シリーズ13億人の深層 第3章
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‘2009年9月ロケ’ カテゴリーのアーカイブ

2009 年 9 月 10 日 木曜日

9月ロケ4日目:「喜徳の光」稲刈りの日&史上最恐の夜(1)

今日は喜徳県での稲刈りの日。朝から喜徳へと向かいます。標高1800mにもかかわらずまだまだ半袖で汗ばむ気温です。川を見ると水牛と子どもが同じ川で泳ぎまくっています。

泳ぐ子どもたち

泳ぐ子どもたち

泳ぐ水牛たち

泳ぐ水牛たち

稲刈りにはちょっと早いような気がするのですが、それには理由がありました。
10月末以降は新米セールが目白押しになって目立たなくなるため、今年は国慶節明け(10月12日以降)には出荷して一足早く売り出そうという戦略なのです。

イ族女性による出迎えの踊り

イ族女性による出迎えの踊り

カメラに興味津々の子どもたち

カメラに興味津々の子どもたち

到着するとイ族の民族衣装を着た女性たちが音楽にあわせて踊りで出迎えてくれました。
ところで気になる今年の稲の出来は・・・どうやらまあまあのようです。全員が一度に田植えをするのではなく少しずつ時期をずらしながら栽培しているため、何軒かは成長期が雨ばかりで不作だったようです。阿蘇さんによると、天気の他、有機栽培で農薬も使えないので虫害で全滅するリスクを少しでも減らすための作戦、そして不作の農家には信頼農園が金銭的な補償をすることで作付け農家を増やしていくつもりだそうです。

トウモロコシもシーズン ラマウジュさん

トウモロコシもシーズン ラマウジュさん

そして、稲刈り開始。脱穀も多くが足踏み式でまさに汚染のない世界です。ちなみにあの、女手一つで3人の子どもを学校にやったラマウジュさんの田んぼはまずまずの出来だったそうです。。。

稲刈りの様子

稲刈りの様子

ゴキブリ多発ホテル 眺めは最高だが・・・

ゴキブリ多発ホテル 眺めは最高だが・・・

さて、この日湖の近くに宿を移しました。このホテル、何と外観が船の形、部屋はまずまずの広さで景色は抜群、しかし・・・夜、夕食をとって部屋に戻るとドアを開けたとたん、黒光りした巨大なゴキブリを目撃!ちなみに私はゴキブリが大の苦手、これまで様々な国のどんな環境下でも気にせず眠れたのですが、これだけは退治しなければ眠れない!隣の部屋の児島記者に助けを求めようかと思いましたが、先輩としてはちょっと恥ずかしいのでやむなく備え付けのスリッパで退治に乗り出しました。恐くて写真も撮れませんでしたがとにかく大きいのです。もし飛んだらどうすれば?など考えているうちにゴキブリは移動、エアコンの裏に逃げ込みました。
どうしようもないので諦めてトイレに行くと、ドアを開けたとたんまたしても巨大ゴキブリ!排水溝に逃げ込みこちらも退治できず。以後トイレのドアを開けるたびに恐怖と戦うことになりました・・・

2009 年 9 月 9 日 水曜日

9月ロケ3日目:長女の小学校へ

今回もホテルは空港まで50mの機場ホテル。朝5時おきで準備して7時半の飛行機で西昌へ向かいました。1時間弱の飛行で着陸、まだ8時半前です。チェックインして小林さんと待ち合わせ、早速向かったのは昭覚県で一番優秀な民族小学校。そこで長女のアイは宿舎生活をしているのです。西昌から天空村(大石頭村)を通り越して山道を100キロ、車で約3時間かけて昼過ぎにようやく到着しました。校門を入るとすっかり足もよくなったアイの姿が見えました。中国の学校の新年度は9月、進級にも試験がありますが彼女は1ヶ月休んだハンデを乗り越えみごと6年生になっていました。

寮の部屋で同部屋の子たちと

寮の部屋で同部屋の子たちと

いつでも勉強

いつでも勉強

まずは宿舎を取材、同じクラスの仲間たちとの共同生活ですがベッドや布団は清潔そうで見た感じは快適そう!洗剤や歯磨きセットもあってやはり山の小学校とは衛生環境からして全然違う印象でした。しかし学費は僅かですが、生活費と寮費などで実家の村の平均年収を超える年間2600元(約3万9000円)もの費用がかかります。必死で働く両親のためにも、がんばって将来の涼山州を担う人材になってほしいものです。ちなみに、アイと同部屋の子どもたちに将来の夢を聞くと、軍人、先生、医者、博士、中華料理屋とバラバラですがそれぞれに夢を持っていました。
その後、授業を見せてもらいましたが人数が多いのはもちろん、中国語の発音も、かなりレベルが高いなと感じました。

県で一番の小学校 人数も多くレベルも高い

県で一番の小学校 人数も多くレベルも高い

一生懸命学ぶアイ

一生懸命学ぶアイ

2009 年 9 月 8 日 火曜日

9月ロケ2日目:今も残る震災の爪あと

朝から都江堰へ。都江堰は去年の四川大地震の際小学校が倒れたりして大きな被害を受けました。1年半が過ぎた今どのようになっているのか・・・。車で1時間半ほど走ると到着。
早速当時倒壊した聚源小学校へ向かいます。

聚源小学校跡地(新校舎は移転)

聚源小学校跡地(新校舎は移転)

この小学校は手抜き工事いわゆる「おから工事」が取りざたされています。当然撮影の規制が厳しく今年も共同通信の記者などが撮影しようとして拘束されたりしています。私たちも来る前に申請し震災復興現場の撮影許可はとっていますがこの場所を撮るとは言っていないので、いつものようにゲリラ作戦を決行、金さんが周囲の人々を引きつけ談笑している間に撮る事にしました。

ひっそり残るバスケゴール

ひっそり残るバスケゴール

まず目に入ったのは運動場、バスケットボールのゴールが今もそのままでした。そして奥の校舎が建っていた場所に向かうと、まだ新しい花やみかんが供えられ、ロウソクがあちこちに立っていました。報道によると生徒や先生、数百人が生き埋めになり死亡したとされています。今も瓦礫は残されたままで、新しい校舎は別のところに建てられたそうです。

まだ新しいみかん。弔いのロウソクも絶えない

まだ新しいみかん。弔いのロウソクも絶えない

撮影中、金さんから「そろそろ危ないよ」との連絡が入り、急いで撮影を終わらせて撤収しました。

町のいたるところで、ひびが入っている建物を取り壊し新しく立て直す光景が見られました。復興への動きも起きているようですが見た感じかなり時間がかかりそうです。
その後成都に戻って町の雑感を撮影してこの日のロケは終了しました。

2009 年 9 月 7 日 月曜日

9月ロケ1日目:4度目の四川で、初の元祖麻婆豆腐

元祖 陳麻婆豆腐

元祖 陳麻婆豆腐

前回帰ってからわずか3週間、再び四川省へ。前回と同じく上海で乗り継いで一気に成都まで行きました。着いたら夕方だったので、増田カメラマンのたっての希望で麻婆豆腐の発祥と言われる「陳麻婆豆腐」へ行きました。久しぶりの四川料理です。が、4度目ともなるとみんな徐々に味に慣れてきていて、初めて本場の四川料理を食べた時の感動が薄れつつありました・・・

辛くて痺れる味が病みつきに

辛くて痺れる味が病みつきに

食べ物談義

食べ物談義