11日目: ナレンファさんの放牧

2008 年 8 月 5 日

今日も懲りずに強行日程、片道300キロのところにあるナレンファさんの家に日帰り取材です。目的は、何といっても放牧です。前回は禁牧期間中だったので柵の中でしかヤギが飼えませんでしたが、今回は広々とした牧場で放牧しているはずです。


砂漠が迫る草原

8時に出発、途中、児島記者が「ここ撮りませんか」と提案、見ると草原に羊の大群がいてその周りを砂漠が取り囲んでいます。砂漠化を象徴するような景色です。早速撮影し再度出発、今日は車の調子もよく12時前についてしまいました。まずは皆の好物ホイツァイで腹ごしらえし、撮影です。(私は腹具合が直らずまだ食べれませんでした)坂本さんが投資した種ヤギから生まれた子ヤギが大きくなっていました。でもまだ顔は子供で人なつっこくてとても可愛い。


ナレンファさんと坂本さんの牧場


カシミヤ ヤギ

その後先日ご主人が酔っ払って寝ていた隣家を訪ねます。ここは馬をたくさん飼っていて馬乳を売って生活しています。馬乳は今値段が高騰していてこの3年ほどで値段が3倍にもなっているそうです。

馬乳をすすめられましたが、腹具合が回復していない状況ではとても恐くて飲めませんでした。坂本さんと増田カメラマンが試飲。その表情はあまり美味しくはないようです。最後に放牧、そして羊をバックにナレンファさん最後のインタビューです。これからは肉の改良もしていきたいという彼女、印象に残る言葉がありました。放牧文化は今後も残り続けるか?という私の問いに、ナレンファさんは「無理だ」と答えました。私は「禁牧などの努力により草原が回復し放牧文化は次世代に伝わっていく」という答えを予想していたのでちょっとビックリ。理由を聞いてみるとナレンファさんにとって放牧とはパオによる『遊牧』なのです。定住している時点で放牧生活とは思っていないのです。2キロ四方の広い草原にヤギを放っているのですが、彼女にとっては大きな柵の中でヤギや羊を飼育している感覚なのでした。この時、モンゴル族の心を見たような気がしました。 午後3時、いよいよナレンファさんともお別れです。ロケハンのときから合わせて4泊もさせてもらい、取材班大好物のホイツァイを何度も作ってくれたとてもいいお姉さんでした。帰り際も、小さくなって見えなくなるまで手を振ってくれました。本当にお世話になりました。

10日目: 再び大移動

2008 年 8 月 4 日


ハイラル→フフホト 3列しか座席がない飛行機

今日は早朝から再び大移動。7時出発でまずはハイラルの空港へ。私は朝からひどい下痢で口をきくのもだるい状態でした。同じく昨日エビを食べた増田カメラマンも少しおかしいようです。飛行機でフフホトに飛び運転手と再会、車で東勝へ向かいます。

その途中、前回雨できれいに撮れなかった石炭の露天採掘場へ向かいました。ところが着いてみると前回とは全く違う景色が広がっています。この前来た時は石炭の地層が見えて採掘しているところが見えたのですが、地形が全く変わっていて石炭の層も見えません。

たった3ヶ月でこんなにも変わってしまうのかというほど早い開発です。結局撮影は断念しホテルに行くことに。ところが今度はここまでがんばってきた取材車に異常発生、エンジンの温度が最高を指しています。オーバーヒートです。しばらくエンジンを切ってみましたが30分たっても温度に変化はなし。ここで音声の清水氏が「水がないんじゃないか?」と言うと運転手は「いや水はある。問題は床に泥が詰まって通気が悪くなったことだ」と主張。この人だけでなく中国の運転手はいい人が多いのですが、プライドが非常に高くたとえ道を間違っても絶対に認めようとしません。今回も私たちから指摘されたのがおそらく悔しくて認めたくないのだと思います。金さんが説得してラジエータと開けると案の定水が全くありません。幸い持っていたミネラル水を3本入れると見る見るうちに温度が下がっていきます。それでも彼は「水は原因ではない。床の泥が・・・」と最後まで言い張りました。ここまでくると脱帽です。
夕方東勝に到着、坂本さんと合流しました。坂本さんがいつも泊まっている東勝大酒店に宿泊です。この日の夜は、スチントウさんも来て明日からの予定について話しつつ私の大好物羊肉のしゃぶしゃぶを食べました。しかし私はとても食べられる状態ではありませんでした(涙)

9日目: 念願のモンゴル相撲

2008 年 8 月 3 日


モンゴル衣装に身をつつむ参加者たち

いよいよ、ロケも後半戦に突入。きょうはナレンファさんのところで雨のため撮れなかったナーダムのモンゴル相撲の撮影です。本当に運がよく、たまたま近くの町で大きな大会が開かれていたのです。またまた車で3時間ほど走り午前11時過ぎに会場へ到着しました。競馬は早朝4時から行われていたらしくすでに終わりかけていましたが、モンゴル相撲はまさにこれから始まるところでした。


激しい戦い

大群衆が取り巻く中、大会責任者に交渉し増田カメラマンと私が中に入れることになりました。参加者はおよそ130名。朝青龍のようなごっつい人もいればひょろひょろの人もいて最初は大人の部と子どもの部があるのか?と思ったほどです。試合開始!トーナメント戦で試合は進みます。土俵はなく手やひざを着いたら負けです。豪快な投げ技が出ると観客が沸きます。試合は決勝まで4時間続きました。

さて、中に入ったのはいいものの、カメラマンは暗黙の了解でどこにいてもいいのですが、私は居場所に困ります。どこに行っても誰かの視界を遮ってしまいます。ちょっとでも立とうとすると後ろから 容赦なくペットボトルが飛んできます。結局炎天下の中4時間、ダルマのようにじっと座っているしかなく、ただめちゃくちゃ日に焼けました。。ベスト8決定後、一時試合は中断、午前中に行われた競馬の表彰式がなぜかモンゴル相撲の会場で行われました。あまりの人の多さに馬はビックリして暴れ始めました。観客が逃げ惑う大混乱の中、何事もないように景品が渡されていきます。優勝者には小さなポータブルテレビが、準優勝者には携帯が渡されました。どうして今ここで表彰式をやるのか?その答えはその後分かりました。

混乱が収まるといよいよ準々決勝、ここまで来ると皆、すごい体格です。筋肉隆々の人もいれば推定体重130キロぐらいの人もいて、会場の盛り上がりも最高潮です。

結局、優勝は筋肉隆々の人でした。決勝で勝負がついた瞬間に、観客は一斉に帰ります。誰も表彰など見ようともしません。ベスト8の時点で馬の表彰をやった理由がようやく分かりました。この日の夜は、政府の人と久々の白酒。この席で食べたエビがおそらく原因だと思うのですが翌日大変なことになりました。