ついに来た!凄惨な白酒大会

2008 年 4 月 14 日 月曜日


移民村

きょうも村の取材。プルダさん一家は豚を飼っています。本来モンゴル族は豚は飼いませんがこの村の人は多くが豚を飼っています。今、中国では豚肉の値が急騰、去年上海で聞いたところだと1年で2~3倍ほども値が上がっているそうです。ということでプルダさんの豚を見に行くと2月に来たときより数が激減。どうしたのか聞いてみると「売った」と短い答えが・・1匹が最高で1600元(約2万4000円)でうれて、全部で7匹、1万2000元(18万円)にもなったそうです。自分で売りに行くのではなく仲買人が買いにくるのだそうです。ちなみに羊は1匹100元だといいますから、いかに豚の値が高いかお分かりいただけると思います。逆に言うと羊の放牧なんか、ばからしくてやっとれんのじゃないかと思いますが、やはり放牧というのはモンゴル族に数千年も脈々と伝わる文化。特に老人はそれ以外の仕事をすることにかなりの抵抗を持っています。プルダさんと同じ村に住むおばあさんに、ここでの生活を問うたところ、「便利で楽だけどやはり生まれた場所で放牧生活がしたい」とのこと。


与えられた土地

実はここウーシン旗はモウス砂漠という砂漠化地帯にあります。地元政府はここに限らず4月から6月末までの草が生長する期間を「禁牧」とし、牧民たちはその間、羊やヤギを柵の中で飼わなければなりません。当然、餌は自分で用意することになり費用がかさみます。この政策や植林活動などで緑が回復している地域もありますが、一方でモンゴル族の生活は厳しくなっています。放牧から飼育へ、田舎から都会へ、そんな生活の変化に若い人はついていきますが、放牧に誇りを持つ老人はそうはいきません。我々日本人にとって砂漠化という現象は頭では理解していても、遠い国の話としか感じられないところがあります。でもそこに住んでいる人たちにとっては生活が一変してしまうほどの大問題なのです。今回の番組では砂漠化、黄砂の原因と恐さを紹介するだけではなく、そこに住み生活する現地の人々の心の葛藤などを通じて、日本の人たちにも砂漠化をすこしでも身近な問題として捉えていただけたら幸いだと思っています。


首に棒をつけられた脱走の常習犯


柵をなおす親子

話がまじめになりましたが、この日は一日中、プルダ一家の生活に密着しました。この日も特に大きな動きもなく平凡な日常ではありましたが、インタビューではここでの生活に対するプルダさんの気持ちが無言の「間」にあらわれています。ぜひ番組でチェックしてみてください。あさって、プルダさんがお父さんに久しぶりに会いに行くそうなので、我々は明日、一足早く行ってお父さんの取材をしようと思っています。最後はダプ局長のインタビューで終わり。すべて順調なのはこの局長のおかげなのです。感謝しつつも、今晩のおそらく憤死するであろう宴会を考えると気が重い取材班でした。児島記者のがんばりに期待するのみですが・・・


断ることが不可能な白酒

さて、去年の新疆ロケではアルコール52度の白酒に増田カメラマンを除く全員がぶっ倒れました。内モンゴルの白酒は通常38度なので多少飲みやすいのですがこれが余計にたちが悪いのです。午後7時、その恐るべき宴会は始まりました。ダプ自然環境保護局長主催の宴は想像を超えて豪華なものでした。私たちも交えて全部で15名ほどはいたでしょうか。その中には日本に留学していたという2人のモンゴル族女性もいました。特に名古屋に去年までいたというウランさんはトークがすごい。日本語で機関銃のようにしゃべりたおし、中国語のわからない日本人スタッフを全く退屈させない。さらにはアコーディオンの現地では超有名な先生や歌手なども用意されていました。本来ならとても楽しいはずの宴会ですが一方では、容赦なく「乾杯」の声が飛び交っています。乾杯は字の通り「乾杯」。残すことは許されない。それでもカメラマン増田氏は相変わらず1滴も飲まない。倒れられては仕事にならないので私も必死で彼の防御に回る。清水氏は去年のひどい思い出(意識不明)を教訓に、極力目立たないようにうまくやっています。私と金さんは飲まされ役ですが、無駄な酒を飲まないようメリハリを利かせていました。


コーディネーターの金さんも

1時間が過ぎ宴も盛り上がってきました。ここからが生死を決めるといって過言ではありません。小さな杯で10杯20杯、この辺まではそこそこ強い人なら大丈夫。しかし「あれ、意外と大丈夫じゃん!」と思った時点ですでに地獄の入り口に立っているのです。突然足が立たなくなるのです。 さて、そして宴はエスカレート。歌手が一人ひとりの前に立って歌を聞かせ、終わるとでっかい碗で一気飲みしなければなりません。これを飲んですぐ私はトイレに行き吐いておきました。汚いようですがこの作戦はかなり有効なのです。一方増田氏も「飲めないのならジュースで一気しろ」とみんなから攻められています。特にウランさんの“口撃”が激しい。苦痛に顔をゆがめながら大量のグレープジュースを飲み干す増田氏。この辺から私の記憶もやや薄れていくのですが、まだ恐ろしさをしらない児島記者は快調に飛ばしています。やめればいいのに大きな碗で2杯も一気している。そしてそのあとイスごと床に転げ落ちていました。


苦しそうな清水氏


がんばる児島記者

歌あり踊りあり、そして宴は終わりました。気がつくと児島記者の意識がないようです。レストランの美しいカーペットの上にはおびただしい吐しゃ物が。「弁償させられないだろうか」そんなことを考えながら、ただ1人しらふの増田氏を中心に部屋まで連れて行き服を脱がせ靴を脱がせ横にさせました。何故かウランさんもいます。寝たまま吐く児島記者、窒息の危険があるのでしばらくは増田氏が様子を見ることにしてみんなで記念写真。


意識がない児島記者を介抱する


みんな酔っ払い

さて、終わりと思ったその時、ウランさんがバーに行こう、金さんも行くと言っているから」と誘う。仕方なくホテルの前に出ると金さんの目がうつろだ。「金さん行くよ」と呼びかけても返事がなく焦点が合っていない。「もうだめだ泥酔している!」と悟った私は金さんを残しウランさんたちと日本の焼酎が飲めるというそのバーへと向かった。ホテルからすぐ近くにあるそのバーは落ち着いた雰囲気で中は広くとても快適だった。そして焼酎を注文、ここで私の記憶は途切れる。後で聞いたところによると焼酎を2本飲んで外で吐きまくっていたので、さっきの宴にいたアコーディオンの大先生が部屋まで送ってくれたそうだ。かくして壮絶な夜は終わりました。



コメントをどうぞ

このコメント欄はリアルタイム表示ではありません。また全てのコメントを掲載することはできません。掲載までには多少時間がかかり、また管理人が不当だと判断した投稿は予告なく削除いたします。公序良俗に反する内容、広告や商行為、著作権の侵害、出演者に対する誹謗中傷などのコメントはなさらないようにお願いします。