最終日、果たして・・・

2008 年 3 月 3 日


ウーシン旗への道

朝8時に予定通り出発、一路高速を南へ向かいます。200キロほど行ったところで高速を下り西に進路を変えます。そこからさらに100キロ、どうにか昼前にウーシン旗に到着しました。風が西から東へ吹くのでウーシン旗の砂漠化はどんどん東へと進んでいます。


生態移民村 2004年に移転してきた家族を取材

今はモウス砂漠と呼ばれています。まず案内されたのがある村でした。240人の牧民が住む村です。実は砂漠化が進む土地の住民は自主的、または半強制的に町に近いこうした人工の村に移動しているのです。人がいなければ草原は回復するという考えです。


豚を飼育 豚肉価格急騰で収入の柱に

私たちは村長(若い女性)を紹介してもらった後、村人の家など少し見せてもらいました。小さい子どもがいる3人家族はブタや牛を畜舎で飼育していました。その後スチントウさんの知り合いだというこの村をつくった局長を紹介してもらいます。が、当然また昼から白酒です。午後からもう一箇所見たいところがあると言っているにも関わらず次々と運ばれてくる白酒。。。4本目を開けようとしたところでさすがに金さんがストップをかけました。この局長にはおそらく今後世話になると思ったので私は相当飲んで、またしてもフラフラ状態です。(でも飲まないと仕事にならないのです)さて、さっきの3人家族の父親が別の場所にある砂漠に残っているというので、そこを見に行きたいと言うとあっさりOKが出ました。ここから車で1時間少しだそうです。

2時前にようやく出発しました。砂漠を走ること1時間、一軒の家が見えてきました。男性がいます。「この人がさっきの村人のお父さん?」と局長に聞くと「違うけどこの人でもいいでしょう?」との答え。“何でやねん!”と思いながらも「お父さんじゃないと意味が無いんですよ」と優しく話し、そこから砂漠の道を歩くこと1キロ。泥酔状態の私は鉄条網が越えられず大転倒、受身もできず顔から倒れましたが幸い砂地なので、事なきを得ました。そしてようやくお父さんの家に到着。


移民村の村人の父親 64才
移転を拒み1人砂漠に残る

64歳というこのお父さんは1人でここに住み放牧生活を営んでいます。高倉健を彷彿とさせる顔に刻まれたしわがかっこいいです。中国語は少し分かるようですがやはりモンゴル語でのインタビューのほうが流暢です。そして放牧地の外側は四方すべて砂地です。ここを取材対象にすることに決め、また4月に来る旨を伝えてもらい、何とかロケハン終了です。もう午後3時半、戻らなければ飛行機に間に合いません。


放牧はモンゴル族の文化

「今日の夜には北京に行くんですよ」というとお父さんは「ハ~?」と驚いた様子です。彼の移動手段は徒歩かロバですから、わずか5時間後に北京に着くことはおそらく想像できなかったのでしょう。

北京について空港近くのホテルで夕食、金さんは何やら先輩との飲み会があると言って出て行ったので、坂本さんの友人とともに夕食を食べました。この日の酒はビールです。

12時過ぎに私と増田カメラマンは就寝、坂本さんたちはまだまだ話し込んでいました。
とにかく最終日のぎりぎりでしたが何とかいい取材先がみつかりました。

ロケは大丈夫?

2008 年 3 月 2 日

白酒の唯一いいところは次の日にあまり残らないところです。起きたら結構スッキリしています。中国ではよくあるのですが、何を待っているのかわからないままウダウダしています。政府の人が何人かいたので聞くとオトク旗よりも南東に位置するウーシン旗の方が砂漠化が進んでいるようで、どうやらオトク旗にはあまりいい取材対象がないようです。ガーン!ならばそっちに行きたい。「今すぐウーシン旗に行こう」と提案する私。しかし今回はそもそも包局長を頼りに来ているので他にあてがありません。そんな時坂本さんが「ウーシン旗ならスチントウさんが知っているかも」と言うではありませんか。(2日目にオトク旗まで送ってくれた人)、もう藁にもすがる思いです。とはいっても彼は300キロ離れた東勝周辺にいますからきょうは無理。協議の結果今日はとにかく東勝まで行って、明日早朝から現地へ行ってみようということに、しかし夜7時には北京行きの飛行機が出るのでタイムリミットは午後3時ごろまで。まあ考えても仕方が無い、何とかなるでしょう!


オトク旗の中心 ウラン鎮

オトク旗から東勝までは何故か公安の車で移動。さすがプロのドライバーだけあって速い速い、2時間半かからずに到着しました。ホテルでは増田カメラマンが明日が娘の誕生日とあってオルドス集団のカシミヤの服を買っています。そして白酒のない楽しい夕食をスチントウさんたちを交えてとりました。明日は8時出発です。


何故かこの車で東勝へ


娘にお土産を買う増田カメラマン

白酒地獄を見た日

2008 年 3 月 1 日

朝は少しゆっくり。と思ったらホテルに公安がやってくる。厳しい表情ではないが、女性職員が私たちのパスポートを集めて回っています。地方のホテルでは時々あることではあるが初めての人はビックリするでしょう。

さて、取材については午前中何も決まらないまま昼食になだれ込み、坂本さん、ナレンファさん、取材班に加えて女性2人と男性3人での飲み会。1人はウラン鎮公安の偉い人でしたがあとはおそらく林業局の関係の人たちです。昼だというのにやたらテンションが高い。強そうな女性たちががんがん飲ませてくるうえ、歌が終わった瞬間に飲み干さなくてはならないとか、いろんなしきたりがあって間違うとさらに一気。歌もたくさん歌わされました。1時から始まった宴会で4時には私と金さんはすでに酔いつぶれていました。元気の残っていた坂本さんと増田カメラマンは女性陣(40歳ぐらい?)に2対2でバーに行こうと誘われていました(もちろん断っていましたが)。ホテルに戻りベッドに倒れこむと爆睡、しかし2時間後、6時には林業局長との夕食会が待っています。

あっという間に6時、まだ意識が朦朧としていますが仕方なく宴会場へ、見ると金さんもつらそうです。会場に着くと林業局の包局長以下15人以上の人たちが待ち構えています。歌手や奏者もいて本格的、もう逃げられません。何とか中国語での挨拶もすませ、宴は次第に盛り上がります。坂本さんは楽しそうにオルドス民歌を歌っています。私も金さんも決して弱いほうではありませんが坂本さんの酒の強さには感動しました。昼夜ほぼぶっ続けでアルコール38度の白酒を1人1本半空けるというとんでもない飲み方、「食べて・飲んで・歌って・吐いて」を繰り返し、特に取材先が決まるわけでもなくこの日も泥酔のまま1日が終了、この時点で決まっている取材先はナレンファさんだけです。ロケハン終了まであと2日です。