2008 年 8 月 のアーカイブ

13日目: またしても雨

2008 年 8 月 7 日 木曜日

今日は、元々ナレンファさんの放牧を取材する予定だった日で1日スケジュールが空きました。朝からウーシン旗の祭りを見に行く予定でしたが起きると大雨、雨が降らないという砂漠化地帯でなぜこんなに雨が降るのでしょうか?とりあえず午前中は部屋で待機。

午後雨がやむと、祭での挨拶を終え政府幹部が続々と帰り始めます。私たちは宿をいつものホテルに変更、なんだか自分の家に帰ってきたような感覚です。部屋で撮影テープのプレビューをしてその後祭りを見学に、夜は再びダプ局長との宴席かと思いきや金さんも昨日飲み過ぎて調子が悪いらしくカップラーメンとソーセージでおとなしく夜を過ごすことにしました。

12日目: 坂本さんの思い出の学校へ

2008 年 8 月 6 日 水曜日

午前中は休息。1日も休みなく動いていたので久しぶりに1人でぼんやりする時間が持てました。と思ったのも束の間、金さんが「ここも移動したほうがいいと思います」というので全員30分で荷物をまとめてロビーへ。そのままチェックアウトです。ハイラル政府が私たちの取材をまだ疑っているようです。以前は中国国内の取材は必ず現地政府の外事弁公室に許可を得て、彼らが取材先をアテンドしロケにもついてくるスタイルでした。しかしオリンピックを前に去年、対外開放の意味もあり2008年10月までという期間限定ながら、取材先がOKであればすべての取材が可能という法律ができたのです。ですから記者ビザを得ている私たちの取材は法律上何の問題もないのですが、田舎の滅多に外国人記者が来ない地域ではまだ浸透していないようです。

荷物を積み込んで向かったのは坂本さんが1991年~94年にかけて日本語を教えていたモンゴル族中学です。坂本さんの当時の教え子の楊さんや校長先生(当時は副校長)、今在籍している女の子が集まっていました。懐かしい話に花が咲いています。当時坂本さんは校舎の中の1室で生活し、教室までのわずか5メートルを行き来していたそうです。その場所を案内してもらってインタビュー。風呂もない生活は大変だったでしょうが、坂本さんの話を聞いていると何とも楽しそうな情景が浮かんできます。生徒も純朴でとてもかわいらしい子でした。取材班一同「あんな子に育って欲しいなぁ」と言いながら学校を後にします。そして夕方、坂本さんと別れ、再び300キロ離れたウーシン旗へ移動です。

しかしここでまた問題が。ウーシン旗では今日から祭りが始まり政府幹部がいいホテルをすべて押さえてしまっているとのこと。ダプ局長からも明日にしたほうがいいといわれましたがもうチェックアウトしてしまったので別のホテルを探してもらうことに。先日の2つ星並みのホテルですが贅沢は言っていられません。安心して泊まれるだけで十分です。

夜は再び白酒宴会。ダプ局長以下数名がやってきました。7月29日の宴会で彼らが覚えた日本語は音声清水氏の「シミズ」と酒を飲ませるときの「もうイッパイ」。「シミズ、モウイッパイ」が大流行、この場に来ていた運転手のタメちゃんが自分が着ているTシャツに全員のサインを書いてほしいと言うのでマジックで名前を書きました。清水氏はもちろん「しみずもう一杯!」とサイン。日本人から見ると間抜けな感じですが、日本語が分からない彼らからすると貴重なものなのかもしれません。


みんなでTシャツにサイン


こんな感じ

かなり飲んだところで、バーへ移動しました。ここにいた19歳の馬頭琴奏者の男の子の演奏がすごくうまい。今まで聞いた中で一番うまい気がしました。疲れと酔いも手伝って何だかとても感動し、ずっと聞き入ってしまいました。深夜12時過ぎに宴は終わりホテルに帰って就寝です。


19歳の馬頭琴奏者 めちゃくちゃ上手かった

11日目: ナレンファさんの放牧

2008 年 8 月 5 日 火曜日

今日も懲りずに強行日程、片道300キロのところにあるナレンファさんの家に日帰り取材です。目的は、何といっても放牧です。前回は禁牧期間中だったので柵の中でしかヤギが飼えませんでしたが、今回は広々とした牧場で放牧しているはずです。


砂漠が迫る草原

8時に出発、途中、児島記者が「ここ撮りませんか」と提案、見ると草原に羊の大群がいてその周りを砂漠が取り囲んでいます。砂漠化を象徴するような景色です。早速撮影し再度出発、今日は車の調子もよく12時前についてしまいました。まずは皆の好物ホイツァイで腹ごしらえし、撮影です。(私は腹具合が直らずまだ食べれませんでした)坂本さんが投資した種ヤギから生まれた子ヤギが大きくなっていました。でもまだ顔は子供で人なつっこくてとても可愛い。


ナレンファさんと坂本さんの牧場


カシミヤ ヤギ

その後先日ご主人が酔っ払って寝ていた隣家を訪ねます。ここは馬をたくさん飼っていて馬乳を売って生活しています。馬乳は今値段が高騰していてこの3年ほどで値段が3倍にもなっているそうです。

馬乳をすすめられましたが、腹具合が回復していない状況ではとても恐くて飲めませんでした。坂本さんと増田カメラマンが試飲。その表情はあまり美味しくはないようです。最後に放牧、そして羊をバックにナレンファさん最後のインタビューです。これからは肉の改良もしていきたいという彼女、印象に残る言葉がありました。放牧文化は今後も残り続けるか?という私の問いに、ナレンファさんは「無理だ」と答えました。私は「禁牧などの努力により草原が回復し放牧文化は次世代に伝わっていく」という答えを予想していたのでちょっとビックリ。理由を聞いてみるとナレンファさんにとって放牧とはパオによる『遊牧』なのです。定住している時点で放牧生活とは思っていないのです。2キロ四方の広い草原にヤギを放っているのですが、彼女にとっては大きな柵の中でヤギや羊を飼育している感覚なのでした。この時、モンゴル族の心を見たような気がしました。 午後3時、いよいよナレンファさんともお別れです。ロケハンのときから合わせて4泊もさせてもらい、取材班大好物のホイツァイを何度も作ってくれたとてもいいお姉さんでした。帰り際も、小さくなって見えなくなるまで手を振ってくれました。本当にお世話になりました。