シリーズ13億人の深層 第3章
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‘2009年9月ロケ’ カテゴリーのアーカイブ

2009 年 9 月 15 日 火曜日

9月ロケ9日目:成都から大阪へ

今日は帰るだけ。前回の教訓をもとに上海での乗り継ぎに6時間もの余裕を見ましたがそんなときに限って飛行機は定刻に飛び、上海空港で5時間も暇をつぶすことになりました。夜遅く大阪へ到着。次回は10月中旬頃、喜徳の光の新米セールが始まる頃です。

成都から上海へ

成都から上海へ

待ちくたびれた上海浦東空港

待ちくたびれた上海浦東空港

2009 年 9 月 14 日 月曜日

9月ロケ8日目:新学期の天空村小学校

今日は夕方の便で成都へと発ちます。午前中いっぱい山の小学校のロケです。ここでも9月から新年度ですが今年は1年生が少ないということで新入生はなし。今までいた1年生と3年生はそれぞれ2年と4年に進級しました(この分校は本来3年生までなのですが、2年生だけでは少なすぎるので特別に4年もOKになりました)。もともと少ない3年生に、ムティなど4人が別の小学校に転出したので4年生の教室は少し寂しげですが1年生は相変わらず元気です。7月の期末試験の結果はムティが13人中4番、アカは28人中5番と2人ともまずまずでした。両親のためにもがんばって欲しいです。
新学期の様子を撮影したあと昼過ぎには山を下り、今日も同行してくれた小林さんと李先生に別れを告げ成都へ向かいました。

2年生になりました

2年生になりました

大きな声で読むアカ

大きな声で読むアカ

李先生

李先生

小林さんと金さん(これは縄抜けの手品グッズです)

小林さんと金さん
(これは縄抜けの手品グッズです)

帰りの西昌空港

帰りの西昌空港

2009 年 9 月 13 日 日曜日

9月ロケ7日目:ロケも大詰め

いよいよ今回のロケも終わりが近づいてきました。次回最後のロケは短期間なので、実質これがじっくり撮れる最後のロケです。前回までと違ってこの辺りまで来ると撮り残したものはないか?これで大丈夫なのだろうか?と毎日ものすごい不安に襲われます。もちろんまだ構成は固まっていませんが、第1章からお願いしている構成作家の杉原邦彦さんの助言を元に、夜ホテルに戻ると場面ごとの大体の流れをノートに書きながら映像を想像していきます。何せ帰国してからこんな映像が足りないと思っても簡単に撮りに来れる場所ではないので・・・そんなことも考えて今日は撮り残し撮影用の予備日に充てていました。

そもそも海外ロケの場合(特に中国が特別ではなく)予想外のハプニングはつきもの。アポイントをとって約束の場所に行ってみたら、「ちょっと急用があるので3日後に来てくれる?」などと言われることもしばしば。撮影予定をぎっしり詰め込んでいるとそうしたハプニングに対応できないので私は長期ロケの時は必ず1日スケジュール未定の日を作ります。1日もったいないと思われるかも知れませんがこれがあることでパズルのように予定を組み替えることが可能になるのです。

阿蘇さんに村の未来がかかる

阿蘇さんに村の未来がかかる

土屋カメラマン?

土屋カメラマン?

今回は前回と違い大きなトラブルもないので完全に予備日。阿蘇さんと土屋さんにそろって喜徳県に行ってもらってお二人に喜徳県や涼山州の未来について話してもらうことにしました。この村は喜徳の光の栽培で収入が増えていい方向に回転し始めていますがこれをどうやって広げていけばいいのか。そして信頼農園の設立意図である貧困学生の支援をどのように行っていくのかなどについても聞いてみました。土屋さんも阿蘇さんも企業がたくさん来て工場が出来てといった発展は望んでいません。この自然を残し活かしながら発展する方法がないかを模索しています。土屋さんは「格差とよく言いますがここの人が上海と同じ額の収入や生活を得るのは不可能だし必要もなくて、用は地元の生活レベルが上がっていけばそれでいいんです」と話してくれました。確かに収入格差はここと沿岸部では10倍以上開いていますが、それを論じることは無意味なのかなと考えてしまいました。

夕方、天空村の夕景が撮りたくて、運転手さんに無理を言って(ホテルがある西昌から見て喜徳県とは逆方向なので)行ってもらうことに。夕景の中に村がシルエットのように浮かび上がって何とも幻想的でした。

夕日の落ちるのを待つ取材班

夕日の落ちるのを待つ取材班

幻想的な村の夕景

幻想的な村の夕景

夕景の天空村を撮影

夕景の天空村を撮影

2009 年 9 月 12 日 土曜日

9月ロケ6日目:天空村 母娘2人の生活

朝、6時起床。この日も朝日の撮影にトライしました。昨夜はゴキブリのせいでほとんど眠れず、本当に朝が来るのが待ち遠しく感じました。このあと2日も耐えられそうにないので朝日撮影が終わるとホテルを変えることにしました。

待ち遠しかった朝

待ち遠しかった朝

その後、標高3000mの山の村へ。長男ムティも隣村の小学校に4年生として編入し寮生活をしています。今日は土曜日で小学校が休みなので残された母親と末っ子のアカ2人だけの家庭生活を撮るのが目的です。2月、最初に来た時には5人いた家族が父は出稼ぎ、長男長女が遠くの小学校に行っているので今は2人になりました。
昼過ぎになると、畑でまだ残っているじゃがいもの収穫。周囲には美しい夏山の景色が広がっていましたが、対照的にアカは風邪気味で、母レブジホさんも体が良くないのでじゃがいも堀りはとても辛そうでした。でも今は他に作業をしてくれる人もいません。
夕方まで待って2人きりのじゃがいもだけの夕食を撮影し午後7時ごろ撮影終了しました。

家の前に座る 母とアカ

家の前に座る 母とアカ

農作業はすべて母1人で・・・

農作業はすべて母1人で・・・

この日、小林さんと新しい通訳、蒋秀美さんが同行してくれました。蒋さんはイ族で日本語職業クラスの1期生です。日本語も少しできます。今月から阿蘇さんの信頼農園で働くことになったということです。8月ロケ以降のイ族語翻訳もやっていただけることになり翻訳者不足の悩みが解決しました。そして小林さんには最後のインタビューでこれまでに感じたこと、後任がいないことなどについての思いを語ってもらいました。詳しくは番組で。

道路に寝る子ども 危ない!

道路に寝る子ども 危ない!

近所の赤ちゃんを抱っこ

近所の赤ちゃんを抱っこ

2009 年 9 月 11 日 金曜日

9月ロケ5日目:民族中学校の日本語クラスを訪ねて&史上最恐の夜(2)

恐怖の夜を乗り切り朝がやって来ました。湖で朝日を撮る予定なので6時起床です。集まって皆に話しを聞くと増田カメラマンの部屋以外は全ての部屋でゴキブリが出現していました。しかも複数・・・

朝日を待ち構える増田カメラマン

朝日を待ち構える増田カメラマン

この湖は3個の太陽で有名

この湖は3個の太陽で有名

この日は標高3000mの小学校に行くつもりでしたが、聞くと「教師節」という祝日で、教師は皆休みとのこと。(いつも直前になって発覚します)当然学校も休みなので仕方なく急遽予定を変更し午前中は再び喜徳県に、そして午後は小林さんが勤務する民族中学の日本語職業訓練クラスにお邪魔することにしました。

まずは喜徳県に。阿蘇さんが企画した稲刈り体験で、成都イトーヨーカ堂の中国人バイヤーや喜徳の光の消費者代表が招待されていました。市場関係者へのこうした働きかけからも、“支援から自立へ”という土屋さんたちの考えが 地元の人たちによって具現化されてきていることが分かります。私たちはバイヤー、消費者にそれぞれインタビュー。

左3人がバイヤー 右2人は消費者

左3人がバイヤー 右2人は消費者

立派に実った喜徳の光

立派に実った喜徳の光

有機米が安全安心ということはもちろん分かっているのでしょうが、実際にこの土地をみて、その自然の素晴らしさに皆さん感激したようでした。バイヤーからは今後も喜徳の光を扱って行きたいとの力強いコメントも引き出すことが出来ました。
土屋さんはちょうど1ヵ月後、10月10日に任期を終えて新米の発売を見ることなく日本へ帰国します。この2年間、そしてこれからの希望について語ってもらいましたが、 
元商社マンとしてのノウハウが2年間でどれだけ伝わっているか?品質を管理し信頼を得ることの大切さをどこまで理解してくれているか?それがかなり心配なようでした。今後は阿蘇さんがこの事業を一手に引き受けてやっていくことになりますが、市場で他の米との競争が激しくなる中で喜徳の光が生き残っていく鍵は「信頼農園」という名の通りまさに流通や消費者の信頼を得ることに他なりません。

村の秋

村の秋

さて、午後からは小林さんの本来の派遣先である職業訓練日本語クラスでの授業の様子を取材しました。このクラスは学生の就職先を確保してその為に必要な技術を身に付けさせるために涼山民族中学内のクラスとして2003年に第一期が始まりました。
期間は2年でちょうど今年9月から第4期生が入学してきたところです。条件は中国語が話せることで今日が入学後3日目の授業でした。3日目なのにひらがなをほとんど覚えているのには驚きました。もちろんまだ会話にはなりませんが朝6時半に起床し夜は10時ごろまで勉強付けの毎日ですから、2年後にはきっとかなり上達しているのだろうと思います。

夜遅くまで授業する日本語クラス

夜遅くまで授業する日本語クラス

今、中国政府はこうした職業クラスに補助金を出すようになっていて、このクラスの生徒にも1人年間1500元の補助金が出ます。授業料は免除なので必要なのは教科書代と寮費で年間約800元、それに生活費を足しても実質ほぼ無料で2年間授業を受けながら生活できるのです(余ったら返します)
これまでに卒業した学生たちの中には上海や北京、浙江省など大都会の日系企業に就職している例も多いそうです。
この制度を利用するにもやはり中国語が出来なくてはなりません。イ族にとって親が話せない中国語を話せるようになることがどれだけ大事か再認識しました。

さて、夜10時ごろまで日本語クラスの取材をし、夕飯を食べてホテルへ。また恐怖の夜がやってきました。部屋のドアを開けると早速「ガサガサ」と動き回る黒く光る物体が! 1匹はロッカーに、さらに1匹はベッドの下に入り込みました。ここのゴキブリはとにかく大きいのです。その後スリッパ片手に奮闘しましたが確認しただけで何と10匹もいて戦意を喪失、寝ようとしても「カサカサッ」という音が気になって眠れません。結局朝4時ごろまで眠れませんでした・・・