員土屋さんの部屋におじゃましました。青年海外協力隊のお話を聞いたり、コーヒーをいただいたりで、気がついたら夜の12時。遅くまですみませんでした。

2009 年 2 月 9 日 月曜日

ロケハン3日目:標高3000m 少数民族イ族の村へ

朝から念願の標高3000mのイ族の村へ。土屋さん、小林さん、李先生も同行してくれました。出発して15分ほどすると早くも整備された山道に入ります。1500mの西昌から1時間ちょっとで3000mに到達しました。村に到着! 驚いたことに村の中を幹線道路が貫き大型トラックやバスが轟音を響かせて通っています。そして大きな電気の塔。土で出来た昔ながらのボロボロの家と近代化の象徴がアンバランスに共存しています。道路や電気が通ったのは数年前、李先生によると初めてバスを見た村のおばあさんが「大きな猫がすごいスピードで走っていった!」と叫んだそうです。

奥が村。幹線道路が走る。

奥が村。幹線道路が走る。

家畜との共同生活。

家畜との共同生活。

2月いっぱいは小学校が休みなので、とりあえず家庭訪問をして今回の番組の主人公となる家族を探すことにします。まずは一番成績がいいというニレルハ君の家に。聞いてはいましたが、庭や家の中に豚やニワトリが同居しています。そして、もう一軒紹介してもらったのがニレルハ君の従兄弟、ニレムティ君の家。両親と3人兄弟の5人家族です。
長女のアイさんは5年生。成績もよく、村の分校を卒業した後、町の中心小学校に行っています。(この村では小学校は分校で、3年を卒業すると本校や町の小学校に編入することになります)長男のムティ君は3年生。そして、末っ子のアカちゃんは恥ずかしがり屋の1年生です。

父 ニレムジュさん(右) 長女 ニレアイ(中央) 次女 ニレアカ(左)

父 ニレムジュさん(右) 長女 ニレアイ(中央) 次女 ニレアカ(左)

長男 ニレムティ(右)と いとこのニレルハ(左)

長男 ニレムティ(右)と いとこのニレルハ(左)

学校が休みの間、子どもたちは皆家の手伝いです。ムティたち男の子は羊の放牧へ。
しかしここは標高3000m、子どもたちと一緒になって走ると少し息切れします。
コーディネーターの金さんは子どもたちにつられて動きすぎ、高地特有の頭痛で元気がありません。

放牧するムティ

放牧するムティ

ようやく家に帰ってくると、父親の二レムジュさんが昼食を食べて行けといいます。
「もう帰るから大丈夫です」「いや、遠くから来ていただいた客人にご飯を食べさせずに返すわけにはいかない」「いやいや、本当に結構です」などとやりとりが続き結局ご馳走になることに。二レムジュさんは8人兄弟で、3,4人兄弟が家に来ていました。近所の人とかも自由に出入りしているので正確には誰が兄弟で誰が他人なのかわかりません。賑やかに会話をしているうちに何やら不穏な動きが。そして間もなく恐れていたことが・・・。
私たちのためにニワトリが1羽外から連れてこられました。状況を察して「いらないから!やめてやめて!と口ぐちに叫ぶ取材班。しかし次の瞬間には毛をむしられたその首にナイフが・・・そして滴る血・・・申し訳ない。成仏してください。。

ニワトリが・・・

ニワトリが・・・

鍋を囲んで談笑

鍋を囲んで談笑

ごちそうになる取材班

ごちそうになる取材班

じゃがいもとニワトリの煮物

じゃがいもとニワトリの煮物

さて、料理が出来るまでの間、まずはペットボトルに入ったお酒(白酒?)を飲むようにすすめられます。何が入っているのかわからないのですが、逃げられないので気合で飲むとかなりきつい。続いてさっきの鶏とじゃがいもが入った鍋料理に、蕎麦で作った饅頭がでてきました。残しては悪いと必死で食べようとする取材班。しかしこれは大きな間違いだったのです。
イ族の週間では客人を招く時、自分たちは外に出て客人だけに先に食べさせます。そして、客が食べ終わったあとで自分たちがその残りを食べるのです。
私たちの食事が終わるとここの家族はもちろん、親戚やその家族たちがやってきてみんなで食べ始めました。鶏肉はここでは貴重な食料です。全部食べなくてよかった・・・

取材班が食べ終わると家族が食べる

取材班が食べ終わると家族が食べる

さて、この家庭、一見普通の家庭のようですが、聞くと生活は激変期にありました。この村では標高が高すぎてじゃがいもと蕎麦ぐらいしか作物が育ちません。両親の収入はじゃがいもや羊を売ったお金で年収2000元(3万円)ほど。ところが奥さんが去年腹部を手術して1万元(15万円)以上かかったのです。実に年収の5倍。去年建設現場に出稼ぎに出ていた父親は稼いだ金を全て使い、さらに借金。今年も来週には武漢に出稼ぎに出て10月まで戻らないつもりだといいます。何とか3人の子どもを上の学校にやりたいという父親の思いを聞き、今回の番組はこの家族を中心に取材することに決めました。

※ちなみに2006年から中国では義務教育が授業料免除になりました。ただ、町の小学校は全寮制で、食費などもかかるので3人の子どもが全員進学すると年間7000元もかかるのだそうです。

この日の夜は、土屋さん、小林さんたちとキノコ鍋の店へ。キノコは雲南省が有名ですがここも山岳地帯だけあって堪能できました。去年と比べて何ですが、今年のロケは食べ物が美味しいのです。

キノコ鍋

キノコ鍋

2009 年 2 月 8 日 日曜日

ロケハン2日目:意外に都会!西昌という町

早朝の成都空港

早朝の成都空港

朝6時半にホテルを出発、成都空港から四川省南西部、チベットと雲南省に隣接する涼山イ族自治州へと向かいます。その名の通り半数が少数民族イ族という山岳地帯です。あまり聞いたことのない民族だと思われるでしょうが、実は中国では漢族を除くと5番目に多い民族なのです。雲南省、貴州省にも分布していて、50年ほど前までは奴隷制度があったといいます。その涼山州の州都西昌まではおよそ600キロ。飛行機で50分です。ちょうど東京―大阪間を飛んでいるくらいの感覚で、離陸したと思ったらすぐに着陸します。午前9時、西昌に到着。

西昌空港(漢字の左はイ族文字)

西昌空港(漢字の左はイ族文字)

標高は1500mですが思ったほど寒くありませんでした。空港には今回お世話になるJICAの土屋さんと、小林さんが迎えに来てくれていました。お2人を紹介すると・・・

土屋賢治さん・・・
有機米(コシヒカリ)を生産管理する信頼農園に2007年11月、JICA青年海外協力隊の村落開発普及員として派遣。JICAで初めての任務で、貧困地域を経済活動を通して援助から自立へと導くことが目的。具体的には村で作ったコシヒカリを買い上げて一般の市場ルートに乗せ、販路を開拓。利益は民族中学の貧困学生の支援に充てる
小林順子さん・・・仙台出身
2007年12月、JICA青年海外協力隊の日本語教師として派遣。西昌にある涼山民族中学の中日職業訓練クラスで日本語を教える。その一方で、週に一度車で1時間ほど離れた標高3000mの昭覚県大石頭村の小学校に行き、ボランティアで衛生教育などを行っている。
土屋さん(左)と小林さん(右)

土屋さん(左)と小林さん(右)

今回も車はドライバー付きで確保。とりあえず今日は町の雑感を見る予定です。去年出来たばかりという市の中心部にあるホテルにチェックイン。目の前には共産党とイ族の友好を示すという大きな像がありました。さて、このホテル。1泊3000円ぐらいなのですが中がとにかく広い。はっきり言って無駄。でも地方では珍しくきれいな上、お湯が問題なく出ます。去年のホテルと比べると、正直それだけでうれしくなりました。

やたら広いホテルの部屋

やたら広いホテルの部屋

イ族と共産党の友好の像

イ族と共産党の友好の像

早速、土屋さん、小林さんに案内してもらってまずは2人が働く涼山民族中学校へ。
あいにくこの日は学校が休み。進学大学名が書かれた看板があったので見てみると、四川大学や清華大学、中山大学などそうそうたる大学名が・・・。ほとんどの学生が普段は朝6時から夜の12時ごろまで勉強づけなのだそうです。以前、インドのIT専門大学で学生を取材した時、やはり土日も休まず1日18時間ひたすら勉強する姿を見ました。貧困から脱出するには勉強しかないというハングリー精神が日本とは比べ物になりません。日本の未来は大丈夫か??という不安に駆られます。

進学した大学のリスト

進学した大学のリスト

その後西昌の旧市街を見学。イ族の民族衣装を着た人たちが行きかいます。魚、野菜、肉、果物、鶏、何でも売っています。午後は、西昌最大の観光地である邛海(湖)、奴隷博物館(といっても別に奴隷制度時代の様子が分かるわけではありません)、さらに市街地を次々と回ってこの日のロケハンは終了です。

西昌 旧市街

西昌 旧市街

邛海湖

邛海湖

イ族料理。器も民族特有。

イ族料理。器も民族特有。

イ族の踊り

イ族の踊り

夕食はイ族の踊りが見られるレストランに行きました。今回通訳としてもお世話になる民族学校のイケメン日本語教師、李先生も合流しました。(李先生はイ族で、日本に行ったことがないにもかかわらず日本語がペラペラです。)イ族カラーの黄色と赤と黒で彩られた器にイ族料理。トートーロウという豚肉の煮物?が名物です。しかも取材班が最も恐れていた白酒(高粱酒 アルコール度数が40~60度くらいある。詳しくは去年のHPを参照)攻撃がここではなさそうです。おととし(新疆ウイグル自治区)も去年(内モンゴル自治区)も味わったあの苦しみを今年は逃れられそうな、少なくとも毎日のように潰れることはなさそうな気がします。1時間半ほどが過ぎ、ビールだけで宴は終了。明日からいよいよメインのロケ場所のロケハンです。