12日目: 坂本さんの思い出の学校へ

2008 年 8 月 6 日 水曜日

午前中は休息。1日も休みなく動いていたので久しぶりに1人でぼんやりする時間が持てました。と思ったのも束の間、金さんが「ここも移動したほうがいいと思います」というので全員30分で荷物をまとめてロビーへ。そのままチェックアウトです。ハイラル政府が私たちの取材をまだ疑っているようです。以前は中国国内の取材は必ず現地政府の外事弁公室に許可を得て、彼らが取材先をアテンドしロケにもついてくるスタイルでした。しかしオリンピックを前に去年、対外開放の意味もあり2008年10月までという期間限定ながら、取材先がOKであればすべての取材が可能という法律ができたのです。ですから記者ビザを得ている私たちの取材は法律上何の問題もないのですが、田舎の滅多に外国人記者が来ない地域ではまだ浸透していないようです。

荷物を積み込んで向かったのは坂本さんが1991年~94年にかけて日本語を教えていたモンゴル族中学です。坂本さんの当時の教え子の楊さんや校長先生(当時は副校長)、今在籍している女の子が集まっていました。懐かしい話に花が咲いています。当時坂本さんは校舎の中の1室で生活し、教室までのわずか5メートルを行き来していたそうです。その場所を案内してもらってインタビュー。風呂もない生活は大変だったでしょうが、坂本さんの話を聞いていると何とも楽しそうな情景が浮かんできます。生徒も純朴でとてもかわいらしい子でした。取材班一同「あんな子に育って欲しいなぁ」と言いながら学校を後にします。そして夕方、坂本さんと別れ、再び300キロ離れたウーシン旗へ移動です。

しかしここでまた問題が。ウーシン旗では今日から祭りが始まり政府幹部がいいホテルをすべて押さえてしまっているとのこと。ダプ局長からも明日にしたほうがいいといわれましたがもうチェックアウトしてしまったので別のホテルを探してもらうことに。先日の2つ星並みのホテルですが贅沢は言っていられません。安心して泊まれるだけで十分です。

夜は再び白酒宴会。ダプ局長以下数名がやってきました。7月29日の宴会で彼らが覚えた日本語は音声清水氏の「シミズ」と酒を飲ませるときの「もうイッパイ」。「シミズ、モウイッパイ」が大流行、この場に来ていた運転手のタメちゃんが自分が着ているTシャツに全員のサインを書いてほしいと言うのでマジックで名前を書きました。清水氏はもちろん「しみずもう一杯!」とサイン。日本人から見ると間抜けな感じですが、日本語が分からない彼らからすると貴重なものなのかもしれません。


みんなでTシャツにサイン


こんな感じ

かなり飲んだところで、バーへ移動しました。ここにいた19歳の馬頭琴奏者の男の子の演奏がすごくうまい。今まで聞いた中で一番うまい気がしました。疲れと酔いも手伝って何だかとても感動し、ずっと聞き入ってしまいました。深夜12時過ぎに宴は終わりホテルに帰って就寝です。


19歳の馬頭琴奏者 めちゃくちゃ上手かった



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