さらばオルドス!一路フフホトへ

2008 年 4 月 21 日


坂本さんが1991~1994年、日本語を教えた蒙古族中学

ロケもあと少しを残すだけとなりオトク旗を離れ帰路に着きます。朝、天気予報をテレビで見ていると、何!!雪?? 3日ほど前まで25度で暑い暑いといっていたのに。。

確かに外に出ると寒い。朝早いのに包局長がホテルまできて朝ごはんも付き合ってくれた。この辺の面倒見のよさは中国の特徴です。おそらく次回のロケもお世話になることでしょう。坂本さんは学校を見たいということで別行動、取材班は東勝へと向かいます。もう白酒を飲まなくていいと思うとそれだけで心がウキウキしてきます。


石炭の露天掘り

途中天気が次第に雨に、最後のロケは石炭の採掘場の撮影でした。昼過ぎに東勝に到着、スチントウさんの友達(日本語ができる)の案内で採掘場へ。内モンゴル、中でもオルドスは中国一の石炭の産地なのです。到着した場所は2001年に掘り始めた比較的新しい採掘場でした。肉眼でも石炭の地層がはっきりと分かります。「あの層が3億年前なのか・・」石炭紀は今からおよそ3億年ほど前。ロマンを感じます。次第に雨が強くなり撮影も難航、少しかすんでいたので晴れていればもっと美しいはずなのですが。残念。


どんどん開発が拡大


前日の25度から一気に氷点下に 雪が降る

そして今回の撮影はすべて終了、フフホトへと移動します。途中、本当に雪が降ってきました!前日と比べて20度以上下がっていると思います。この気温の変化も日本ではあまりないのでは?さて、きょうの楽しみのひとつにホテルがあります。先に書いたようにオトク旗のホテルはそれはひどかったのでフフホトでは奮発して4つ星のホテルに泊まることにしました。そして到着、ついたとたん取材班の顔がほころびます、こんなに立派なホテルがあるのか?お湯がたくさん出る、タオルもきれい、湯船まである!しかも勝手にグレードアップになっていて1人で2部屋使用できるのです。これで1泊6000円ほど。

夕飯はフフホトにすんでいるナレンファさんのさわやかイケメン三男(21)と一緒にホテル近くの韓国料理屋へいきました。生ビール、焼肉のうまいこと!言い表せません。ちなみに三男も全くアルコールはダメなのだそうです。心から楽しく食事して部屋に戻りました。明日は一気に帰国します。

牧民たちの恐~い歓迎会

2008 年 4 月 20 日


ナレンファさんの村の集会所

さて、早朝20名弱の日本人植林隊は岐路に着きました。私たちは坂本さんとともに再びナレンファさんの家に向かいます。前にも書きましたが坂本さんは450万円を投資してナレンファさんたちと牧場を経営しています。なかでも目玉となるのはカシミヤヤギの改良、坂本さんとしては遼寧省の1匹200~300万円もする種ヤギを買ってほしかったようですが去年ナレンファさんが買ったのはアルバス地方の30~60万円のヤギを数匹、その理由は2人の話の中で明らかになりました。一つは草地の回復がよくなくて1年中禁牧になったら放牧生活は続けられないということ、そしてもう一つは高価なヤギを1匹飼った場合。病気などで死んだら損害が多大であること。確かに言われてみれば・・という感じです。今年人工授精で生まれた改良子ヤギは40匹、来年にはカシミヤが採れるといいます。果たしてどんなカシミヤが採れるのでしょうか?放送には間に合いませんが改めてぜひ見てみたいです。


コの字型に並んだテーブル


陽気な牧民たち 今日はどれだけ飲まされるのか

午前中でロケは終了、そしてこの日は昼食で現地の牧民たちが私たちを接待してくれるそうなのです。正直もう勘弁してほしい心境でしたがそんなことを言えるわけもなく連れられていきました。そして、村の集会所へ着くと机がコの字型に並べられていました。私たちは前に一列に座らされ、脇2列を牧民が固めるという構図に。その数、牧民だけで30人以上はいそうです。こちらは坂本さんを入れてわずか6人、「これはまずいな・・・」と血の気が引く思いをしながら宴会は始まります。案の定、一人一人が私たちに飲ませに来ます。しかも椀が大きい!私は連日の酒と砂でのどをやられ咳が止まらないのですが、断っても断っても許してもらえません。金さんもつらそうですが断れずに飲んでいます。他のメンバーも同じです(増田カメラマンでさえ少し口をつけていました)しかし、よく見ると牧民たちはほとんどが飲むのを拒んでいます。「???」みんな酒に強いのだと思っていたのですがちょっと拍子抜けというか、次第に我々だけ飲まされているのは不公平な気がして、隙をみて外に出て吐いたり歌を歌ったりして逃げました。戻ってみると清水氏と児島記者が何やらいい感じに出来上がって踊っています。その回りには前回ロケハンの時に飲ませまくっていた林業局の白酒シスターズが。。。 午後3時ごろ、包局長が帰るというのでここぞとばかりに便乗して私たちも帰り(逃げ)ました。  まだ昼だというのに本当に恐ろしい光景でした。


ナレンファさんと白酒シスターズの1人


牧民たちも白酒はつらそうです


女性も強い

ただ、この宴会で最後に出された羊の頭は最高のもてなし(大臣が来てもこの料理)であり、また羊を煮た汁を使った雑炊はこのロケの中で最高においしく感動しました(涙)!


最高級のおもてなし


またまた3人で四季の歌

ホテルの前の店で土産を購入、私は酔っ払っていたこともあり大きな羊の絵柄のじゅうたんを買いました。(もって帰るのが大変であとで後悔)、そして、金さんはホテルのフロントの中に入って勝手にインターネットで明日のホテルを予約しています。(普通ありえないでしょう)。夜は久々の白酒のない夕食、ホテルの近くの干鍋料理店で楽しい夕食でした。それでもビールを2本も飲んでいた坂本さんには脱帽です。明日はいよいよオトク旗を離れます。

いざ!植林

2008 年 4 月 19 日


植林隊の記念撮影


坂本さんとナレンファさん

朝から雨が降りそうな暗い空。昨日は雨も降り地面はすこし軟らかく植林にはもってこいの天気です。(撮影は晴れの方がいいですが)植林場所のウランダワ砂漠につくと記念撮影、そして植林開始、土の中に埋めるだけでいい楊柴(ヤンチャイ)を中心に中国人と日本人が組みになって植えていきます。あちこちで楽しそうな声が聞こえます。これぞ日中友好。3年前からこの場所で植林を始めた坂本さん。3年前に植えた草や木はもうかなり大きく育っていますが、半分ぐらいまで砂で埋まっているところもあり、止まっているようでも砂が動いているのがよく分かりました。6000ヘクタールの砂漠をあと7年かけてすべて緑化するのが目標だそうです。この場所で包局長にインタビュー、30年前は緑の地だったこの場所を元に戻そうという強い意識が感じられます。最初はあまり関心のなかった牧民たちも今では「日本人がわざわざ植林してくれているのだから俺たちもやろう!」と言うまでになっているとか。「坂本さんがいなければ緑化活動はなかっただろう」とも話していました。植林は休憩をはさんで午後4時まで行われました。


日中の2人組で作業しながら交流


以前植えた木は定着

2月に筑波の国立環境研究所に取材に行ったところ、日本にやってくる黄砂の発生源がほぼ確定できたそうです。これまでいわれていた新疆ウイグル自治区のタクラマカン砂漠からは距離がありすぎるのと途中の山脈でさえぎられるため日本にはほとんど来ないのだそうです。80%以上が内モンゴル、中でもモンゴルとの国境線近くから50%が来ているそうです。オルドスからもおよそ10%。植林は私たちの生活にも直接関係しているのです。今、多くの日本企業がCSR(企業の社会的責任)活動の一環で植林活動をしています。すばらしいことだと思います。ただ、植林する場所にはそこに住む人がいます。彼らの生活レベルを向上させないとせっかく生えた芽を隠れて放牧したり、木を盗んで売ったりで結局元に戻ってしまうのです。坂本さんが指摘するのはまさにその部分です。地元の人たちの協力を得られるような植林活動を続けていけばきっと草原は元に戻るでしょう。


歌う児島記者

さて、また恐怖の夜がやってきました。この日も宴会。白酒の一気飲みがヒートアップ。私は今日も偉い人の席に座らされ飲まされます。。次第に酔っ払いが増え、歌い踊る日本人も。そして取材班も指名され歌いました。増田カメラマンは日本人と中国人しかいない場所でなぜか英語の歌を熱唱。北国の春、四季の歌など中国でもおなじみの歌が次々と披露されかなり酔っ払ったところで終了、この日も何とか耐え抜きました。


楽しそう


カントリーロードを歌う増田氏


3人で北国の春を熱唱


すっかり酔っ払い